今日は

慈眼寺

じげんじ。

 

アクセスは

関越自動車道「小千谷IC」から車で約5分。

※写真は6月下旬撮影

 

 

慈眼寺(じげんじ)

新潟県小千谷市平成2-3-35

慈眼寺山門の写真

 

 

創建は

白鳳年間

(650年頃)。

 

ご本尊は

聖観世音菩薩。

 

 

 

山門①(仁王門)

慈眼寺山門の写真

 

 

小千谷市でも

指折りの

古いお寺で

 

山門は

国登録有形指定文化財

となっています。

 

 

 

石碑(岩村・河井会見の処)

慈眼寺石碑の写真

 

 

そして

北越戊辰戦争

ゆかりの地でもあり

 

 

 

本堂①

慈眼寺本堂の写真

 

 

境内の

本堂内にある

会見の間で

 

岩村精一郎と

河合継之助による

 

小千谷談判が

行われた

といわれています。

 

 

 

会見の間①

慈眼寺会見の間の写真

 

 

慶応4年5月2日

(新暦:1868年6月21日)

 

長岡藩家老

河井継之助が

 

長岡藩藩主の

歎願書を持参し

 

西軍の軍監

土佐藩士

岩村精一郎と

講和談判。

 

 

 

会見の間②

慈眼寺会見の間の写真

 

 

戦争を

避けるはずの会談が

(小千谷談判)

 

わずか30分で

決裂したことで

 

長岡藩は

官軍に

徹底抗戦する

羽目になり

 

北越戊辰戦争

長岡城陥落

という

悲運を招くことに。

 

 

 

会見の間③

慈眼寺会見の間の写真

 

 

もし

河合継之助の

会談相手が

 

岩村軍監ではなく

ちがう人物だったら

 

 

 

石碑②(司馬遼太郎の一文)

慈眼寺石碑の写真

 

 

歴史は

変わっていたかも

しれない

と考えていると

 

 

 

本堂とあじさい①

慈眼寺本堂とアジサイの写真

 

 

河井継之助

 

その時

一番正しい

と思った道を

進んできたつもりだが

 

時代の大きな波

には抗えず

 

結果として

このような悲運を

招いてしまった。

 

しかし

それでも・・・

 

 

山門②(仁王門)

慈眼寺山門の写真

 

 

常在戦場(じょうざいせんじょう)

という言葉を

 

そなたに

授けよう。

 

 

 

観音堂①

慈眼寺観音堂の写真

 

 

人生は短い。

 

この

常在戦場(じょうざいせんじょう)

という言葉を胸に

 

一生一代の

この人生を

生き抜かれよ

と。

 

 

 

観音堂②

慈眼寺観音堂の写真

 

 

観音さまも

 

死んだ後

よりよい世界に

行くために

生きるのではなく

 

今この瞬間を

しっかり

生きていくことが

何よりの修行ですよ

 

とにっこり。

 

はい♡

 

 

 

本堂とあじさい②

慈眼寺本堂とアジサイの写真

 

 

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