書名:ガラスの宮殿
原題:The Glass Palace
作者:アミタヴ・ゴーシュ
出版:新潮クレスト・ブックス
内容:1885年11月、ビルマ王国マンダレーの屋台で十一歳のインド人孤児の少年ラージクマール・ラーハが働いていた。ラージクマールの父親はインドの港町チッタゴンの出身だったが、ビルマの港町アキャブで通訳兼事務員として働いていた。だが、父親が熱病で亡くなり、母親も故郷に戻ろうとした船の上で亡くなった。親兄弟を失ったラージクマールは、母親の遺品を弟子入りのお礼として渡し、船長の下で働くことにする。四角帆のサンパン船はビルマからベンガル地方に伸びる長い海岸線に沿って沖合を航行していた。そして、ベンガル湾からイラワジ川を遡ってきた船は長期間の修理が必要になり、船員を養えないと判断した船長にラージクマールは他の仕事を見つけるように指示されたのだ。川から数マイル離れた街マンダレーの城の西壁の向かいに立つバザール(市場)で、インド人とビルマ人の混血女マ・チョウが屋台をしているから雇ってもらえと言われた。高床式の家屋の下でバヤーヂヨー(豆フライ)などを油で揚げる屋台を営んでいるマ・チョウは、文句たらたらで怒鳴りながらもラージクマールを下働きに雇ってくれた。屋台の上の高床になった竹壁の部屋がマ・チョウの住まいで、ときどき恋人が訪ねてきた。恋人はヨーロッパ人の服装をした中国人で、驚いたことにヒンドゥスターニー語を話せた。マ・チョウに「サヤー(先生)」と呼ばれていた恋人ジョン(ジョアン)・マーティンズは、捨て子だったためカトリックの神父にマラッカで育てられたと話した。サヤー・ジョンの仕事は請負人で、チーク材を伐採するチーク・キャンプに日用品を運ぶ仕事をしているため不在のことが多い。サヤー・ジョンの亡き妻は中国人で、七歳の息子マシューは母方の親族とシンガポールで暮らしている。ある日、サヤー・ジョンに連れられてやってきたマシューと一緒にラージクマールはお祭りに出かけた。マシューは戦争が近付いているので明日帰ることになったと話す。聡明なマシューは父から聞いた話をラージクマールに教えた。イギリス人がチーク材を違法伐採していたことから始まった揉め事が戦争に発展するという。木をめぐって戦争するという話をラージクマールは信じられずに大笑いしたが、二日後に国王によって宣戦布告がなされた。イギリス人はイラワジ川に艦隊を送り込み、ミンヂャンの砦を大砲で粉砕した。1885年11月14日に国境を帝国艦隊が越えたことで始まった侵略戦争は、わずか二週間で終わった。ビルマ軍は降伏し、マンダレーにイギリス軍が上陸した。その日、市場のインド人は姿を消していた。イギリス軍の兵士にインド人がいることを目撃したビルマ人たちは、ラージクマールを取り囲んで質問した。訳が分からないまま群衆に囲まれたラージクマールは殴られた。そこへ拳銃をかかげたサヤー・ジョンが現われて群衆を制止し、リンチを受けていたラージクマールを救出した。サヤー・ジョンの話では、ラージクマール以外のインド人は有力者の屋敷に逃げ込んでいるという。サヤー・ジョンは助けたラージクマールに「仕事が必要になったら相談においで」と言った。日没直前に略奪を終えた占領軍が砦から撤退した。衛兵のいない宮殿を見た民衆は、次々と中に入って略奪した。マ・チョウも橋を渡って砦に入り、中が見たかったラージクマールも後に続く。女人宮にたどり着いたマ・チョウとラージクマールは、スパヤーラッ王妃の姿を見た。マ・チョウは床にひれ伏し、両手を頭の上で組み合わせ、敬意を表するシッコウの姿勢を取った。押し寄せた群衆は王妃に敬意を表したが、略奪行為を止めなかった。混乱のなか、ラージクマールは王妃の侍女のひとりに目を留めた。これほど美しい人間を見るのは生まれて初めてだった。十歳くらいの可愛い少女で、小さな王女と一緒にいた。ラージクマールは床に落ちている小箱を拾って侍女に渡し、名前を聞いた。少女はか細い声で「ドリー」と囁いた。そのとき宮殿に兵士が戻ってきて、ラージクマールはマ・チョウに引っ張られて逃げた。二十七歳のビルマ国王ティーボーは、イギリス軍によってビルマを追放されることになった。国王一家に同行することになった王妃の侍女たちは孤児の少女だった。王国の北の国境沿いの小さな村々で、王妃の代理人に買われたのだった。ドリーはシャン族の血をひき、国境の町ラシオからマンダレーに連れて来られていた。牛車に乗った国王一家に続いて、十八人の孤児の侍女が歩いた。武装した数百人のイギリス軍兵士が不測の事態に備えていた。港までの道のりを群衆が見送っていた。ラージクマールは砂糖菓子を買い、人ごみをかき分け、兵士の隙をついてドリーに駆け寄って包みを手渡した。国王一家はインドのマドラスに連れて行かれ、さらにラトナギリに移されてウートラム・ハウスで暮らすことになった。国王が去ったマンダレーの街は治安が悪化し、マ・チョウの屋台も襲われた。数日後、マ・チョウは姿を消し、ラージクマールは失業した。将来のことを考えたラージクマールは、船には戻らず、教会へ行ってサヤー・ジョンを探した。ラージクマールはマ・チョウが居なくなったことを告げ、仕事が欲しいと頼んだ。サヤー・ジョンの下で働くことになったラージクマールは、食料や日用品をチーク・キャンプに定期的に運ぶ仕事に従事した。国王が追放されてから二十一年目の1905年、新しい地方収税官がラトナギリに着任した。収税官はベニ・プロシャド・デという名前の四十代のインド人だった。彼よりも十五歳年下で二十六歳の妻ウマ・デが一緒だった。ドリーがお使いで公邸を訪ねたとき、散歩していたウマと出会って話し、やがて二人は親友になった。一方、ラージクマールは十八歳になるとサヤー・ジョンから独立し、チーク材の商売で成功して裕福になる。ドリーが忘れられなかったラージクマールは、商売の伝手をたどってラトナギリの収税官を訪問するが……。彼らとその子どもたちが織り成す「運命の恋」、幾多の死の綾模様。20世紀の百年と重ね合わせながら語られる、愛情にみちた壮大なサーガ。
※原書初版2000年
※作者は1956年、インド・カルカッタ(現コルカタ)生まれ。デリー、オックスフォード、アレクサンドリア各大学で学び、一度はニユー・デリーの新聞社に勤めるが渡英、オックスフォード大学で社会人類学の博士号を取得する。1986年作家デビュー。インド系英語作家として高い評価と人気を得る。現在は米国ブルックリン在住。
ラージクマールの名は「王子」という意味だった
疝痛(せんつう:発作性の激しい腹痛。)
アングレーズ:イギリス人
ユーラジアン:欧亜混血
バックランド中佐――みんなバッキーって呼んでる
カマーバンド:飾り腰紐
ユールログケーキ:ユールログというゲルマンの伝統ケーキ。このケーキのルーツは、冬至のお祭り「ユール」の一環として行われていた、囲炉裏で大きな丸太を燃やす「ユールログ」の風習にある。森の中の丸太のような見た目のケーキで、フランス語では「ブッシュ・ド・ノエル」と言い、「クリスマスの丸太」を意味するケーキ。
書名:冬の王Ⅰ 熊と小夜鳴鳥(サヨナキドリ)
原題:The Bear and the Nighingale
作者:キャサリン・アーデン(アメリカ作家)
出版:創元推理文庫
内容:ルーシ北部レスナーヤ・ゼムリャの領主ピョートル・ウラジーミロヴィチは、妻のマリーナ・イワノヴナに身籠ったと告げられる。二人の間には既に息子三人と娘一人がいた。ピョートルは妻の体を心配するが、マリーナは「母のような娘が欲しい」という。マリーナの母はモスクワ大公イワン一世の三番目の妃になった女性だ。彼女は身元不明の謎めいた娘で、不思議な力を持っていたという。マリーナの乳母ドゥーニャも子供を始末しなければお産で命を落とすと心配する。しかし、マリーナは頑として聞かなかった。十一月、マリーナは生まれたばかりの娘に「ワシリーサ」と名づけ、嬉しそうに笑って息を引き取った。ワシリーサ・ペトロヴナことワーシャは不細工な子供で、家族から「カエルちゃん」と呼ばれたが元気に育ち、森の中で過ごすのが好きだった。六歳のとき森で迷子になったワーシャは、オークの大木の所で不気味な片目の男と白馬に乗った青い瞳の男に遭遇する。一方、家族は暗くなっても帰ってこないワーシャを心配し、大勢の男たちが森に捜しに入った。男たちから逃げたワーシャは次兄アレクサンドルに保護される。この事件をきっかけに父ピョートルは、子供たちのために再婚を決意する。冬至が過ぎて川が凍ると、ピョートルは長男ニコライと次男を連れてモスクワに出かけた。出発から二週間後、一行はモスクワのクレムリンに到着し、モスクワ大公イワン二世に挨拶をした。大公は亡くなったマリーナの異母兄だ。モスクワにきて一週間、ピョートルは社交をして過ごしていると、次男アレクサンドルが聖者の噂を聞いて会いに行きたいと言い出す。ピョートルが許可を出したので、アレクサンドルはモスクワの北にあるマコヴェッツ丘に建つ至聖三者修道院を訪問した。人々に聖者と慕われるセルギイ修道士に面会したアレクサンドルはモスクワに戻り、父親に修道士になりたいと望む。ピョートルは条件を二つ付ける。一年よく考えること。修道士になる場合は相続を放棄すること。