書名:ダーウィンのドラゴン
原題:Darwin's Dragons
著者:リンゼイ・ガルビン
出版:小学館
内容:1835年9月、世界一周途上のビーグル号はガラパゴス諸島に停泊していた。キャビンボーイ兼バイオリン弾きとして働いている13歳の少年シムズ・コビントンは、博物学者チャールズ・ダーウィンの助手としてアルベマール島(イサベラ島)の探索に同行していた。ところが、急な嵐のためビーグル号に避難中のボートから海に落ちたダーウィンを助けたシムズは波にさらわれて遭難してしまう。漂着した活火山の島でシムズは巨大なドラゴンに襲われる。何とか逃れたものの、水も食料も得られず途方にくれるシムズを助けてくれたのは小さなトカゲ。ピスタチオ・グリーンのウロコにファージング銅貨のような赤銅色の目をしたトカゲを「ファージング」と名づけたシムズは……。
※1831年12月27日、フィッツロイ船長ひきいるビーグル号はプリマス港から出航した。船にはチャールズ・ダーウィンも博物学者として乗り込んでいた。1836年、ビーグル号は世界一周を終えてイギリスに帰国。1839年、ダーウィンはビーグル号の航海日誌を元にした『ビーグル号航海記』を出版した。
※本書に登場するビーグル号の船長フィッツロイ、船乗りのロビンズ、船医バイノー、コックや雑役の少年は、すべて記録に残されたビーグル号の実在の乗員。
※本書の主人公シムズ・コビントン(シムズはサイモンの略称)は、実在の人物を元にした架空のキャラクターです。実在のシムズの生地と生年は不明。シムズはビーグル号の航海のあいだ、短い日誌をつけていたが、なぜかガラパゴス諸島の探索時期は空白になっている。作者はこの空白のページを埋める冒険として本書を創作した。
おんぼろバイオリン、スクラッチと呼んでいる。キーキーひっかくって意味だ。
書籍:火星のライオン
原題:The Lion of Mars
著者:ジェニファー・L・ホルム(アメリカ作家)
出版:ほるぷ出版
内容:2091年、火星の入植地で育った11歳の男の子ベル。ベルが暮らしているアメリカの入植地は過去の事故で人が亡くなってから他国の入植地との交流を断っていた。ある日、地球からの物資を積んだ船に入り込んでいたネズミが入植地に侵入しているのを発見し、子供たちの希望でペットとして飼い始める。数日後、農業技術者の老人ピネアスが急死し、やがて大人たちが次々と謎の病に倒れる。残された5人の子供たちは……。
書名:反どれい船
原題:The Sentinels
著者:ピーター・カーター(イギリス作家)
出版:心の児童文学館
内容:1840年の英国ノーサンプトン、15歳のジョン・スペンサーは両親を亡くし、孤児になった。ジョンは親戚の紹介で志願兵として、イギリス海軍の三本マストの戦艦センチネル号に乗りこむ。センチネル号は、マリ艦長のもと西アフリカ海岸で任務につくため、ポーツマス港を出航するところだった。一方、アフリカでは、オヨ国ヨルバ族のリアポが二人のダオメー族に襲われ、マンディンゴ族の奴隷商人に売られてしまう。どれい貿易の取り締まりと奴隷船の捕縛任務についていたセンチネル号は、アメリカ船籍のゆうれい号を捕まえる。その船には奴隷商人に売られたリアポが乗船していた。ゆうれい号の船長たちを裁判にかけるため、ジョンは拿捕したゆうれい号の指揮を任されるが……。
※初版1980年
※作中で述べられている事件の多くは、当時の記録にもとづいたものである。
※1807年イギリスは奴隷制を廃止した。しかし、アメリカを中心としたヨーロッパ諸国は奴隷制を維持していた。そこでイギリスは、奴隷貿易を阻止するために、反奴隷西アフリカ艦隊を編成し、アフリカ西海岸、つまり、奴隷海岸に送り込んだ。ここに、イギリス海軍と各国の奴隷船との間に、激しい戦いが展開された。イギリス海軍は奴隷船を捕らえると、船を没収し、奴隷を解放した。だが、ヨーロッパ諸国が公認している奴隷貿易を、西アフリカ艦隊だけで阻止できるものではなかった。
