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私的備忘録

書名:魔女が丘
原題:Witch Hill
著者:マーカス・セジウィック(イギリス作家)
挿絵:マーカス・セジウィック
出版:理論社
内容:ランカシャーの自宅を火事で焼け出された12歳の少年ジェイミーことジェイムズ・フレイザー。イースター休みの間、ジェイミーは家族と離れて母方のおばさんの家で療養することになる。ジェーンおばさんの家は西部地方にあるクラウンヒルという村に建っている三、四百年は経った古い田舎家だ。ところが、その家でジェイミーは恐ろしい魔女の夢を見てうなされてしまう。ちょうど同じ頃、おばさんとその娘のアリソンは、村の名の由来になっているという丘の石灰を削って描かれた大昔の『王冠(クラウン)』の絵を復元しようとしていた。しかし、実際に現れたのは王冠ではなく巨人の老婆だった。意外な結果に皆が驚き、ジェーンおばさんに対して良くない噂が囁かれるようになる。そんなとき、丘の絵に興味をもつヒストリック・イングランド協会から村にまつわる古文書の写しが提供され、その中からジェイミーは1658年に行なわれた魔女裁判の記録を見つける。そして、自分がうなされた夢と丘の絵との間に何か関係があるらしいと考え……。サスペンススリラー。
※初版2001年
※本書に登場する「丘の上に描かれた絵」はストーリーの重要な鍵である。「老婆の絵」が実在するかどうかは不明だが、これらの絵は「ヒル・フィギュア(Hill Figure)」と呼ばれ、西部地方(the West Country)でよく見かけるものだ。なかでも有名なのは、ウィルトシャー郡スウィンドンの「白い馬」と、ドーセット郡サーン・アバスの「巨人像」である。起源は、イギリス先住民族であったケルトの人々が作ったものだといわれている。

「お宅の門柱もそう。あの、表のやつね。とてもめずらしい印がつけられてるのね」
家の正面にまわっていった。たしかに、木の門柱に線が何本も刻みこまれていた。×印を重ねたように見える。
「こういうのは、わかっているところでは十七世紀の初めまでさかのぼるんだけど、おそらくそのまえから使われていたんでしょうね。人々が、魔女やまじないを避けるために使ったの。邪悪なものから身を守るためにね。この印をつけておくと、魔女が避けて通るとされていたのよ」

足跡には、いくつもとげの生えたサンザシの短い枝がつきさしてあった。
「魔女の足跡にとげを埋めこむと、魔女はそれをぬきにもどってくる。魔女の足を遅らせる方法よ。このあたりには、まだ廃(すた)れていない迷信がいくらでもあるのよ」
「悪魔だとか魔王(サタン)っていうのは、キリスト教に属するもので、魔女とはなんの関係もないのよ」
「魔女が悪魔を崇拝しているっていうのは、人々を土着信仰から引きはなすために、教会が広めたこと」

「あのクロンめ」
「今の言葉。本当はどういう意味?」
「しわくちゃばばあ」
「……老婆のことよ」
「どんなふうな?」
「……すごく年とった意地の悪いおばあさんかな」
「それと、魔女の意味もあるわね」
 

書名:楼蘭の黙示録 彷徨える湖と楼蘭はいかに地上から消滅したのか
著者:山田徹
出版:SSER ORGANISATION
内容:ロプノールの畔で栄えた国・楼蘭(クロライナ)は、西暦327年晩夏、湖の水位の低下のせいで塩化が進み自然環境の悪化に直面していた。国王の娘ミリアは呪術師ソモナに国の滅びを止めたいと望むが、永遠に続くものはないと諭される。ソモナは楼蘭の興亡を書いた黙示録を後世に遺したいと願うが……。時は流れ西暦2008年9月、楼蘭の発掘に向かう日本の調査団の一員・山田太郎と助手・美知子。古代と現代の視点が同時進行で交互に描かれた作品。
※著者の序文によれば、楼蘭への冒険行の仮設的結論が本作品である、とのこと。著者が少年時代に読んだスヴェン・ヘディンの著書『さまよえる湖』が空想を刺激し、21世紀にロプノールを旅するきっかけになったようである。
※1934年、スウェーデンの地理学者スヴェン・ヘディンは彷徨える湖ロプノールの位置を特定した。しかし、湖が移動する謎、楼蘭王国の興亡の謎は、現代でも定かではない。