一方、イワン二世は息子ドミトリーの家庭教師を務める府主教アレクセイと話し合っていた。アレクセイはイワン二世の亡き兄セミョーンの遺児であるセルプホフ公ウラジーミル・アンドレーエヴィチに大公女との結婚の話が出ていることを話す。セルプホフ公はまだ十三歳だがイワン二世の息子より三歳年上なので、イワン二世にもしもの事があれば大公位を継げる立場にある。だから大公の娘と結婚しないように別の縁談を勧めた方が良いと指摘する。アレクセイの言葉に耳を傾けたイワン二世は義弟ピョートルのことを思い出す。大公の姪が相手ならセルプホフ公も断らないだろう。さらにアレクセイは前妻の娘で、気がふれたという噂のあるアンナをピョートルの後妻にすれば良いと勧める。イワン二世の娘アンナ・イワノヴナは悪魔に悩まされていた。人には見えない悪魔が見えるせいでアンナは苦しみ、悪魔が姿を現さない教会だけが安心できる場所だった。そのためアンナは修道院に入ることを希望していたのだが、父にピョートルとの結婚を命ぜられて絶望する。その頃ピョートルは十五歳の次男の進路に頭を悩ませつつ、家族への土産を買いに出かけていた。ピョートルはモスクワの市場で、悪魔の噂があるよそ者の貴族を見かけた。その夜、大公に呼び出されたピョートルは、娘オリガとセルプホフ公の縁談を持ちかけられたうえに、自分の再婚相手として大公の娘アンナを薦められる。断れる話ではないので、ピョートルは有難く受けた。一週間後、ピョートルとアンナは結婚式を挙げた。花嫁の素っ気なさにピョートルはため息をついた。六週間後、ピョートルの一行は帰郷の準備をした。そこによそ者の貴族が現われ、ピョートルの馬を撫でた。それを長男ニコライが咎め、よそ者を侮辱した。次の瞬間、よそ者はニコライの背後から首に腕をまわし、喉に短剣をあてていた。慌ててピョートルが息子の命乞いをすると、よそ者は条件を出した。よそ者は末娘に自分の贈った装身具を身に着けさせるようにという。差し出されたネックレスにはきらきら光る銀を帯びた青の宝石がひとつ、鎖の先でゆれていた。ピョートルが約束すると、よそ者は姿を消した。そして、今起きた事をピョートル以外の誰も憶えていなかった。ピョートルが妻を連れてレスナーヤ・ゼムリャに帰ると、皆が喜んで出迎えた。土産を渡された子供たちは喜び、縁談の話を聞いたオリガは頬を染めた。妻のアンナは疲れたと言って家に入った。夜、台所でピョートルはポケットから青いペンダントを出し、ワーシャに渡していつも身に着けさせるようにとドゥーニャに指示する。ペンダントを受け取ったドゥーニャは、ワーシャが成長するまで預かっておこうと決めた。それから三日目の夜、乳母は夢をみた。白馬に乗った男が「あのペンダントはお前の物ではない」と責め、乳母は「あの魔除けを持つには、ワシリーサは幼すぎる」と答えた。男は頷き、ドゥーニャは目を覚ました。一方、アンナは悪魔だらけの屋敷が辛く、教会に逃げ出してばかりいて周囲に馴染むことが出来なかった。その年の秋、ニコライが近隣の貴族の娘と結婚した。次の年の初夏の頃、セルプホフ公が従弟のドミトリー・イワノヴィチと一緒にやってきた。ワーシャは姉にすがって「いかないで」と泣いた。セルプホフ公の一行にはセルギイ修道士が同行していた。セルギイはアレクセイ府主教に呼び出され、ドミトリー大公子を託されていたのだ。実は大公が病気になり、十一歳のドミトリーがモスクワにいては命が危ない状況だった。ピョートルはセルギイ修道士から大公が死の床にいると告げられる。そして、修道院に身を隠すドミトリーを守る付き人を必要としていて、従兄であるアレクサンドルが適任なのだと言われる。セルギイと再会したアレクサンドルは修道士になると決心し、ピョートルは嘆きつつも受け入れるしかなかった。次兄が家を出ると知ったワーシャは悲しみ、一緒に行きたがった。オリガが結婚してモスクワに去り、アレクサンドルも行ってしまうと、ワーシャは森で過ごす時間が増えた。あるときワーシャが家を守る精霊ドモヴォイと話しているところをアンナに見られてしまう。アンナはワーシャを問い詰め、頬を平手打ちした。それ以後、ワーシャはアンナを避けるようになり、精霊との交流を人に気付かれないように用心した。それから七年後、ワーシャが十四歳になった年、大公国の摂政をつとめるアレクセイ府主教は、成年に達したドミトリーの即位を計画していた。そして、モスクワの人々の崇敬を集めるコンスタンチン・ニコノヴィチという司祭を危険視する。人々を惹き付ける美貌のコンスタンチン司祭がその気になれば、人々をたきつけて大公にそむかせることも出来るかもしれない。コンスタンチンをモスクワから追い出したいと考えていた時、レスナーヤ・ゼムリャの司祭が永眠し、新たな司祭を派遣してほしいとアンナからの使者がやってきた。これ幸いと府主教はコンスタンチンを任命した。僻地への追放にコンスタンチンは不満だったが従うしかない。レスナーヤ・ゼムリャに着任したコンスタンチンは、領主のピョートルと面談し、イコン(聖画)を描くための顔料が欲しいという。ピョートルは妻アンナや娘のワーシャと末娘のイリーナを神父に紹介する。そして、ワーシャに森を案内して、神父の顔料採取の手伝いをするように言いつける。好奇心旺盛なワーシャのことを、コンスタンチンは野性的で躾のなってない娘だと感じた。領主の妻アンナは悪魔にさいなまれては教会に逃げ込んで祈っていたが、コンスタンチンに悪魔は信仰によって追い払えると言われて彼に傾倒するようになる。コンスタンチンはレスナーヤ・ゼムリャに大昔からの精霊信仰が残っていると知り、神の使者である自分が正すべきだと考える。日曜日になると、コンスタンチンは会衆に悪魔について話し、人々に地獄に堕ちると言った。コンスタンチンを信じた人々は恐がり、精霊への捧げ物を止めてしまった。領主の家を守る精霊ドモヴォイや厩を守るヴァジラ(馬の精)は痩せ細り、力が弱まっていった。ワーシャはこっそりと自分の食事を与えて精霊を守ろうとした。ワーシャに感謝した精霊は、彼女に乗馬を教える。八月のある日、ルサールカ(水の精)は神父を誘惑して殺そうとした。それを目撃したワーシャが止めに入り、コンスタンチンは命拾いした。助けられたコンスタンチンはワーシャを魔女だと考える一方で、彼女の不思議な魅力に惹かれる。コンスタンチンはワーシャに十字架を与えるが、それを見ていたアンナは嫉妬して取り上げる。その夜、アンナは夫にワーシャを結婚させるように迫る。ピョートルは友人の息子キリル・アルタモノヴィチとの縁談を決める。ワーシャの三歳上の兄アリョーシャは結婚に反対だったが、家長に従うしかない。婚礼のためにキリルがやってきた。花婿を歓待し、婚礼の前日に皆で猪狩りに出かけた。ところが、ニコライの息子セルゲイが乗った馬が暴走し、とっさにワーシャが馬に乗って追いかけて助ける。セルゲイは無事だったが、キリルは腹を立てる。ワーシャの乗った馬がキリルの馬だったことと、人並み外れた乗馬術を見せたことで、キリルは恥をかいたと言い、魔女はごめんだと結婚を取り止めて去った。結婚が破談になったことで、ワーシャを修道院に入れるべきだとアンナが言い出す。冬が近付くと、精霊たちは不吉な予言をワーシャに告げるようになる。冬になると「熊」と呼ばれる邪悪な魔物が目覚め、村にウプイリ(吸血鬼)が現われて人を襲うようになる。ワーシャは精霊を助け、魔物と戦うが……。中世のルーシを舞台に運命の軛(くびき)に抗う少女の成長と闘いを描く物語。
※作者は米国テキサス州生まれ。ヴァーモント州のミドルベリー大学でフランス語とロシア語を学ぶ。在学中、断続的に2年をモスクワで過ごした。大学卒業後、ハワイの農場で働いているときに書き始めたのが本作で、紆余曲折を経て2017年に刊行された。
※「冬の王・三部作(Winternight Trilogy)」の地理的、歴史的背景は『訳者あとがき』によると、九世紀末から十二世紀前半頃まで、ルーシ(ロシアのもととなった国)はキエフ(キーウ)を中心に繁栄していて、キエフ・ルーシまたはキエフ大公国と呼ばれていた。十二世紀半ばになると諸公間の争いが増え、諸公が自立するにつれてキエフ大公国は弱体化した。その後、「タタールのくびき」と呼ばれるキプチャク・ハン国の支配を経て、モスクワ大公国の時代を迎えると、領土は北と東に拡大し、十六世紀なると「ルーシ」よりも「ロシア」と呼ばれることが多くなり、十八世紀のピョートル一世の時代にロシアという国名が定着したといわれている。本作は、十四世紀半ば、「美男公」と呼ばれたイワン二世がモスクワ大公の座についていた時代に始まる。その頃のルーシは、十以上の公国からなるゆるやかな政治的連合体で、領土は現在のロシア西部、ウクライナ、ベラルーシにまたがっていた。ただしルーシは十三世紀半ばから東の強大な隣国、キプチャク・ハン国に間接的に支配されていた。だが、それは徴税と徴兵を中心としたゆるやかな支配で、宗教や慣習の面で干渉されることはなかった。十四世紀に入ると、キプチャク・ハン国が政治的に混乱をきたし、ルーシでの徴税を諸公に任せるようになった。その機に乗じてハン国に取り入り、徴税権を独占したのがイワン一世(イワン二世の父親)で、以降、モスクワがルーシの中心として発展をとげていく。