「この貿易は永久につづきそうです。じっさいには、増加しているようにみえます」
「わしの意見では、ブラジルとキューパのせいだ。なぜイギリスがどれい貿易に反対しているかわかるだろう」
「どうしてキューバの開発とイギリスのどれい貿易阻止が関係あるのです?」
「砂糖だよ。イギリスの植民地の西インド諸島における砂糖産業はだめになっている。土壌は疲弊し、砂糖の生産は減少している。ところが、キューバの土地は肥沃である。労働力さえあれば、西インド諸島の砂糖農園を追いこしてしまう。だから、労働力をあたえないために、そのアフリカの広大な海岸ぞいにわれわれは航海しているのだ――そうすれば、砂糖の価格を高くたもっていられるからだ」
「きみの意見はまちがっている。わしは、どれい貿易増加の理由は、綿にあると信じている」
「世界じゅうが綿をほしがっている。しかも、イギリスのランカシャーの織機(おりき)は、栽培されるすべての綿をあつかえるだけの能力を持っている。アメリカ人は、綿を栽培できるところはすべて開拓しつつある。それゆえ、現在では、どれいはどんどんアメリカに輸入されている」
「知ってのとおり、アメリカ人には二種類ある。北部人は、どれい反対運動を強くおしすすめている」
ブルックは、気がのらない。北部人は下品な商人からなりたっているのにくらべ、南部農園主たちは、ほとんど紳士と同じだと考えていたからだ。
書名:遊歴算家(ゆうれきさんか)・山口和(やまぐちかず)「奥の細道」をゆく
著者:鳴海風(なるみふう)
出版:ちくま学芸文庫
内容:中国から伝来した数学的知識は、江戸時代になって急速に発展し、「和算」として民間にも広まった。地方や庶民層への普及の牽引車となったのは、旅をしながら数学を教えた遊歴算家たちだった。当時の主流である関流の実力者・山口和が遺した遊歴の記録『道中日記』をもとに、彼の生涯二度目の旅である文化十五年(1818)の東北地方の旅路での様子を描く。各地の神社仏閣の算額を書写し、歌枕を訪ねた芭蕉との共感まで生き生きと描写した歴史連作短編小説。
※山口和(坎山:生没年不詳)は越後国の蒲原郡水原村(現在の新潟県阿賀野市)の旧家の三男として生まれ、江戸に出て長谷川寛の主催する数学道場で数学を学び、やがて遊歴の旅に出る。三回大きな旅に出て、旅の記録を「道中日記」に記した。山口和は数学だけでなく、芭蕉の俳句にも興味を持ち、旅先の句碑も算額と共に「道中日記」に写している。また、道中日記には各地の風景画も描かれていて、山口和が教養の広い文化人であったことが分かる。
※山口和の二回目の旅は文化十四年(1817)十月十四日から文政元年(1818)九月二十三日迄である。
※算額(さんがく)は数学の問題と解法を書いた数学の絵馬である。難問を解けたことを、神仏に感謝するとともに、同好の者たちに自慢する、一種の研究発表だった。
洞門(どうもん:トンネル)
円を描くためのぶんまわし(コンパス)
薬箪笥で、円環(えんかん)の引手(ひきて)がついた引き出しが、たくさん並んでいる。
笈 (おい) 背負って持ち運ぶ足つきの箱。修験者や行脚僧などが仏具や衣類、食器などを入れるためにつかう。
書名:八十日間世界一周
原題:Le tour du monde en quatre-vingt jours
著者:ジュール・ヴェルヌ(フランス作家)
出版:岩波文庫
