今日は

馬高遺跡

うまたかいせき。

 

アクセスは

関越自動車道「長岡IC」から車で3分。

※写真は8月中旬撮影

 

 

馬高(うまたか)遺跡(いせき)

新潟県長岡市関原町1-3060-1

馬高遺跡の写真

 

 

馬高(うまたか)遺跡(いせき)

信濃川中流域の左岸に

なだらかに張り出す

 

関原丘陵上の

北部緩斜面に位置。

 

 

 

馬高(うまたか)遺跡(いせき)

馬高遺跡の写真

 

 

縄文中期の

大規模な集落跡で

 

その規模は

東西150m

南北250mに

及びます。

 

 

 

案内板

馬高・三十稲場遺跡案内板の写真

 

 

遠藤沢をはさんで

東が

馬高(うまたか)遺跡(いせき)(縄文中期)

 

西が

三十稲場(さんじゅういなば)遺跡(いせき)(縄文後期)

と分かれており

 

1979年

三十稲場(さんじゅういなば)遺跡(いせき)とあわせ

馬高(うまたか)三十稲場(さんじゅういなば)遺跡(いせき)

として

国の史跡に指定。

 

 

 

火焔土器(モニュメント)

馬高遺跡火焔土器っモニュメントの写真

 

 

「火焔土器」

発祥の地であり

 

1936年の大晦日

近藤篤三郎らの

発掘調査により

出土した

 

火焔型土器は

馬高A式1号

と命名され

 

その後

この土器は

「火焔土器」

と呼ばれ

 

火焔型土器の

標識土器に

なったそう。

 

1990年

国の重要文化財に指定。

 

 

 

馬高(うまたか)遺跡(いせき)

馬高遺跡の写真

 

 

明治時代から

馬高遺跡・三十稲場遺跡

 

土器や石器が

採取される場所

として知られ

 

地元関原町の

近藤家は

遺跡一帯の

大地主であり

 

勘太郎・勘次郎・篤三郎の

3代にわたって

調査が行われていた

とのこと。

 

すごい!

 

 

 

馬高縄文館

馬高縄文館の写真

 

 

近藤親子以後も

オランダの考古学者

Gerard J. Grootや

早稲田大学を

はじめとして

多くの人々が関わり

 

昭和40年代以降

開発などにより

長岡市教育委員会の調査が

行われるようになると

 

徐々に

集落の巨大さが解明され

良好な遺物の検出などもあり

 

1979年

「馬高・三十稲場遺跡」として

国指定史跡に。

 

→【新潟】馬高縄文館②(火焔土器)

へ続きます。

 

 

 

馬高(うまたか)遺跡(いせき)

馬高遺跡の写真

 

 

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今日は双子座下弦の月。

心軽やかに♡

 

 

 

 

 

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