※「冬の王」の宗教的背景は『訳者あとがき』によると、十世紀末、キエフ大公のウラジーミル一世は、南方のビザンツ帝国からキリスト教を受け入れた(「ルーシの洗礼」)。それからルーシ全域にキリスト教(正教)が広がっていき、本作の時代設定である十四世紀の半ばには、主人公一家が暮らす北部の小さな村にもキリスト教の教会があって、信仰は定着しているようにみえる。しかし、その一方でルーシの人々は、大昔から信じて捧げ物をしてきた、自然や身近なものに宿る様々な精霊(チョルト)のことも忘れていなかった。
ピョートル・ウラジーミロヴィチ:ペーチャと呼ばれる。
マリーナ・イワノヴナ:イワノヴナはイワンの娘の意。マルーシカと呼ばれる。
ニコライ・ペトロヴィチ:ペトロヴィチはピョートルの息子の意。コーリャと呼ばれる。
アレクサンドル:サーシャ、サーシカと呼ばれる。
オリガ・ペトロヴナ:ペトロヴナはピョートルの娘の意。オーリャと呼ばれる。
アリョーシャ:リョーシカと呼ばれる。
ワシリーサ:ワーシャ、ワーソチカと呼ばれる。
イリーナ:イリンカと呼ばれる。
セルゲイ・ニコラエヴィチ:ニコライの息子の意。セリョージャと呼ばれる。
アヴドーチャ・ミハイロヴナ:ドゥーニャ、ドゥーニャシカと呼ばれる。
イワン・イワノヴィチ:イワンの息子の意。
大斎(おおものいみ:復活祭まえにキリストの受難にちなんで身を清め、食事の節制や告解を行う期間)の節食で六週間、黒パンと発酵キャベツしか食べられなかった
イコン:正教会で信仰・崇拝の対象とされる聖画像
イコノスタス(聖画壁:教会の奥の最も神聖な「至聖所」と信者が祈る「聖所」とをへだてるイコンの壁)の前にひざまずき、
生神女(しょうしんじょ)マリヤ:ロシア正教で聖母マリアのこと
濃厚なクワス(ライ麦パンを発酵させて作る、微アルコール性飲料)を作る
カーシャ:ソバや小麦、ライ麦などの粥
アリョーシャは七回目の名の日(自分と同じ名前の聖人の祝日)にナイフと弓をもらった
ふたりの着ている刺繡の施されたサラファン(ブラウスの上に着る、肩ひもつきのワンピースドレス)。オリガはエプロンの両端を持ち上げて、
女の召使が、履き古されたラーポチ(白樺の靭皮(じんぴ)で作られた粗末な履物)
細い三つ編みを、高い頭飾り(厚紙の上に豪華な布地をかぶせ、宝石やレース、金糸などで装飾したもの)の下からのぞかせている。
城塞の街クレムリン(都市の中心部をかこむ城塞)の巨大な木の門
イワン二世はイワン・クラスヌイ、美男公と呼ばれる。
府主教(正教会で、総主教に次ぐ高位の聖職者)のアレクセイは、コンスタンティノープル総主教から直々に叙任されたルーシ最高位の聖職者だ
タタール人:この物語ではモンゴル系の遊牧民族のこと。特に徴税によりルーシ全域を支配していたキプチャク・ハン国のモンゴル人をさす
ハン:キプチャク・ハン国の君主
タタール人の使者であるバスカク(モンゴルの徴税官)
「最も強い公がヤルルイク(勅許状)を得る。そのようにしてキプチャク・ハン国は領地の平穏を保ってきました」
キプチャク・ハン国の君主が住む首都はサライだ。
吟遊詩人となってグスラ(羊の革に馬の毛を張った民族楽器)を奏でる
自分は佯狂者(ようきょうしゃ:狂人を装い、市井を徘徊する聖人)となって、物乞いをしながら村から村へ渡り歩く運命なのかもしれない。ちがう、佯狂者はハリストス(ロシア正教でキリストのこと)によって守られている。
ヘラス:現在のギリシャ
パダスニェーズニク:春先に咲く小さな白い花、スノードロップ
書名:魔術師ペンリックと暗殺者
原題:The Assassins of Thasalon / Knot of Shadows
作者:ロイス・マクマスター・ビジョルド(アメリカ作家)
出版:創元推理文庫
内容:五神教の世界。オルバス大公ジュルゴに仕える宮廷魔術師ペンリック・キン・ジュラルドは、愛する妻ニキスと可愛い娘フロリナとともにオルバスの夏の都ヴィルノックで平和に暮らしていた。ある日、ティノの砦を守護するニキスの異母兄アデリス・アリセイディア将軍から急使が来て、ペンリックは大公宮に呼び出される。大公宮の玄関先では、アデリスと商人を装った軍人たちが馬から降りるところだった。大公の秘書官マスター・ストブレクの案内で、一行はジュルゴ大公に謁見する。アデリスは偽商人をセドニア帝国のグリア将軍だと紹介し、自分宛の伝言を話すようにいう。八カ月前、ニキスとアデリスの故郷セドニアで皇帝が崩御し、九歳のミカル皇子が新帝として即位した。だが、新帝を補佐する人々の間で権力闘争が起きる。まずは、摂政会議の一員である新帝の叔父ラガト・ラフォニ公が突然死し、さらにラガト公の子息エルロ卿がルシリ討伐戦で戦死した。その影響で国内は混乱しているという。新帝の異母姉であるラリス皇女と夫君ナーオ卿はメサニ大臣の暗躍を疑い、ひそかに急使としてグリア将軍を派遣したのである。そして、アデリスはセドニアに帰還し、西部方面軍の指揮を執るように要請された。アデリスは家族に相談したいと返事を保留し、密使を大公宮に残して帰宅しようとした。アデリスとペンリックが階段に出たとき、其処には掃除中の召使がいた。二人が気に留めず通り過ぎようとした途端、ペンリックの中に巣くう魔デズデモーナ(デス)が警告を発し、素早く力を放った。掃除婦の正体は里居(さとい)の魔術師で、アデリスの頭を狙って力を放ったのだ。デスに暗殺を阻止された若い女は逃げ、ペンリックは衛兵に後を追うように指示する。騒ぎを聞きつけた衛兵隊長とストブレクが駆けつけてきた。暗殺者を追跡した衛兵が戻ってきて、見失ったと報告した。暗殺者はメサニの指図だろうとアデリスは断言し、ペンリックは砦の診療所にいる神殿魔術師デュブロを呼んで大公の護衛をさせるように進言する。脳震盪を起こしたアデリスを介抱しつつ、ペンリックは共同摂政ラガト公の死は魔術師による暗殺だったのだろうと判断した。魔術師には人を殺せない筈ではなかったのか?と、アデリスに詰問されたペンリックは、殺人を犯した魔は庶子神に取り上げられてしまうと答える。だから通常は魔術師も魔も拒否するのだが、初めて人に取り憑いた生まれたばかりの素霊ならば可能だろう。デュブロ学師と入れ替わりに帰宅したペンリックたちは、ニキスやニキスの母イドレネとアデリスの命が狙われていることを話し合う。今回で五度目になる暗殺未遂に腹を立てたアデリスは、セドニアへの帰還を決意する。日没後、人目を忍んで屋敷の裏口にストブレクが現われた。大公の手配した海軍のスループ帆船で帝国の首都ササロン付近の海岸を目指すことになったアデリスに、未熟な魔術師は船に乗れないからとペンリックは賛成する。翌日の夜、闇に乗じてアデリスとグリアたちは出航した。一方、ペンリックの自宅には療養中のアデリスが滞在していると見せかけ、家族は他所に避難させていた。ペンリックが待ちかまえていると、女魔術師が二階の寝室を目指してロープをのぼりはじめた。魔の力でロープを切ると、ペンリックは落ちてきた女の身体を受け止め、医療魔術の技で気絶させた。だが、女の補助をしていた男は衛兵を振り切って逃げてしまう。女魔術師を壺牢に閉じ込めたペンリックは見張りをデュブロに任せると、冬の都ドグリタの庶子神教団に使者を送った。翌日の昼頃、食事を持参して壺牢の中に入ったペンリックに対して女魔術師は黙秘すると言った。だが、メサニ大臣の子飼いで鼬の素霊が憑いた魔術師だろうと正体を言い当てると、彼女は共犯の男ラッチが捕まったと勘違いする。ペンリックが情報を引き出すために誤解させたまま誘導尋問すると、女魔術師アリクストラは五歳の息子キッティオを人質にとられて暗殺を強要されたと白状する。メサニの召使だったアリクストラに素霊を与えて暗殺の技術を教えたのは、メサニに仕える神殿魔術師トロニオだという。敵と内通している裏切り者だと言われて、ラガト公以外の人物も殺したとアリクストラは告白した。そして、船乗りの夫を失って未亡人だというアリクストラが今回の仕事を成功させなければ、息子を去勢して奴隷に売り飛ばすと脅迫されていた。三日後の昼時、ペンリックの屋敷に庶子神教団の聖者イロキが訪ねてくる。ペンリックは聖者を伴って壺牢に赴き、アリクストラに面会する。アリクストラの魔を除去する為だったのだが、聖者に降臨した白の神(=庶子神)は「こたびはわれの遣わせし音物(いんもつ)を丹精せよ」と宣告した。神が去った後、震えるアリクストラに「おめでとう、あなたは魔術師になったのです」と、ペンリックは祝福する。そして、嫌々ながらもペンリックは悟った。この三人でササロンに赴き、瀆神行為に手を染めた大臣子飼いの魔術師トロニオの魔を処理しなければならない。ドグリタの上流にあるペフ村の漁師だったという聖者は旅の経験がないと戸惑うが、庶子神の思し召しであれば従うしかない。アリクストラに息子を助ける手伝いを申し出たペンリックは、彼女を弟子にする。それから秘かにアリクストラを庶子神教団宗務館に移動させる。ペンリックは一連の出来事をジュルゴ大公に報告し、ササロンへの旅の援助を取り付ける。帰宅したペンリックは、ニキスとイドレネに陸路の間諜用ルートでササロンに向かうことになったと告げる。二人はセドニアの貴族令嬢で、アデリスの非公式な婚約者タナル・ザーレとその秘書兼護衛スラコス・ボシャの協力を得るべきだと助言する。翌朝、髪を染めて古書商人に偽装したペンリックは、妊娠中の妻と愛娘に別れを告げて家を出た。聖者とアリクストラは商人の使用人に変装し、大公手配の馬車に乗り込んだ三人は旅立つが……【ササロンの暗殺者】。アデリス暗殺未遂事件から半年後の冬、息子ルレウェンが生まれ、ペンリックは幸せに過ごしていた。ところが、海から引き上げられた死体が遺体安置所で動き出したと、母神教団診療所からペンリックは呼び出される。魔の視覚で診察したペンリックは、男性の体に本来の魂ではない幽霊が憑依していることに気付く。これは「死の魔術」が行われた際に起きる現象で……【影の結び目】。