内容:英国紳士フィリアス・フォッグは並外れた几帳面さと時間厳守で行動する習慣と、ホイスト(カードゲーム)に熱中する癖があった。彼は裕福だが、ロンドンの紳士クラブ「革新クラブ」のメンバーであること以外は謎であった。フォッグの前の召使はひげそり用の湯を華氏90度ではなく84度で持ってきたために解雇されてしまい、新たに規則正しい生活を望むフランス人青年のパスパルトゥーが雇われる。1872年10月2日の夜、フォッグは革新クラブでトランプ仲間たちと「銀行強盗が捕縛されるか否か」を話すうちに新聞のある記事について議論になる。「イギリス領インド帝国に新たに鉄道が設けられたことで80日で世界一周ができる」という計算結果が載っており、フォッグはこれが実現可能なものであると主張する。仲間にそれを立証してみろと迫られたフォッグは自ら世界一周に出ることを宣言し、自分の全財産の半分にあたる2万ポンドをトランプ仲間たちとの賭け金にする。残りは旅費に充てるため、期限内に世界一周を果たせなかった場合、全財産を失うことになる。フォッグは当惑するパスパルトゥーを伴って、チェアリング=クロス駅から10月2日午後8時45分発のパリ行きの列車でロンドンを発つ。彼の革新クラブへの帰還は80日後の12月21日の同じ時刻とされた。フォッグとパスパルトゥーが乗船した汽船は、予定通りにスエズ運河へ到着する。ところが、エジプトに滞在している間、フォッグはスコットランド・ヤードの刑事、フィックスにひそかに監視されていた。フィックスはイギリスの銀行で起きた盗難事件の犯人捜索のため派遣されたが、フォッグの容貌が人相書きと似ていたために、彼を犯人と思い込んだのである。しかし、出発までに逮捕令状を取得できなかったため、フィックスも彼らを尾行してボンベイ行きの蒸気船に乗船する。船内でフィックスは自分の目的を隠し、パスパルトゥーに接近するが……。
※1872年雑誌掲載、1873年書籍刊行
※本書には、1860年、エドゥアール・シャルトンが発刊した、版画入りの雑誌『世界一周』に掲載された記事の引用がされている。
無言のゲーム:ホイスト(whist)は英語で「静かに!」の意。ホイストゲームの最中、お喋りは禁じられている。
クロノメーター:高精度時計
クラレット:ボルドー・ワインの英語圏での呼称
「フランス人なのにジョンという名前なのかね」
「実はジャンと申します。ジャン・パスパルトゥーという異名を頂いております(「パスパルトゥー」には、「マスターキー」「どこでも通用する万能のもの」の意がある)。これは難関をきりぬけることに長(た)けた私の天来の才能によって裏付けられた異名でございます」
パールシー:イスラム化したペルシャを逃れたゾロアスター教徒
タグ:カーリー女神を祀るインドの狂信的宗教組織の一員
「サティー(殉死の儀式)ですね。サティーとは人身御供のことです。ただそれは自らの意志に基づく犠牲(いけにえ)なのです。たった今あなたが目にされた女性は、明日の早朝には体を焼かれてしまうのです」
「生きたまま焼かれてしまうとは」
「そしてもしも焼かれることを免れた場合、この女性が彼女の近親者によっていかに惨めな状況に追いやられるか、それは想像を絶するほどです。従って、これら不幸な女性たちが火刑台へとせきたてられるのは、愛や宗教的熱狂によって以上に、こうした無残な暮らしを思い浮かべてのことなのです。もっとも時にこの犠牲が全く自らの意志に基づいてなされることもある。例えば、私がボンベイに住んでいたときに、若い寡婦が植民地総督に、自分の体を夫の体と一緒に焼く許可を与えてほしいと申し出たことがありました。総督は申し出を退けました。すると寡婦は町を離れ、独立領のラージャ(藩王)のもとに逃げ込んで、そこで犠牲をなし遂げたのでした」
書名:The Vagabond 流浪者たちの肖像♯1 カムイの剣
著者:矢野徹(やのてつ)
出版:徳間文庫
