すずめの戸締まりと私の3.11 | かのんのおと。

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新海監督の「すずめの戸締まり」

 

急にやっぱり見ないといけない気がして、1月の上旬に観にいきました。

 

私には刺さりすぎて、最初から号泣でしたよ。

 

今だから、この時代になったからこそ遺せる作品。

 

「誰かの起動スイッチ」になるかもしれない、作品。

 

 

「ダイジン」の純粋性を見事に描いたなぁ。

 

すずめの一言で姿が変わるのはこの世界はホログラムで想いのチカラが影響するから。

 

可愛いって言われたらピカピカの猫に、罵倒されたらボロボロの猫に。

 

日本ならではの言霊のチカラ。

 

あと、すずめの周りにたまに出てくる蝶々たちにも恐らく深い意味があります。

 

あと地震ってこんな風にエネルギーとして見えるんだろうなっていうのが凄くわかります。

 

命を吸い取って起こること。

 

凄いエネルギー。

 

日本人の地震の捉え方みたいなの。

 

太古からの地震との在り方みたいな。

 

 

そして常世と黄泉は違うらしい。

 

常世は清浄、黄泉は穢れの象徴らしい。

 

 

 

あんまり感想書くとネタバレになるのもアレなので私的に気になったキーワードだけ羅列しておきます。

 

地震とそれにまつわるお話で神様と繋がっている。

 

*すずめの周りに時々出てくる蝶々たち

*ダイジンとういう存在

*ダイジンとすずめの関係性

*草太とすずめの関係性

*サダイジンとダイジンの大きさの違い

*猫と言う存在

*宿命と使命

*地震とミミズ、ミミズと要石

*ミミズが倒れる瞬間に出る光の糸

*常世の国と時間軸

 

*すずめfaet.十明の歌詞

 

この映画は表向き地震がテーマとなっているとされているが、本当の恐らく裏テーマは違うトコにある気がする。

 

その辺は見る人にそれぞれになるでしょうけど。

 

いつか、円盤が出たらちゃんともう一度見て書こうかな。

 

 

 

すずめfaet.十明の歌詞は、聞くたびに泣きます。

 

私は見えない誰かを想って泣きます。

 

 

あなたはこの映画で何を感じ取りましたか?

 

 

 

 

【わたしの死生観に気づいた日】

すずめの戸締まりは東日本大震災のことを描いたもの。

 

そのあたりを振り返ってみて、ふと私のこの頃から明らかに変わったことがあったことに気づいた。

 

それは私にとって初めての大いなる強制的な気づき。

 

それはわたしの本当の「こえ」を聞いたのかもしれない。

 

それは魂が目覚めるためのスイッチだったかもしれない。

 

 

 

2011 当日私は歯科衛生士として西新宿のビル群の一角で働いていた。

 

資格を取って1年目。

 

24歳の時だっただろうか。

 

50階建てビルの3階が歯科になっていて、そこで働いていた。

 

大きな歯科医院でユニットと呼ばれる治療台は12台あって、スタッフも常に受付、衛生士、歯科医で総15名近くは出勤する。

 

 

 

そこで起きた大きな揺れ、地震だった。

 

今でも忘れることはない。

 

 

 

窓の外で見えたのは、陸橋のトラックが異常なほど、トランポリンに乗ってるように跳ね回り、

 

周りの50階建てのビル群たちがCGのようにたゆんで揺れていた。

 

わたしはそれをみて葦が風に揺られているように見えた。

 

全てがスローモーションのようにユラユラと。

 

そしてビルの構造とはそういうものなのだと、何故か淡々としていた。

 

その時点でも慌てることは一切なく、恐怖にかられることも一切なかった。

 

 

 

思い返してみれば地震で怖い思いをしたことがない。

 

地元秋田に住んでいたときでも揺れは定期的に来ていた、震度3程度。

 

小さな私の感覚としては大地がただ必要だから揺れているだけ。

 

大地が呼吸をしているだけ。

 

なんか、感覚が人と違うのか。その時は不思議にも思わなかった。

 

 

 

寧ろ怖いとおびえた記憶としては、東北ではめったに出ない黒光りGが部屋を飛び回っていたことが1回だけあってそれだけは心底恐ろしかった。

 

 

 

話を戻そう。

 

皆が阿鼻叫喚としてる中、治療中の患者さんを指示に従って出した。

 

電車は機能がストップして動かないから帰れない。

 

スタッフで手分けして取り合えず、地下にあるコンビニで食料を確保しにいった。

 

だが私が見に行った時にはほとんど売り切れて何もない状態だった。

 

 

地下はすでに人で溢れかえっていて、通路のにはホームレスみたいに自分の場所取りをしてどうするか迷っておられる方々がたくさんいた。

 

ところせましと。

 

 

戦時中か?ここは。

 

体験もしていないのにまるで戦時中の防空壕の中のように感じた。

 

皆が恐怖と不安に皆押しつぶされそうになっていたのを感じた。

 

 

 

医局に戻ってきて、取り合えず食べられそうなものの分配をして寝床を確保する。

 

私は待合室の長いすに寝ることにした。

 

医局は人が多すぎて、人間の気配が苦手な私には向いてなかった。

 

 

 

昼夜構わず、余震が来る。毎回めっちゃギシギシたわむ。

 

因みに高層ビルの耐震構造って知ってる?

 

3階くらいに敢えてたわんで、揺れを抑える作用があるの。

 

ということで、もれなく耐震構造の中なので、震度3程度でもとんでもなく揺れるのです。

 

皆、心配と不安で眠れていない中、普通に揺られながら寝ていて気付く。

 

 

 

あー私はたとえ今死んでも何も問題が無いなぁ。

私って生きることへの執着みたいなものがとても薄いんだなぁ。

人は死ぬときは死ぬしなぁ。

 

 

 

まさか自分がそんなことを思っているなんて思いもよりませんでした。

 

動揺しないことにもびっくりしましたけど、死生観がどうも普通の視点の人の考え方ではない。

 

よく死にたい、死にたくない、こんな言葉を見たりしますがそんなの私が決めることじゃないし。

 

 

「生かされているなら、人よりどれだけしんどかろうと生きるしかない。」

 

これはその当時の私の信念かもしれない。

 

死にたいと思うことはあってもどんな時でも「死ぬことが自体が怖い」とは思わない。

 

なんだか変よね。

 

普通なら怖い、死にたくないって出るんじゃないの?(笑)

 

「死は恐るることではない。」

 

一体どういうことなのか?と私自身が疑問に思ったのよ。

 

そこから死とはなんぞや、ということに対する疑問と私自身への長い自己探求が始まるキッカケになっていったわ。

 

 

 

 

なんか話が逸れたけど…

 

因みに数日間、電車の復旧に時間が掛かって定時では動かなくて大混乱になっていたから西新宿のスパに会社負担で泊まり込みにしてもらった。

 

1時間半掛けて帰ってまた出勤してって効率悪いからね。

 

余震はグラグラ続く。

 

泊まる人も当然ほぼいない。

 

貸し切りの露天風呂でグラグラに揺られながら一人静かに佇んでいた。

 

「わたし」という存在に人生で初めて問いかけながら。

 

確実にターニングポイントになった日。

 

私がわたし魂のこえを初めて聞いた日。

 

 

 

震災で被災された方には、もしかしたらとてもノー天気な話に思えるかもしれない。

 

だけど、これが私の中の私の真実。

 

 

 

 

 

 

 

-------------------クローバー

 

 

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