※本書には、長編「ササロンの暗殺者」と中編「影の結び目」を収録。二作品とも2021年発表。
※前巻『魔術師ペンリックの仮面祭』収録の「ヴィルノックの医師」から二年後、ペンリックは三十五歳、愛娘フロリナは二歳になっている。
リーナ:フロリナの愛称
アトリウム:広間
パーゴラ:四阿
鵞筆
赫怒(かくど:激しく怒ること。)
車輪のハブ(轂)がなくなったいま、スポーク(輻)はばらばらになるだろうか。
書名:こうしてぼくはスパイになった
原題:How I Became a Spy: A Mystery of WWⅡ London
作者:デボラ・ホプキンソン(アメリカ作家)
出版:東京創元社
内容:第二次世界大戦中のイギリス。1944年2月18日金曜日の夕方、ロンドンに空襲警報が鳴り響いていた。13歳のバーティ・ブラッドショーは、民間防衛隊のメッセンジャー(伝令係)として初めての任務で自転車を漕いでいた。大あわてのバーティは懐中電灯を忘れたうえに、メッセンジャーの印である「М」が書かれた鉄製ヘルメットが見つからなくてブリキの鍋を赤毛の頭にかぶっていた。自転車のかごに乗せた相棒のスパニエル犬リトル・ルー(LR)が落ちないように右手で押さえ、片手で角を曲がったとたん、バーティはマドックス・ストリートの真ん中に立っている女の子に気付く。バーティは「あぶないよ!」と声を張りあげ、とっさに避けたものの間に合わず、二人と一匹が地面に転がる。立ち上がったバーティは女の子に手を差しのべるが、彼女は怒っていて自分で起き上がった。声のアクセントから女の子はアメリカ人だと分かる。いまロンドンにはフランス上陸作戦の準備のためにアメリカ人が沢山いた。だけど、バーティはアメリカの参戦が遅れたことを不満に思っていた。それを押し隠して、バーティは女の子に防空壕への避難を勧める。この避難勧告も民間防衛隊で働くボランティアの仕事の一つなのだ。そのとき爆弾が投下され、バーティはLRと急いで地面に伏せる。爆弾は一、二ブロック先に落ちて地面が揺れた。地面に伏せた女の子は立ち上がって走り出し、バーティはその背中に防空壕の場所を大声で告げる。バーティが落ちた鍋を拾うと、LRは何かを咥えてきた。そこへ背後から足音が聞こえ、バーティは振り返る。夫婦らしき男女が歩いており、その後ろを目をギラつかせた若い男性が走ってくる。先ほどの女の子と同じ方向へ向かう三人に、バーティは避難勧告をした。それからLRが足元に置いた物を見る。それは小さな赤いノートだったので、バーティはズボンのポケットに入れた。そして、指揮所で待機している隊長たちのもとへ向かおうとしたのだが、LRが地面の匂いを嗅ぎながら狭い脇道に入ってしまった。LRは瓦礫に埋もれた人たちを見つけるための訓練を受けた救助犬だが、この通りは爆撃されていない。バーティが怪訝な気持ちで後を追うと、路地は暗闇だった。左側にゴミ容器が置かれており、LRが何やら大きなものの匂いを嗅いでいた。それは倒れた若い女性だった。バーティの声に返事はないが、女性の額に手をあてると冷たくないことに安堵する。生きていると分かったのでバーティはジャンパーを脱いで女性にかけ、「応援の人たちを連れてきます」と言って離れた。バーティが再び自転車をこぐうちに、警報解除のサイレンが鳴り始めた。数分後、民間防衛隊の指揮所に到着したバーティは、ホークスワース(ホーク)隊長と黒人のイタ隊長に倒れていた女性の件を報告する。バーティから話を聞いた両隊長は、女性が倒れていた場所はミル・ストリートだと割り出して警察と救急隊に電話した。バーティがホーク隊長と自転車で現場に戻ると、ミル・ストリートの入り口に若い巡査のジミー・ウィルソンが立っていた。ホーク隊長とジミーが挨拶を交わしていると、ミル・ストリートの暗がりからジョージ・モートン巡査がしかめっ面で現われた。「ここには誰もいません」とジョージはホーク隊長に告げ、バーティが嘘をついていると考えているようだ。バーティが本当に此処に女性がいたと主張すると、ジミーは「ここに居た女性は去ったのだろう」と言った。バーティは通りを調べたが、自分がかけたジャンパーも残されておらず、何の痕跡もない。結局、誤報だと救急車を戻し、バーティも帰宅した。バーティの今の住まいはトレンチャード・ハウスだ。百人以上の警察官が暮らす官舎で、巡査部長である父親が建物の管理人を兼ねている。自宅には誰も居なかった。母と兄のウィルは此処に居ないし、父親は仕事だ。土曜日の早朝、目覚めたバーティは昨晩の出来事を思い出し、拾ったノートを取り出した。赤いノートに名前はなかったが、あのアメリカ人の女の子が落としたものだろう。バーティは好奇心を抑えられず、中身を読み始める。そして、『フランス上陸は間近。』という最初の文章を目にする。バーティは驚愕し、続きを読む。これは秘密諜報員になるための訓練を受けた女性が記したものらしい。しかも特殊作戦執行部(SОE)の住所や講義の内容が具体的に書かれたノートは、後半が暗号文になっていた。とてもアメリカ人の女の子の創作だとは思えない。バーティはノートを隠すと、ドイツから迫害を逃れてきたユダヤ人の友だちデイヴィッド・グッドマンの家を訪ねた。兄ウィルと同じくシャーロック・ホームズが好きなデイヴィッドは、探偵になるのが将来の夢なのだ。バーティが暗号について尋ねると、デイヴィッドは月曜日に暗号を扱ったホームズの本を読ませてあげると約束する。バーティは朝食のためにトレンチャード・ハウスに帰ると、ちょうど父親が食事中だった。どうやら昨晩の件を知っているらしい父親は、バーティが規則通りにヘルメットを被っていなかったことなどを注意した後、母と兄に会いにサリーへ行くと話す。バーティも一緒に行こうと誘われるが、嘘を吐き、伝令係の仕事を頑張ると約束して家を出た。LRを連れたバーティは、昨夜の暗闇で見落としが無かった確認するためにミル・ストリートへ向かった。其処には何もなかったが、ジョージに出会う。1940年のダンケルクの戦いで負傷して退役したジョージの顔には傷痕が残っている。バーティがアメリカ人兵士を見るためにグロヴナー・スクエアに行くと言うと、ジョージは裏切り者や二重スパイがロンドンにいると話す。バーティは機密が書かれたノートの事を考え、女性が倒れていた現場にいたジョージが怪しく思えてしまう。バーティはメイフェア地区にあるグロヴナー・スクエアで、昨夜の女の子を探すが見つからない。バーティは伝令係の当番を思い出し、諦めて帰宅することにした。バーティは帰る途中、「ハンフリー親方の時計店」のショーウインドウを覗き、ガラスに映った若い男性に気付く。なぜか見覚えがある気がしたバーティは思い出す。昨夜の空襲の時に見かけた男性だ。ただの偶然だと自分に言い聞かせながら歩き出したバーティは、しばらく後に振り返るとまた男性が道路の向こう側にいた。あの男性は機密の書かれたノートを追っているのかもしれないと、バーティは思い当たる。このまま家に帰るのはまずいと考えたバーティは、ひとまずシャーロック・ホームズが住んでいたとされるベイカー・ストリートへ向かう。バーティはノートに書かれていた監視についての教えを思い出しながら、犬の散歩を装って歩いた。そして、バスから降りてきた一団に紛れ込んで道路を渡り、バーティは男性をまいた。今度は男性をクオリー(quarry=獲物)に見立てて「Q」と呼び、背後からバーティが尾行する。黒いコートを着た黒髪のQは、ベイカー・ストリート64番地のオフィスビルに入っていった。『相互勤務調査局』と書かれたプレートが張られている。そこへ黒い犬が近付いてきて、飼い主の女性をドアの方へ引っぱる。「ここが、あの人の仕事場なのね」と女性が呟いた時、ドアが開いた。バーティは素早く体の向きを変えてビルから離れ、靴屋のウインドウを覗いた。背後をうかがうと、出て来たのはQより年上の男性で、女性を「ジュリア」と呼んで詰問する。女性は「ヒーローがあなたの仕事場に連れてきた」と答えた。どうやら奥さんはご主人の仕事を知らないようだ。その場を離れたバーティは、相互勤務調査局は戦争と関係があるに違いないと考えた。そのときノートに記された言葉が頭に浮かぶ。『SОEの諜報員はベイカー街遊撃隊と呼ばれることがある。本部がシャーロック・ホームズの住んでいたベイカー・ストリートにあることに由来している。』相互勤務調査局はSОEの隠れ蓑なのだろうか。ようやくトレンチャード・ハウスに帰ってきたバーティは、腕を掴まれた。昨晩のアメリカ人の女の子が、「ずっとあなたをつけてた。あれを返して」とバーティに迫る。