今日は
鹿島神宮跡宮
かしまじんぐうあとみや。
アクセスは
JR鹿島線「鹿島神宮」駅徒歩17分。
東関東自動車道「潮来IC」より30分。
※写真は2月上旬撮影
鹿島神宮跡宮
茨城県鹿嶋市神野4-1-12
鹿島神宮
境外摂社。
御祭神は
武甕槌大神荒魂。
案内板
案内板によると
その由緒については諸説があり「鹿島神宮伝記・春日験記・鹿島ものいみ由来」等によると、鹿島大神が初めて天降りし給いし所が神野の跡宮で、本宮の祭の前日これを祭るとし、また奈良春日へ御分霊の際ここから鹿島立ちされたとの伝えもある。
二の鳥居
またこの社の別名を「荒祭の宮」という。荒祭の宮は荒魂を祀る社の意味であるが、
同時に荒祭は現祭、生れ祭の義であり、神の降臨、誕生、出発を意味している。
このように起源あるいは社名については、いろいろな伝承があるが、その創始は本社鹿島神宮と先を争うほど古くまで遡ることができるといえよう。
社号標
この跡宮の傍らに、かつては亀卜によって選ばれた女性斎主「物忌」が住んでいた。
跡宮①
物忌の地位は極めて高かった。鹿島神宮御本殿の奥深く御内陣に奉仕するのが役目であり、男子の立ち入ることを許されなかった明治維新前の殿内における奉仕ぶりは、さながら神の妃とも云えるようである。
跡宮②
ちなみに物忌は汚れを知らない童女の頃より男子立入禁制の物忌館に籠って仕女の世話を受けながら一生を神に仕えたので、鹿島神宮へ出勤の途中も男性の目に触れぬように輿に乗った訳である。
境内①
物忌を選定するには亀卜が行われた。二人の候補者(六、七才から十二、三才)が出され百日間の斎戒のあと二枚の亀甲に両方の名を書いて、同時に炙り焼け残った亀甲の名前を読んで選定した。
跡宮③
こうして選ばれた物忌は終身その職にあったから、在職も長く、九十年にわたって奉仕した女性もあり、物忌の数は初代普雷女より僅かに二十七人であった。
境内②
現地にある
案内板を読みながら
今までずっと
私が巫女だ
と思っていた
前世では
子どもの頃から
ずっと神に仕え
ほとんど
外の世界を知ることなく
一生を終えた
記憶があるので
もしかしたら
物忌だったのかも(?)
跡宮④
このブログを見たあなたへ。
ブログに来てくれたあなたが大好きです♪
今日は魚座新月。
あなたの願い叶いますように♡
関連記事
この記事のURL
https://ameblo.jp/kanontomomo/entry-12886744678.html