内容:天保十一年(1840)のある朝、陸奥の国の北端、下北(しもきた)半島西北部の漁村佐伊(さい)の浜に流れ着いた小舟を、五歳の童女さゆりが見つける。小舟には男の子の赤ん坊が乗せられていた。赤ん坊の持ち物はアイヌ模様の布に日月螺鈿(じつげつらでん)の短刀、さらに着物の袖に隠されていた熊の牙の首飾りに『この子 じろう』と書き付けた紙縒(こよ)りがくくりつけられていた。捨て子と判断された赤ん坊はさゆりの母つゆが引き取って育てることになった。つゆの夫・太郎左は仕事で蝦夷(北海道)に行ったまま留守をしており、家業である旅人宿を切り盛りしながら母子三人で暮らす生活が続いた。ところが、次郎が14歳のとき養母と姉が惨殺され、殺人犯として誤認された彼は追われる身になる。村人たちの山狩りから隠れていた次郎は父の仲間だという僧侶・天海(てんかい)に助けられる。だが、実は忍者の首領である天海こそが次郎の家族を殺すよう指示したのだった。天海はある目的のために次郎の身柄を確保すると、松前の町はずれの屋敷へ連れてゆき、忍者修業をさせる。天海の息子・真吾によって虐待同然の過酷な訓練で鍛えられた次郎は18歳になると初仕事を与えられた。「アイヌの大酋長(だいしゅうちょう)コシャマインが隠した宝を調べるため、カムイ・コタン(集落)へ行け」と命じられた次郎は、和人に虐待されているアイヌ人少年を助ける。カムイ・コタン出身だという少年とともにコタンに到着した次郎は、生母オヤルルと再会する。村長から自分の短刀が「カムイの剣」と呼ばれるコシャマインゆかりの宝であることを知る。さらにオヤルルから聞いた話で、養母の夫・太郎左が自分の父であり、天海こそ家族の仇だと次郎は悟る。その夜、オヤルルは真吾によって殺され、またしても殺人犯の濡れ衣を着せられた次郎。逃亡した次郎は天海率いる忍者集団に追われながらも、和人に迫害されるアイヌ人たちを助けてまわる。そんな次郎を天海は執拗に追跡するが、その理由は17世紀末に海賊王キャプテン・キッドが遺した財宝のありかを次郎の父・太郎左が見つけたからだった。息子である次郎なら太郎左の残した手がかりを発見できると天海は考えたのである。その秘密の一端を掴んだ次郎は、偶然助けた黒人水夫サムとともにアメリカの捕鯨船カリフォルニア号に乗り込む。しかし、天海の部下である女忍者お雪も後を追い……。世界を股にかけた幕末冒険ロマン。
※1970年発表の作品
※キャプテン・キッド:ウィリアム・キッドは「海賊」の代名詞として有名。十七世紀末に活躍し、さまざまな財宝伝説を残した。1701年5月23日、テームズ河畔の海賊処刑場にて絞首刑となり、その死体はタールを塗られて数年のあいだ河の上にさらされた。
知里真志保(ちりましほ)氏の『アイヌ語入門』には、
カムイというアイヌ語を、一般には「神」という訳語で片づけている。それで、「カムイ・コタン」という地名があれば、それを「神の村」などと訳して、しかし、こういう地名のついた所は、いずれも古来交通上の難所として幾多の人命を奪ったような恐ろしい場所であり、そういう場所には恐ろしい神が住んでいて犠牲を要求するというような考え方にもとづいて名づけられたものなのである。
だから、われわれの観念にぴったりする訳語を選ぶなら、それはむしろ「魔の里」と訳すべきものかもしれない。
このように「カムイ」という語は、古い地名の中ではむしろ「魔」の観念で用いられている場合が多いのである。
カムイとは、神、魔性のもののこと。
書名:蜘蛛の巣 下巻
原題:The Spider's Web
著者:ピーター・トレメイン(イギリス作家)
出版:創元推理文庫
内容:紀元666年5月、アイルランド・モアン王国(現マンスター地方)。緑豊かなアラグリンの谷を治めるクラン(氏族)の族長エベルが殺された。殺人現場で捕らえられたのは、目も見えず、耳も聞こえず、口もきけぬ青年モーエンだった。モアン王国の王妹でブレホン(裁判官)でもある修道女フィデルマは、友人のサクソン人修道士エイダルフとともに調査を開始するが、族長と養母を殺したとされているモーエンと意思疎通できないこともあり難航する。しかも族長の厩舎頭メンマは、フィデルマたちが道中で泊まった宿泊所を襲った無法者集団の一員だと気付き警戒する。