ノートを返したくないバーティは話題を変えようと、女の子にどうやって尾行したのか尋ねる。「赤毛を人ごみの中で見つけるのは簡単」と言われてバーティはため息を吐く。でも、女の子はQには気付いていないし、あのノートを書いた秘密諜報員でもない。それでバーティは、ゴールデン・スクエアの公園で話し合いたいと提案する。バーティが名前を尋ねると、女の子は「エレノア・シェイ」と名乗り、ルーズベルト大統領夫人にちなんで名づけられたと説明する。バーティと同い年のエレノアは、バーティがノートを読んだと聞くと声を荒げた。エレノアは中身を読んでいないと悟ったバーティは、ノートの持ち主について質問する。エレノアは最初は答えなかったが、やがて「持ち主が取りに来るまで預かっているだけだ」と打ち明けてくれた。バーティが昨晩の空襲の直前に黒髪の若い女性から預かったのではないかと追及すると、エレノアはびっくり顔になる。バーティは昨晩の出来事をエレノアに説明した。エレノアは秘密にするようバーティに約束させてから、消息不明になった女性について話し始めた。ノートの持ち主の女性は、ヴィオレット・ロミという23歳のフランス人女性で、エレノアの家庭教師だったという。去年の春に仕事をやめて、昨日は何カ月かぶりで二人は再会した。ノートを預ける時にヴィオレットは「木曜日の夕方。その時のために罠を仕掛けた。金曜日までにわたしから連絡がなければ……」とエレノアに囁いたという。事情を聞いたバーティは、ヴィオレットが教師を辞めたあと、諜報員になる訓練を受けてフランスへ行ったらしいとエレノアに教えた。さらにバーティがノートの暗号に言及すると、ヴィオレットの身を心配するエレノアに、二人で行方を突き止めて手助けしようと約束する。そのとき空襲警報が鳴り出す。バーティは伝令係の仕事道具を取りに家に戻り、エレノアは一足先にLRを連れてメイフェアの指揮所に向かった。後から自転車で指揮所に到着したバーティは、インシデント(爆弾が直撃した場所を指す)の現場にエレノアとLRが送り出されたことを知る。エレノアは傷病動物援護会(PDSA)のボランティアをしており、イタ隊長とは顔見知りだった。そして、「救急車の手配をした」というイタ隊長の伝言を届けるために、バーティも現場に送られる。崩壊した建物のそばで、バーティとエレノアは救助活動中のLRを待っていると、子どもの悲鳴が聞こえた。バーティは前に住んでいた家に爆弾が直撃した時の経験を思い出し、気分が悪くなる。倒れそうになったバーディを父親がつかまえ、深呼吸させる。十分後、バーティは回復し、生き埋めになった母子が救助され、LRも戻ってきた。エレノアはバーティの父親やイタ隊長と挨拶を交わし、今週の放課後に指揮所の会議室で宿題をする許可を得た。この時エレノアの父親が大学教授で戦略情報局(ОSS)で働いていることをバーティは知る。日曜日、サリーに住んでいる従兄のジェフリーが訪ねて来て、バーティを散歩に誘い出す。アメリカ軍の将校に会えるかもしれないと、グロヴナー・スクエアに連れて行かれたバーティは、アイゼンハワー将軍の飼い犬テレックを散歩させていたアメリカ軍人に遭遇する。スコティッシュ・テリアのテレックがLRにじゃれついたのだ。月曜日、デイヴィッドに本を借りたバーティは、指揮所でエレノアと落ち合う。エレノアはОSSで働く父親から聞いた暗号について説明し、二人でノートを解読しようとするが行き詰まる。そこでバーティは、仲間にデイヴィッドを加えようと提案する。火曜日、三人はカーゾン・ストリートの「ヘイウッド・ヒル書店」で顔を合わせた。エレノアが店員に交渉して二階の一隅を使わせてもらい、三人は暗号解読に取り組むが……。子どもたちの勇気と謎解きを描く歴史ミステリ。
物語の合間に暗号文の例題が挿入されており読者が挑戦でき、巻末に解答が掲載されている。
※原書初版2019年
※「著者あとがき」によると、本書は第二次世界大戦中のさまざまな出来事に発想を得たフィクション。物語の中では実在の歴史上の人物を何名か登場させているが、彼らの行動やセリフは完全に創作で、史実とは無関係のフィクションである。
※本書の歴史的背景は「著者あとがき」と「訳者あとがき」によると、1939年9月、ポーランドにドイツ軍が侵攻すると、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まる。1940年6月、フランスはドイツに降伏し、その後はドイツ占領下での抵抗運動(レジスタンス)が始まった。一方イギリスでは、ロンドン市民は食料の配給制、灯火管制、1940年から41年にかけてのザ・ブリッツとして知られるドイツ軍による大規模な空襲に耐えた。空襲は1944年に再び始まり、一連の爆撃はリトル(小型版)ブリッツとして知られるようになった。アメリカの第二次世界大戦への参戦は1941年12月。物語の時代設定である1944年、ドイツ軍はソ連の対ソ連の東部戦線で全面的に敗退し、アメリカとイギリスを中心とする連合国軍は、アイゼンハワー将軍の指揮のもと、フランス上陸作戦を秘密裏に進行させていた。
※特殊作戦執行部(Special Operations Execuive=SОE)は、第二次世界大戦中のイギリスに設置された組織。ナチスに占領された国々で諜報活動や破壊工作をおこなうために男女問わず一般市民が部員として採用された。SОEでの訓練の講義内容は『特殊作戦執行部マニュアル:ドイツ占領下のヨーロッパにおいて諜報員になるための教本』(ロンドン:ウィリアム・コリンズ、2014年)としてまとめられて出版され、本書では『SОEマニュアル』として抜粋引用されている。訓練後、彼らの多くはナチス・ドイツに占領されていた国々へパラシュート降下し、危険な任務に従事した。
※戦略情報局(ОSS)はアメリカの情報機関で、現在の中央情報局(CIA)の前身。アメリカの大学教授ら数名がロンドンのОSSで働き、グロヴナー・スクエア近くに住んだ。
※Dデイは軍事作戦用語で、たんに作戦の開始日をあらわす(同じように『Hアワー』は作戦の開始時刻をあらわすのに使われる)。歴史上もっとも有名なDデイは、1944年6月6日の連合国軍によるノルマンディー上陸の日だ。
トーチ(懐中電灯:アメリカ人が『フラッシュライト』と呼ぶもの)
スコットランドヤード:ロンドン警視庁
「わたしはつねにエレノアで通してる。エリーとかエラとかネルとかじゃなく。いつでもエレノア」
書名:エイレングラフ弁護士の事件簿
原題:Defender of the Innocent: The casebook of Martin Ehrengraf
作者:ローレンス・ブロック(アメリカ作家)
出版:文春文庫
内容:殺人罪の容疑で逮捕された息子クラークの無実を信じる母ドロシー・カルヘインは弁護士事務所を訪ねる。カルヘイン夫人を迎えた瘦身矮躯(そうしんわいく)の弁護士マーティン・エイレングラフは、乱雑なオフィスとは正反対の上等な仕立ての衣服を隙なく着こなすお洒落な男性だ。エイレングラフが他の弁護士とは違うところは、成功報酬制であることだ。依頼人が有罪判決を受けた場合は、経費も含めて一切の報酬を受け取らない。そして、エイレングラフが成功とみなすのは無罪判決ではなく、法廷に出ることなく依頼人が嫌疑なしで釈放されることだという。だが、今回の事件ではクラークに不利な証拠が揃っている。絞殺された女性アルシア・パットンは、クラークのフィアンセだが仲は破綻しており、凶器に使われたネクタイはクラークのものだとみなされている。というのも、そのネクタイはイギリスのオックスフォード大学のキャドモン会の会員だけが着用するもので、クラークは留学した際にキャドモン会に入会しているのだ。さらにクラークには事件当夜のアリバイもない。カルヘイン夫人は、息子に濡れ衣を着せるために何者かがネクタイを盗んだのだと主張する。エイレングラフは七万五千ドルという高額な報酬料金で依頼を受ける。そのとき、彼はカルヘイン夫人に念押しをした。「仮に今から十分後に検事が自発的に起訴を取り下げ、私がそのために何の働きをしていなかったとしても、あなたは報酬を支払わなければなりません」カルヘイン夫人は、前金として一ドルだけエイレングラフに渡して事務所を出た。それから一カ月ほどして、カルヘイン夫人は再び事務所を訪れた。アルシア・パットンと同じようにキャドモン会のネクタイで女性が絞殺される事件が三件も起きたため、クラークの容疑が晴れたのだ。しかし、カルヘイン夫人は何もしていないエイレングラフが大金を手に入れるなんて虫がよすぎると言い出し、報酬を一万ドルに減額しようとする。すると、エイレングラフは自分の働きを語り出し……【エイレングラフの弁護】。裁判で弁護することなく勝つ弁護士エイレングラフ。彼は法外な報酬でどんな被告人も必ず無罪にしてみせる。たとえ真犯人でも……。絶対負けない弁護士エイレングラフの短編集。
※本書は、2014年に刊行された『Defender of the Innocent: The casebook of Martin Ehrengraf』を底本としているが、1994年に『Ehrengraf for the Defense』という限定250部の本も出ていた。その後に発表された4篇を加えたのが完全版である本書だ。
