こころの責め苦と自尊心 | しあわせな自分から あの時頑張っていた自分へ

しあわせな自分から あの時頑張っていた自分へ

沢山頑張っていたこともわからずに
頑張りすぎていた自分を愛おしく思う
今そんなしあわせな自分

だからこそあの時頑張っていた自分を愛して
癒して生きたい

しあわせな自分より
木花 にこり



こんにちは、人生療法士の木花にこりですぺんぺん

皆さんにとって罪の意識って身近なものでしょうか?


西洋文化と日本文化の大きな違いとして


『罪の文化』

 と

『恥の文化』


なんて比較として耳にするかもしれません。


日本では『性悪説より性善説の方が一般的な傾向』にある、と聞いた時に驚いたものです。


私は子供の頃、

『取り返しのつかない悪い事を大勢に対してしてしまう』

という悪夢を繰り返しみていたこともあり、

『いつか誰かを救うチャンスがあるならそのために命を捧げよう』

的なそうそう現実に起きないシチュエーションのことを真剣に考えていた思いつめた子供でした苦笑


実際そんなに悪いことをしていたかというとそうでもなく

『悪いことをしていなくても存在が罪』

という認識を常に持っていましたなく ←今は愛おしく思えてます(笑)



子供の頃に「生まれてきちゃいけなかった」なんて感じていた人は

この

『罪』の意思というものが強いのかもしれません。


昨日

『私はお母さんから、あなたは3番目の女の子だったから、あなたが生まれても誰も喜ばなかったけど、私だけは自分で産んだんだから愛してるわよ』

という結構強力な呪いにも似た言葉を言われていた方のお話を耳にする機会がありました泣

条件付ストローク*というやつですね・・・ (*ストロークを発信せよ♪ の記事をご参照下さい)


『男の子/女の子だと思ったから産んだ』

『あなたが出来たからお父さん/お母さんと結婚した』

『あなたのために離婚しない』


といったような強烈な言葉を耳にしたり

言われなくても察してしまったり


そんなインナーチャイルドが傷ついたまま残っていると

しあわせを手にしても落ち着いていられず、無意識に自らしあわせを壊す行動にうつして


『ほらやっぱりね』

『私は誰からも愛されない』

『私はしあわせになれない』


という気持ちを何度もなんども噛みしめることになるわけです・・・



私も頭ではわかっていても、ふと気がつくと罪の意識をいだいていることがあります

大なり小なりですが日本人には多い気質でもあるかもしれません


そんな時は良いものを素直に

『ありがとう』

と受け取ればよいのに受け取れなかったりするのです


私は人の好意や物やお金はすんなり受け取れる性質ですが(笑)、自分に良くしてくれる場や集団に抵抗が出来たりします。


最初は楽しく参加しても

『いい人たち過ぎて私が穢してしまうんじゃないか』

『私は場違いじゃないか』

みたいな思いが以前ほどでなくてもわいてくる時があります

まだまだインナーチャイルドを癒す必要がある証です。


そんな私を察したのか、あるクリスチャンの方から今朝こんな聖句をご紹介していただきました。


『これによってわたしたちは,自分が真理から出ていることを知り,また, 何か心に責められるようなことがあっても,それについて神のみ前で自分の心を安んじることができるでしょう。神はわたしたちの心より大きく,すべてのことを知っておられるからです』
ヨハネ第一の手紙 3章19-20節より


なんだかね

胸にささったんですよ


罪悪感があったり、自尊心が足りないと人の好意を苦しく感じる時があります



私は愛されてるんだ

愛される存在なんだ


と感じて、感動して、涙を流したことがあっても

すぐにそれを忘れて不安に感じてしまうのです


特にトラウマを抱えたままだと繰り返しどっぷりとやってくるものです


そんな心の責め苦から開放されて

等身大の自分でいる

正しい自尊心を持つ


そんな『当たり前』な人が増えていけば世の中どんどんしあわせになっていくなぁとにやにや想像しています好


まずは自分を愛して

無条件のプラスのストロークを発信していきたいと思いますにへ



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