そんなとき農場主マードナットが若い農民アルフーを訴える。マードナットは数日前に土地相続の訴訟でアルフーに敗れたばかりだった。しかし、フィデルマがタニスト(族長の後継予定者)のクローンに助言したことで、今回もアルフーが勝訴する。恨みを募らせるマードナットたちや、モーエンを犯人と決めつける狂信的なローマ教会派の神父など不穏な雰囲気の砦のなかでフィデルマは捜査を続け、モーエンと意思疎通する方法を知っているとおぼしきドゥルイドの老人ガドラが住む森を訪問する。ガドラの協力を取り付け砦への帰路、フィデルマたちは家畜泥棒の集団を目撃する。さらにアルフーが盗賊団の襲撃を受け、身元不明の死体が発見されるが……。
※1997年初版
※本書は『修道女フィデルマ・シリーズ』の第五巻になる。作者と訳者が相談のうえで翻訳第一冊目に選択された。
※著者の本名は「ピーター・ベレスフォード・エリス」。有名なケルト学者。
※ドゥルイド:古代ケルト社会における、一種の『智者』。予言者・占星術師・詩人・学者・医者・王の顧問官・裁判官・外交官・教育者などとして活躍し、人々に崇敬されていた。しかし、キリスト教が入ってきてからは、邪教のレッテルを貼られ、『邪悪なる妖術師』的イメージで扱われがちであるが、本来は『叡智の人』である。宗教的儀式を執り行なうことはあっても、かならずしも宗教や聖職者ではない。
「アラグリンの神父(ファーザー)ですよ」
「儂の〝我が父″ではないわい。誰かを〝ブラザー(修道士)″だの〝シスター(修道女)″だのと呼ぶ分には、儂も異存はないが、〝ファーザー(神父)″となると、話は別よ。儂が〝ファーザー″と呼ぶに値する、と認める人間は、この世にそう多くはないぞ」
小刻みの速歩(トロット)で進み、馬の歩調を普通速歩(キャンター)に速める。後ろから最大速足(ギャロップ)でやって来る馬蹄の響き
緩速歩調(トロット)で帰路についた
アイルランドの聖職者たちは新しい信仰(キリスト教)を布教して、広く遠く歩きまわっていたのだが、多くの場合、それは単独行であり、しかも武器を携えない旅なのであった。彼らにとって、武器を持ち歩くということは、〝悪″であった。そこで、武器を用いることなく追剥や野盗たちから身を守る護身術が必要となり、トゥリッド・スキアギッドが考案された。
トゥリッド・スキアギッド:語義は、『盾による戦い』の意。すなわち、武器を用いず、盾で身を守る戦い方、武器を使わない護身術。
書名:蜘蛛の巣 上巻
原題:The Spider's Web
著者:ピーター・トレメイン(イギリス作家)
出版:創元推理文庫
内容:七世紀のアイルランド・モアン王国(現マンスター地方)。紀元666年5月、アンルー(上位弁護士)の資格をもつドーリィー(法廷弁護士)である修道女フィデルマは、モアン王国の王都キャシェルの南に位置する町リス・ヴォールの法廷でブレホン(裁判官)として訴訟を裁いていた。最後の訴訟が終ると、兄王コルグーの使者と友人であるローマ教会派のサクソン人修道士エイダルフが待っていた。アラグリンの族長エベルが殺害され犯人は逮捕されているが、ブレホンのいないクラン(氏族)であるためフィデルマに調査を依頼したいという。ちょうど法廷で最後に取り扱った土地相続の訴訟で勝訴した若者アルフーがアラグリンに住んでいたため道案内を頼み、フィデルマとエイダルフは出立する。途中で泊まったホステル(宿泊所)で無法者集団に襲撃されるが、何とか無事に切り抜け、二人はアラグリンのラー(砦)に到着する。だが、殺された族長の娘でありタニスト(後継予定者)のクローンは、フィデルマたちの来訪を歓迎しない。どうやら族長の未亡人が一存で国王にドーリィーの派遣を依頼したらしい。しかも、殺人犯として拘束されていた人物は目も見えず、耳も聞こえず、口もきけぬ青年であった。殺人現場で血まみれの刃物を握りしめていたというのだが、本当に彼が殺したのだろうか?