<収録作品>
●エイレングラフの弁護 (原題:The Ehrengraf Defense 初出1976年)
●エイレングラフの推定 (原題:The Ehrengraf Presumption 初出1978年)
●エイレングラフの経験 (原題:The Ehrengraf Experience 初出1978年)
●エイレングラフの選任 (原題:The Ehrengraf Appointment 初出1978年)
●エイレングラフの反撃 (原題:The Ehrengraf Riposte 初出1978年)
●エイレングラフの義務 (原題:The Ehrengraf Obligation 初出1979年)
●エイレングラフの代案 (原題:The Ehrengraf Alternative 初出1982年)
●エイレングラフの毒薬 (原題:The Ehrengraf Nostrum 初出1984年)
●エイレングラフの肯定 (原題:The Ehrengraf Affirmation 初出1997年)
●エイレングラフの反転 (原題:The Ehrengraf Reverse 初出2002年)
●エイレングラフの決着 (原題:The Ehrengraf Settlement 初出2012年)
●エイレングラフと悪魔の舞踏 (原題:The Ehrengraf Fandango 初出2014年)
ピース・オブ・ケーキ:お茶の子さいさい
※"piece of cake"は「簡単なこと」を表す英語のスラングで、第二次世界大戦中に英国空軍が慣用句として使い始めた。実際に使われるときには "a" が付いて "a piece of cake" 。直訳すると「ひときれのケーキ」。"piece of cake" の語源は「黒人のダンス」を意味する英語の名詞 "cakewalk" だと思われる。"cakewalk" の由来は、十九世紀の米国のプランテーションで黒人奴隷の間で行われたダンス。プランテーションのオーナーがダンス・コンテストを開催し、コンテストの優勝者にケーキを与えたらしい。このダンスが発展したのが "cakewalk" 。現在でも "cakewalk" は「簡単なこと、簡単に得られる勝利」の意味で用いられる。他にも「とても簡単な」を意味する慣用句 "easy as pie" がある。 直訳は「パイのように簡単」だが、これは「パイを食べるように簡単」という意味。だから「ケーキを食べるのと同じくらいに簡単」という発想になる。
「商品名はサイドネックスっていいます。ダッシュボードの上に置くプラスティックのフィギュアなどを成形するときに使われる結晶性の炭化水素で、無味無臭の有毒物質です。」
「エリザベスの愛称にはエルシーだけでなく、リジーというのもあります」
ヴァン・ダイク髭:バロック期のフランドルの画家アンソニー・ヴァン・ダイク(1599–1641)にちなんで名付けられた髭のスタイル。口髭と顎(ヤギ)髭の両方を生やし、頬の毛をすべて剃ったもので構成される。ただし、この特定のスタイルにも、カールした口髭とカールしていない口髭など、多くのバリエーションがある。
「いちばんぴったりくるのが『ファンダンゴ』って言葉ね」
「スペインの舞踏よ。そこから派生する意味がいくつかある。少しまえに見たウィキペディアによれば、揉めごととか、大騒ぎとか、偉業とか」
書名:円環宇宙の戦士少女
原題:Defy the Stars
作者:クローディア・グレイ(アメリカ作家)
出版:ハヤカワ文庫SF
内容:地球と四つの植民惑星が『ゲート』と呼ばれるワームホールでつながれた通称『ザ・ループ(円環宇宙)』の世界。植民惑星の一つジェネシス星には豊かな自然と資源があり、住民たちはこの美しい環境を守るために科学技術文明を制限して、宗教をよりどころに生活している。一方、地球は科学技術の濫用によって環境が荒廃していた。そこで地球からジェネシス星へ大量移民しようと計画したが、ジェネシス側は拒否したため独立戦争が起きた。この戦いにジェネシス星は勝利した筈だったが、三十年後の現在、再び戦争の真っ只中にある。二年前に地球軍が再来し、ジェネシス・ゲートから次々と軍艦が現われ、強力なメカ(機械人間)の兵士が送り込まれているのだ。最新兵器の地球軍に対し技術面で劣勢のジェネシス軍は、老朽化した七十五隻の軍艦と戦闘機で自爆攻撃を仕掛け、ゲートを機能停止させる作戦を立案する。侵攻を一時的に遮断するこの計画は、ユダヤ史の故事にならってマサダ作戦と名付けられた。この作戦に志願したノエミ・ビダル少尉は、十七歳の少女。作戦決行の二十日前、ノエミは宇宙戦闘機のパイロットとして予行演習に参加していた。同い年の親友エスター・ガトソンも、マサダ作戦の予定軌道をマッピングする任務で一緒にいる。エスターは孤児になったノエミを引き取って養育してくれたガトソン夫妻の実子で、二人は一緒に育った。ノエミはエスターを守りたくて作戦に志願したのだ。ところが、突然現れた敵艦隊のせいで演習は中断される。急遽ノエミたちは戦闘機に搭乗し、発艦ベイから宇宙空間に飛び出す。エグゾスーツ(戦闘用宇宙服)を着た敵のメカは、人間そっくりな戦闘モデルのチャーリー(C)とクイーン(Q)だ。混戦のさなか、ノエミは無防備な偵察機に搭乗するエスターを心配する。つぎつぎと敵兵を撃ち、数が減ったところでノエミはエスターを探し出す。そのとき、メカの一体が戦闘宙域を離脱してゲート周辺の瓦礫帯へ向かっていることに気付く。あのメカはエスターを追跡しているのではないか。窮地の僚機を掩護するのも任務だと、ノエミは加速して後を追う。だが、メカを破壊する前にエスター機が襲われ、機体に穴が開く。ノエミは悲鳴をあげ、メカが前方に遺棄された民間の宇宙船へ移動しようとしたところを撃って四散させた。だが、戦闘中に母艦へ戻るのは無理だ。となると、放置された宇宙船に医務室がある可能性に賭けるしかない。慌ててエスター機を曳航(えいこう)したノエミは、涙滴型の宇宙船のドッキングベイを目指す。遺棄船の磁気センサーが働いて入口のドアが自動で開くと、ノエミは喜んで中に入る。だが、三十年ほど放置されていた地球船ダイダロス号の機材用ポッドベイには、すべての機械人間を設計した天才バートン・マンスフィールドが自身のために造った特別な機械人間アベルが閉じ込められていた。マンスフィールドの生物DNAを体内に組み込まれ、マンスフィールドの若い頃に似たハンサムな容貌のアベルは他の二十五種類のメカすべての技能と知能を組み込まれている。マンスフィールドに「息子」と呼ばれるアダムは、「お父さん」と呼ぶマンスフィールドを最優先とするプログラムになっている。三十年前、ジェネシス・ゲートの調査に来ていたダイダロス号は第一次独立戦争に巻き込まれた。そのあとの長い停戦期間をへて、二年前から戦争が再開され、いまダイダロス号の近くで戦闘が行われている。アベルは地球へ帰還するべく、閉じ込められたポッドベイの窓からハンドライトを点滅させて地球軍に信号を送った。だが、ジェネシス機が女性型戦闘モデルのクイーンをブラスターで破壊した。そして、敵のジェネシス兵二機がダイダロス号に乗りこんでくるのをアダムは見た。マンスフィールドの命をおびやかすものは最優先で排除せねばならない。負傷した同僚を救助するために来たなら、パイロットは医務室を探すだろう。もしマンスフィールドが冷凍睡眠についているなら、敵軍の侵入は看過できない。人間が乗り込んだおかげで船の電力が復旧し、三十年ぶりにポッドベイのドアが開くと、アベルは恩人を射殺すべく医務室へ走る。そんな事情は知らないノエミは、エスターが重傷を負ったと確認すると、あせって船内配置の情報を得ようとする。だが、ノエミの呼びかけにコンピュータは答えない。経年劣化と考えかけたノエミは、システムをロックした敵の存在を疑ってぞっとした。ノエミは敵を警戒しながら、船の最下層にあるドッキングベイから医務室を探して駆けあがる。最上層に近づきそろそろ医務室があるはずのところで、ブラスターの閃光が床を焼いた。反射的に避けたノエミは応戦するが、医務室への進入路を敵に塞がれたことに恐怖する。このままではエスターを救助できない。だが、敵の正確な応射で、ノエミはメカの存在を悟る。アベルの方はマンスフィールドの安否確認を優先して銃撃戦をやめ、医務室に駆け込んでドアをロックする。そして、冷凍睡眠装置が未使用状態であることを確認した。マンスフィールドが船に残っている可能性が低いことは分かっていた。三十年前、マンスフィールドを含む人間の船員は船長の命令で船外退避することになったが、アべルはデータをゲートのむこうへ射出するために別行動をとり、そのまま取り残されて孤立していたのだから。そこへ、医務室の鉄扉をビームで破壊して蹴り開けたノエミが現われる。アベルはプログラムに従いジェネシス兵に名乗る。「わたしはマンスフィールド・サイバネティクス社のメカ・シリーズ、1A型です。本船に乗船した人間の最上位指揮権者に服従します。現在それはあなたです」アベルと相対したノエミは、自分の正気を疑った。アベル(A)というメカ。ダリウス・アキデ元老の講義によれば、メカの標準生産型は二十五種類で、ベイカー(B)からゼブラ(Z)までのアルファベット規則の命名になっている。