今日は

妻戸神社①

つまどじんじゃ。

 

弥彦神社

境内外摂末社

18社のひとつ。

 

アクセスは

JR弥彦線「弥彦」駅から車で約15分。

弥彦神社から約8㎞。

 

 

 

妻戸神社(つまどじんじゃ)

新潟県長岡市寺泊野積

妻戸神社鳥居と社号標の写真

 

 

弥彦神社の

境外摂社。

 

 

 

一の鳥居

妻戸神社一の鳥居の写真

 

 

御祭神は

熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)

 

おやひこさまの

妃神。

 

 

 

二の鳥居

妻戸神社鳥居の写真

 

 

御神徳は

家内安全・夫婦円満

大漁満足・醸造安全

家業繁栄など。

 

 

 

御神体(大岩)と祠

妻戸神社大岩と祠の写真

 

 

御神体は

四の鳥居を

くぐった先の

小さな祠の

後ろにある

 

「妻戸岩」

「妻問い岩」

「口開け岩」

などと呼ばれている

大岩。

 

 

 

扁額(二の鳥居)

妻戸神社扁額の写真

 

 

妻戸神社の

由緒については

 

この地域に伝わる

「キコリの化石(口あけ石)」など

※外部サイトへ飛びます

 

諸説ありますが

 

 

 

参道

妻戸神社参道の写真

 

 

ここでは

妻戸神社の

案内板に

書いてある話を

紹介します。

 

 

 

案内板

妻戸神社案内板の写真

 

 

案内板には

 

この辺から麓の海岸一帯を野積と云います。大和朝廷から越後国開拓の勅命を受けた彌彦大神の一団は、この野積の海岸の米水浦と云う処に先ず上陸し、土地の人々に製塩、網での漁獲、酒造など大和朝廷の新しい文化をもたらしました。その後更に、越後の原野を開拓するために、ここから弥彦山を超え今の弥彦の地に赴かれ宮居を定め

られました。

 

 

 

四の鳥居と祠

妻戸神社鳥居と祠の写真

 

 

彌彦大神は野積からお移りになるとき、この処にそびえ立つ十八メートルほどの大岩に登り、野積一帯が開け平穏になったことを感慨を持って眺めつつも、愛しい妃神を追慕し、つま問うお姿はとても尋常ではなく、人々はその様子を見て泣をながしたと云うことです。そこで、人々はこの大岩の前に小さな石のほこらを建て、妃神を祭りました。

 

 

 

三の鳥居

妻戸神社鳥居の写真

 

 

彌彦大神が妃神に「妻とい」をされたことから妃神は妻戸神と称されました。

 

 

 

大岩(御神体)と祠

妻戸神社大岩と祠の写真

 

 

更に、この大岩は妃神の御神体と尊ばれ、妻戸岩、妻問い岩、口開け岩と呼ばれるようになりました。

 

 

 

参拝所

妻戸神社参拝所の写真

 

 

この地では新酒を造りその良く澄んだ酒を「湧き花」と云い、これを先ず最初にこの大岩の妻戸神に献じ口開けすることから口開け岩と云われています。

この野積は昔から多くの人が酒造に携わり野積杜氏と云われ、全国で活躍しています。(妻戸妃神会)

 

とのこと。

 

 

 

境内

妻戸神社境内の写真

 

 

境内には

御神田があり

 

 

 

御神田

妻戸神社御神田の写真

 

 

ここで

収穫された

お米は

弥彦神社へ

奉納されるそう。

 

→【新潟】妻戸神社②(おつまさま)

へ続きます。

 

 

 

桜の写真

 

 

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今日は満月。

あなたの願い叶いますように♡

 

 

 

 

 

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