※1997年初版
※本書は『修道女フィデルマ・シリーズ』の第五巻になる。作者と訳者が相談のうえで翻訳第一冊目に選択された。
※著者の本名は「ピーター・ベレスフォード・エリス」。有名なケルト学者。
※モアン王国はアイルランドの南部。現在のマンスター地方。アイルランド全土の四分の一強を占める最大の王国。現在のクレア・ケリー・リメリック・コーク・ティペラリーの五州あたり。
※エール五王国(=アイルランド五王国):エールは、アイルランドの古名の一つ。七世紀のアイルランドは、五つの強大なる王国、モアン・ラーハン・アルスター・コナハトの四王国と、大王(ハイ・キング)が政(まつりごと)を行う都タラがある大王領ミースの五王国に分かれていた。また四王国は、大王を宗主にあおぎ、大王に従属するが、大王位に就くのも、主としてこの四王国の国王であった。
※古代アイルランド社会では、女性は、多くの面で男性とほぼ同等の地位や権利を認められていた。女性も、男女共学の最高学府で学ぶことができ、高位の公的地位に就くことさえできた。
※ローマ教会派とアイルランド(ケルト)教会派との間には、さまざまな相違点が生じており、対立を生んでいた。例えば、カソリックの聖職者は剃髪をしていたが、ローマ教会の剃髪(コロナ・スピナ)は頭頂部のみを丸く剃る形式であった。しかしアイルランド(ケルト)教会では、それとは異なる形をとっていた。『修道女フィデルマ・シリーズ』の作中では「前頭部の髪を、左右の耳を結ぶ線まで剃り上げ、残りの髪は長く伸ばし…」と、説明している。
※七世紀のアイルランド教会では、聖職者の独身主義は広く支持されていた観念や慣行ではなかった。この点は、ローマ教会も同様だった。アイルランドの宗教的施設の多くは、男女を区別することなく受け入れており、彼らはしばしば結婚し、キリスト教の信仰に生きながら、その中で子供を育(はぐく)んでいた。修道院長や司教さえ、結婚することができた。
※ブレホン:古代アイルランドの『法官・裁判官』で、『ブレホン法典』にしたがって裁きを行なう。『ブレホン法』は、ヨーロッパの法律の中で重要な文献とされ、十二世紀半ばに始まった英国による統治下にあっても、十七世紀までは存続していたが、十八世紀に、最終的に消滅した。
※ブレホン法の際立った特色の一つは、古代の各国の刑法の多くが犯罪に対して『懲罰』をもって臨むのに対し、『償い』をもって解決を求めようとする精神に貫かれている点であろう。各人には、地位・財産・血統などを考慮して社会が評価した『価値』が決まっていて、殺人という重大な犯罪さえも、被害者のこの『名誉の価値(オナー・プライス)』を弁償することによって、つまりは『血の代償金(ブラッド・マネー)』を支払うことによって、解決されてゆく。
木枠の中に平らに伸ばされた湿った粘土に尖筆(スタイラス)で記され、長期保存のために上質皮紙(ヴエラム)に書き写され、本の形に整えられていた
道中のための食料と飲み物を鞍袋(サドル・バッグ)に詰めて馬の背に載せていた
タロー・キャンドル:獣脂蠟燭
鮮やかな爪紅(つまべに)。眉は液果(ベリー)の黒い果汁でくっきりとひき、頬にはほんのりと紅。ニワトコの若枝から採った樹液で作るルアンを用いているらしい。香水に関しても、薔薇の香り。
白銅の腕輪
ノーサンブリア王国:英国北部の古王国
エイダルフの母国、南サクソンでは、盗人はもちろん、盗みを目論んだり盗人を匿ったりした者にさえ、死刑の判決が出る。殺人者、反逆者、魔女、逃亡奴隷、無法者、あるいは彼らの逃走援助者――こうした罪人は、絞首刑、断頭の刑、投礫刑、火刑、溺死刑などに処せられたし、これより軽い罪を犯した者にも、両手や両足の切断、鼻、耳、上唇、舌などの切除といった、さまざまな身体毀損(きそん)の刑が加えられる。サクソンの司教たちが、罪人に長期間後悔させられるとの理由から、死刑よりも身体毀損の刑罰を好んでいる
会衆席に、ベンチ(腰掛け)は一つもなかった。信者は礼拝式の間ずっと立ったままで列席するのが、この当時の儀式の慣行なのであった。