ジェネシス人としてノエミもメカの全モデルの顔を記憶している。アベルの顔はそれらと異なる。A型は実験目的の試作型のはずだ。アベルが手放したブラスターを拾ったノエミは、エスターの治療を命じる。アベルによって医務室に運ばれたエスターだが、診断の結果肝臓が破裂しており手術が必要だという。幸いアベルは全モデルの専門性をプログラムされており、医療特化モデルのテア(T)と同じく治療行為が可能らしい。ダイダロス号にストックされている人工臓器を使用すると説明したアベルに、治療台からエスターが拒否の声をあげる。信仰に厳格なガトソン夫妻に育てられたエスターには受け入れられないのだろう。そのうえ、アベルも患者本人による尊厳死の意思決定を尊重するようプログラムされていると答えた。歯噛みするノエミは、エスターを説得しようとするが受け入れられない。そこへアベルが冷凍睡眠による延命を提案する。それに飛びついたノエミがアベルに準備を命じ、エスターに向き直ると既に息を引き取っていた。アベルを責めるノエミは、親友を死なせたメカを憎悪した。アベルを船外遺棄しようとしたノエミだが、魂のないプログラムには罪はないと思い直す。ダイダロス号のブリッジに立ったノエミは、これからの計画を立てようとアベルに問いただす。ダイダロス号は船主のバートン・マンスフィールドが特注仕様した調査船だと知ると、ノエミは驚く。バートンはマンスフィールド・サイバネティクス社の創業者で、メカ・シリーズの設計をしたサイバネティクス技術者だ。ノエミは戦争の最中にジェネシス星系にバートン・マンスフィールドが来た理由を尋ねる。指揮権者に嘘のつけないアベルは、言いたくない事を答える。「ジェネシス―地球間のゲートに懸念される脆弱性の科学調査を実施していました」話の重要性に気付いたノエミはさらに追及した。そして、ゲートが破壊可能で、その手段が見つかったことを知る。アベルによると「高性能モデルのメカが操縦する機体に熱磁力装置を積み、ゲートの直前で起動すれば、ゲートの磁場が強まって中の気体が過熱し、ゲートは内部崩壊する」という。ジェネシス・ゲートを不安定化させることを狙ったマサダ作戦を上回る方法だ。母星を救えるし、犠牲になる人命も助かる。そして、高性能メカのアベルになら可能なのだとノエミは気付き、アベルも肯定した。だから、ノエミはアベルに「ゲートを破壊する」と命じる。命じられたアベルのプログラム内部には、地球への反逆行為に対して葛藤が生じている。地球への忠誠がアベルの行動規範に書かれているからだ。さらにジェネシス・ゲート破壊への協力と自己破壊を迫られていることに、アベルは反発も感じている。しかし、指揮権を持つ人間に服従しなければならない。アベルはダイダロス号の保護フィールドが不安定なため、修理する必要があるとノエミに告げる。そして修理に必要なT―7アンクスを入手するために、二人で話し合った結果キズミット星に向かうことになる。さらに熱磁力装置を盗むためにクレイ星にも行かなければならない。円環宇宙の仕組みは、地球ゲートを通ってストロングホールド星へ、ストロングホールド・ゲートを通ってクレイ星へ、クレイ・ゲートを通ってキズミット星へ、キズミット・ゲートを通ってジェネシス星へ、そして地球へ戻るのがジェネシス・ゲートである。しかし、キズミット星に向かうには、戦争のせいで機雷封鎖されて磁気機雷だらけの宙域を通ってキズミット・ゲートに入らなければならない。機雷原は人間のパイロットには有効だ。だが、高性能メカのアベルならば機雷をかいくぐって飛べる。ノエミは戦闘型のクイーンやチャーリーでも無理だと反論するが、アベルは彼らを上回る機能を有していると請け合う。結局アベルの言葉通りにダイダロス号はゲートに進入し、ワームホールを通り抜け、機雷群から離れた。ノエミが子供の頃に憧れた他所の星系への冒険だ。ノエミは入港に備えてジェネシス兵の暗緑色のエグゾスーツを脱ぎ、ダイダロス号に残っているジー船長の服に着替えた。そんなとき、入港検査官が船に乗り込んできた時に備えて、エスターの遺体を宇宙葬するようにとアベルが告げる。エスターを宇宙空間に捨て、永遠に漂流させるなど出来ないとノエミは拒む。ノエミは八歳の時に森を車で移動中に、独立戦争の不発弾で家族を喪った経験を話す。それを聞いたアベルは、キズミット星系の太陽にエスターを葬るように提案する。遺体は灰になるが、恒星は墓標になる。ジェネシス星からでも空を見上げれば見えると、アベルは説明した。この案を受け入れたノエミは、エスターに自分のロザリオを握らせて最後の別れを行った。こうしてキズミット星へ向かったダイダロス号に、メッセージが届く。ダイダロス号は退去するか、ウェイランド月基地で手続きをするように勧告される。高級リゾートであるキズミット星で過ごせるのは富裕層と特権階級だけなのだ。仕方なくキズミット星の衛星に向かうと、そこには何百隻もの多種多様な船が集まって混雑していた。船体にはあらゆる言語が見られ、旧式で老朽化した船ばかりだ。驚くノエミに、アベルは「バガボンド(漂泊民)の集団」だと教える。地球の経済的、環境的条件が悪化するにつれて、多くの人が脱出したが、ジェネシス星への植民が出来なくなったことで行き場を失った人々だという。恵まれた環境のジェネシス星と違い、他の植民惑星には大量の移民を受け入れる余地がないというのだ。月面基地に着陸すると、宇宙港内でバガボンドたちの行列に並ぶ。官僚業務に使用されるメカのジョージ(G)が近付き、ノエミはその魂のない人形の目にぎょっとする。アベルの偽造IDが審査に通ってホッとするも、コブウェブ検査を受けるように言われる。列に並んだ若いバガボンドの女性が『蜘蛛の巣(コブウェブ)』をかぶったように見える伝染性の病だと教えてくれる。外観検査だけだったためにメカのアベルも医学検査を通過できた。しかし、三十年前より物価が上昇していたために、港湾使用料を払ったあとに残ったクレジットでは船の部品を購入するには足りなかった。折しも「オーキッド音楽祭」の開催間近で賑わっている。作業員の仕事に目をつけるが、すでに人員は埋まっているという。先ほどのバガボンドの女性ハリエットとパートナーのザヤンも当てが外れて嘆いている。アベルは金を得るために自分が「売春」すると言い出す。セックスワーカーのフォックス型とピーター型のメカの基本技能もアベルには備わっているのだという。ノエミが愕然として反対すると、通りがかりの女性リコ・ワタナベが秘密を守れるならば仕事を斡旋すると二人に持ちかける。ノエミはハリエットとザヤンを示し、四人分の仕事がほしいと交渉する。仕事はリゾートの客に届ける荷物の仕分け作業だった。作業場の倉庫は、船の部品の倉庫に隣接している。アベルは警備が手薄になる音楽祭初日の終わりごろを狙って盗みに入ることも可能だと告げる。マサダ作戦決行前に戻る必要があるノエミは、五日働いてクレジットを貯めるより、翌日盗みに入る方を選択する。その日の宿泊はカプセル状の金属製の箱が積み重なった移動式ポッドだった。作業員が入ると順番に位置が入れ替わる。アベルはバガボンドの貧窮は移民を拒むジェネシス星の分離主義のせいだと言うが、ノエミは地球に従えばジェネシス星の環境も荒廃するため自分たちは正しいと主張する。翌日の夜になって前夜祭コンサートが始まると、仕事が中断した。作業員たちもホロ映像の花火を眺め、飲食とダンスを楽しむ。そのさなか、爆発が起き、ホロ映像に「治療団」のメッセージが映る。「この世界は地球の所有物ではない。ともに戦おう」爆発テロが起きたのだ。この騒ぎで宇宙船が離陸禁止になることを恐れた二人は離着陸エリアに向かうが、基地警備員のチャーリー型に見咎められる。アベルはチャーリーを突き飛ばし、壊れたメカは正体不明のメカとしてアベルのデータを送信する。基地が混乱しているこの隙に、ノエミは船の部品を盗むために倉庫に忍び込むことにする。T―7アンクスを手に入れた二人だが、そこへチャーリーとクイーンが現われる。クイーンは「アベル型を発見。マンスフィールドが帰還をお望みよ」と告げる。しかし、アベルは「わたしの現在の指揮権者はノエミだ。マンスフィールドの直接命令でなければプログラムを無効にできない」と宣言する。クイーンはノエミを殺すと決める。とっさに逃げたノエミはレーザーの監視グリッドを踏み、警報が鳴り出した。ノエミとアベルは店から走り出て、チャーリーとクイーンは降りてきた非常シャッターに挟まれ潰される。二人はダイダロス号に向かうが、リコに襲われる。リコは「治療団」のメンバーで、キズミット星へ爆発物を密輸しているところを見た二人が警察に通報すると疑っているのだ。ノエミは自分がジェネシス人だと明かし、共闘できると説得する。そこへ先程のクイーンとチャーリーが追いかけて来て、その場にいた全員が逃げ出す。二人はダイダロス号へ逃げ込み、離昇しようとするが、トラクター(牽引)ビームで船が拘束される。ノエミは船を急旋回させてビームを引きちぎる。船の修理を終えたアベルと交代すると、アベルの操縦で警備艇を振り切ってクレイ・ゲートを抜ける。次に向かうのはトップレベルの科学者とエリート学生しか居住できないクレイ星だ。過酷な環境のせいで地表に住むことが出来ず、地下に街を形成している星だ。ホロゲームの商人に偽装して着陸した二人だが、すぐに不法侵入者として手配されてしまい……。母星を救うために五つの星を旅するガール・ミーツ・メカボーイなSF小説。
※原書初版2017年
※小説の時代設定は、本文中でアベルが30年前を回想する場面で2295年と言及しているので、恐らく2325年であろうと推測される。
ホバーシップ:浮揚船
ホバーカー:浮揚車
パンデミック:大規模流行
AI:人工知能
炎はホログラフィ投影だ
書名:ギャラクティック・バウンティ 帝国を継ぐ者
原題:Imperial Bounty
作者:ウィリアム・C・ディーツ(アメリカ作家)
出版:ハヤカワ文庫SF
内容:バウンティ・ハンターを引退したサム・マッケイドは、氷河惑星アリス評議会首席政務官であるセーラと結婚し、惑星アリスただ一人の警官になった。ある日、マッケイドが惑星アリスに点在している小集落を巡回していると救難信号が鳴った。変異トナカイを飼育している牧場がアイスキャット(氷猫)に襲われ、牧場主も怪我をした。救護ヘリに運ばれる牧場主に懇願されたマッケイドは、アイスキャットを追っているうちに立場が逆転する。間一髪でつがいのアイスキャットを仕留めたマッケイドだが、闇夜の雪原で凍死の危機にさらされる。アイスキャットの亡骸を防寒服がわりにして夜明けを迎えたマッケイドのところに、友人のリコが迎えにやって来る。惑星アリス評議会警備主任でもあるリコによると、マッケイドのかつての同僚である地球帝国軍人スワンソン=ピアスが訪ねてきているという。厄介事だとマッケイドは顔をしかめるが、セーラが客人と一緒だと教えられた。二人は地球帝国航宙軍の艦長専用艇に乗り、上空で待機している巡宙艦「ヴィクトリー」に移動する。宙兵隊員に案内された部屋に入ると、夫を心配していたセーラが抱きつき、二人はキスを交わした。前回の事件(前作『天空の秘宝』)の功績で少将に昇進していたスワンソン=ピアスが、「皇帝捜し」をマッケイドに依頼したとたん、巡宙艦が攻撃される。魚雷によって巡宙艦の護衛駆逐艦が大破し、巡宙艦も二発被弾した。防御シールドが展開されて攻撃が止むと、スワンソン=ピアス少将は部下からの報告を受けた。それによると、姿を消した敵艦の特徴は地球帝国航宙軍の艦(ふね)と一致しており、敵対勢力に奪われたものだろうという。マッケイドは改めて行方不明の皇帝について尋ねると、少将は事の初めから話し始める。一カ月前、狩猟中の事故で第二代皇帝が崩御した。だが、そのニュースは伏せられている。というのも、死の直前に皇帝が後継者に指名したアレクサンダー皇子(おうじ)は、二年前から行方不明なのだ。もし三カ月以内に皇子が見つからなかったら、妹のクローディア皇女(おうじょ)が即位することになる。遊び人の兄とは違い堅実な皇女はアカデミー(地球帝国航宙軍士官学校)を首席で卒業して軍人になり、功績を重ねて中佐まで出世したあと退役して政界へ入った。誰もが次期皇帝は皇女だと噂していたが、皇帝は放蕩息子を選んだ。その理由は、皇女が戦争推進派であるからだ。地球人とイル・ローン人は支配宙域をめぐって対立しているが、今は宙賊の横行する辺境宙域を緩衝地帯にして戦争を回避している。だが、皇女が即位すれば戦争になる。開戦すれば、両帝国をへだてる辺境宙域が戦場になる。そうなれば辺境に位置する惑星アリスも巻き込まれる。だからセーラは惑星アリスを守るために、スワンソン=ピアスの依頼をマッケイドに引き受けさせようとしているのだ。マッケイドは先程の敵艦が奪われた地球航宙軍の艦(ふね)ではなく、皇女を支持する正真正銘の地球航宙軍の艦であると気付いた。スワンソン=ピアスはうなずき、皇女が暗殺者ギルドにマッケイドの暗殺を依頼したと明かした。皇子失踪の手がかりを求めて、マッケイドは所有する航宙船「ペガサス」で地球に向かった。マッケイドと行動を共にするのは、リコとクマのような姿の変異ヒューマノイドであるフィル。三人は地球の宙港でタクシーに乗るが、運転手は暗殺ギルドの人間だった。かつてマッケイドに暗殺を仕掛けて返り討ちにあった男の弟は、宣戦布告をすると車を降りて走り去った。スワンソン=ピアスの指示に従い、マッケイドが忍び込んだ邸宅で面会する女性レディー・リネア・フォーブズ=スミスは皇女の親友だという。半信半疑のマッケイドに、レディー・リネアは皇子を取り戻したいと気持ちを吐露する。レディー・リネアと皇子は恋人なのだ。だが、レディー・リネアの父の会社は航宙軍と取引しており、軍事委員会のメンバーである皇女に逆らうことは出来ない。ならば会う必要はなかったというマッケイドに、自分はスワンソン=ピアスの遠縁だと明かしたレディー・リネアは、皇子が姿を消した場所を知っていると告げる。どの資料でも皇子は火星に向かう船で行方不明になったとある。しかし、皇子が失踪して三カ月後に、レディー・リネアに送られてきたダイスがあるという。ダイスには五つの面にランダムな数字が刻んであり、最後の面に『ジョーヨーのロイド(小惑星)』のロゴがある。其処は火星と木星のあいだを周回する小惑星で、大金持ちのための一大娯楽地である。しかもジョーヨーの商売には黒い噂がある。情報を得たマッケイドたちは地球を離れようとしたが、彼の船「ペガサス」のそばに二十人くらいの宙兵隊員が待ちかまえていた。隊員を率いるスターガード(帝国最高警護隊)のテラー少佐が、皇女からのメッセージをマッケイドに伝える。三人は皇女の客として三次元闘技の決勝戦に招待されたというが、実質的な出頭命令である。仕方なくデトロイトの帝国コロシアムに移動したマッケイドたちは、円形闘技場の特別観覧席で皇女に謁見する。帝位を狙う皇女は、公認暗殺の取り消しと賞金を餌に皇子の暗殺をマッケイドに要求する。マッケイドが「俺は殺し屋じゃありません」と拒否すると、皇女はコロシアムの観客に向かってスペシャル・イベントを宣言する。すなわち今からバウンティ・ハンターのサム・マッケイドに対する公認暗殺をコロシアムで実行するというのだ。三次元闘技で優勝したチームである「レッド・ゾンビーズ」は、全員が暗殺者ギルドの人間だったのである。地上隊・跳躍隊・飛行隊からなる九人の暗殺者集団をマッケイドたち三人が迎え撃ち、ぎりぎりで勝利をつかみ取る。おかげで観衆の支持を得られたマッケイドたちは、無事に「ペガサス」で宇宙に飛び立つことができた。ジョーヨーの小惑星にはマッケイド一人が救命艇で乗り込み、二人は待機役として「ペガサス」に残った。「サミュエル・レーン」の偽名でジョーヨーの小惑星の客となったマッケイドは、船の停泊区画で技術者にいじめられていた金属球を助ける。「サイ」と名乗った金属球は脳以外は機械のサイボーグだという。サイは此処へ遊びにきてギャンブルに手を出し、全財産だけでなく自分の手足や臓器まで賭けて負けてしまったという。サイに観光ガイドとして小惑星内部を案内してもらったマッケイドは、「変な数字のついたサイコロを使うゲーム」について尋ねる。それは「運命ゲーム」だとサイは答える。サイは「ゲームに負けたプレイヤーはジョーヨーの『奴隷』になる」と教える。このゲームは客が「自分の残りの人生を賭ける」ものだという。レディー・リネア曰く「自分の可能性を試したがっていた」皇子が手を出しそうなゲームだ。マッケイドは皇子の写真を取り出してサイに見せ、二年前の客で身体的特徴の一致する人物の情報が欲しいと頼む。報酬を前払いしてもらったサイは、ジョーヨーのコンピューターから情報を引き出す役を請け負う。マッケイドは運命ゲームの責任者だという女性シルクに会いに行くが、其処には小惑星の所有者ジェローム・ジョーヨーとボディーガードが居た。ボディーガードに叩きのめされて拘束されたマッケイドを、ジェロームは奴隷として惑星ワームに送ることに決めた。一方、役目を果たしたサイは、監禁されたマッケイドのもとに忍び込んで顧客データを渡す。アレクサンダー皇子の名前は顧客データに無かったが、身体的特徴の符合率九十パーセントの「アイドノ・H・ファライゴー」という男にマッケイドは注目する。そして、これが言葉遊びによる偽名で、彼が皇子だとマッケイドは気付いた。皇子の行方を突き止める仕事は成功したものの、サイは奴隷惑星ワームに送られるマッケイドと二度と会えなくなると悲しむ。だが、自分の運命を知ったマッケイドは笑い出す。何故ならファライゴーの処分が「惑星ワームで十年間の肉体労働」だと知ったからだ。サイにリコとフィルへの伝言を頼み、マッケイドは惑星ワームへ輸送されるが、其処は危険な怪物が徘徊する鉱山で……。
※原書初版:1988年
※原題については、作中で主人公が依頼の報酬を「いわば、インペリアル・バウンティ(帝国賞金)だ。」と考えているシーンがある。
エアカー:空中車
インターコム:船内通話装置
クローラー:運搬車
ドローン:飛行物体
ケミカル・ストリップ:化学発光帯
フレシェット・ガン:矢弾銃
トラクター:牽引車
アレックス:アレクサンダーの愛称
電動ナイフのスイッチを入れると、凝縮されたエネルギー・ビームの刃が現われた。
全員がエネルギー銃を身体の前で斜めに以て、『控(ひか)え銃(つつ)』をしている。
「あれが『テラ(土)』って名前の惑星ですか」