この国の名はクロライナ。
はるか昔に漢という国が楼蘭と漢字を当ててから「楼蘭」が正式名称になった。
漢字は一説には疑義のあるものの概ね表意文字であるから楼蘭の漢意だと「蘭の花の咲き乱れる楼閣」
漢人らが全ての言葉に漢字を当て、例えばこの聖なる湖ロプノールも「羅布(ろぷ)」とした羅(ろ)の布(ふ)、つまり羅馬(ろーま)人の求める東の国で織られる布の中継地とでもしたのだろうか。ノールとは匈奴の使う言葉で湖という意だ。
鄯善(ぜんぜん)とは良いことを重ねるという意味の名前だ。漢の時代には楼蘭は鄯善国だった。

尺牘(せきとく)つまり手紙

手折った吾亦紅(われもこう)
「この花は地楡(ちゆ)というのは知っておるな」
「地楡の根や茎は煎じて飲めばのどや口の中の腫物の痛みを取り、乾燥させて使うと火傷や皮膚の爛れによく効く薬にもなります。火傷にも冬の寒さで黒ずんだ凍傷の傷にも効きます」

「アーリア人って特定が難しいのです。イラン高原に誕生した民族のようで西アジアの草原地帯に進出してきたのが、この『楼蘭の美女』の頃としてもいいかもしれません。『楼蘭の美女』を見てもわかるように、その文化度の高さはやはりシュメール文明の流れをくむものですね。少し後の時代ですが、ウスチウルト台地などの辺りですが、ここにトゥーラン人という人々が現れます。そのトゥーラン人はゾロアスターの教典『アヴェスター』に出てきますから紀元前1500年ころには居たと思われます。トゥーランっていうのはいまも中東に多い姓なのです。プッチーニのオペラ『トゥーランドット』もこれに由来しているのかもしれません。まあヨーロッパから見たらこの辺りの人々はみなトゥーラン人なのですよ」

「胡楊の学名はユーフラテスポプラといいます。砂漠に生きる逞しい木で楼蘭の象徴です」
「非常に水脈に敏感な木でユーフラテスからモンゴル高原まで、旅人の歩く砂漠で水のありかを示してくれます。タクラマカンからゴビに入ると、かつて栄えた西夏王国があります。その首都はいま銀川ですが北方のエチナというところに黒水城という西夏王国の城塞があります。そこでは胡楊が見事な森を形成しています。そこから北に向かって細い道がずっと伸びていますが、その道を伝いモンゴル軍が攻めて来て西夏王国を滅ぼしたのです。木の幹を切ると大量の水が噴き出すのですよ」
胡楊は日本名は「コトカケヤナギ」

玉門関は漢の武帝が長城をここまで築いたとされ最西端の関所である。
激しい風化でおそろしい景観を作っていた。あの時代の人々はここから先には人間がいなとして「魔鬼城」と呼び怪物たちや妖怪の住処だと考えていた。「西遊記」の世界だ。
「漢の人たちはここから西にある国々の事や民族の事をひとまとめに匈奴と呼んでいたのかしら。匈も奴も漢から見れば悪字で文字も持たないし文化もない。略奪を繰り返す乱暴者たちと見下していたのね」
この恐ろしい姿をした浸食された奇岩が匈奴の印象を決めていたというのもあながち間違いでもないような気がする。そして、ここからが消えた西域南道である。

ニガヨモギに含まれるツジョンという麻薬成分
タマリスクは和名では「御柳」と言い砂漠の水の無い土地で育つ。
古代エジプトやシュメールの「ウルのスタンダード」にはチャリオットという古代の馬に曳かせる戦車として描かれており、その材にタマリスクが用いられている。後漢時代に中国にも同じようなタマリスクの戦車が登場する。硬くて塩に強く、鉄が登場するまでの長い間それが用いられた。
 

書名:帝国の亡霊、そして殺人
原題:Midnight at Malabar House
著者:ヴァシーム・カーン(イギリス作家)
出版:角川書房
内容:インドが独立して2年が過ぎた頃のボンベイ(現ムンバイ)。インド初の女性刑事、27歳のペルシス・ワディア警部は女性蔑視のせいで落ちこぼれ刑事ばかりのマラバール署に配属されていた。大晦日の夜に一人で当直の任についていたペルシスは、年が明けた1950年1月1日午前1時過ぎに電話で殺人の通報を受ける。自邸で年越しパーティーを開いていたイギリス人外交官ジェームス・ヘリオット卿が殺害されたのだ。通報者であるジェームス卿の側近マダン・ラルに案内されてペルシスが犯行現場である書斎で捜査を始めようとしたとき、ドアが開いてロンドン警視庁付き犯罪学者のアルキメデス・ブラックフィンチが入ってきた。ラルに呼ばれてやって来たという彼と一緒に遺体を検分することになったペルシス。ジェームス卿は発見されたとき、腰から下は何も身に着けていなかった。ズボンは何処に消えたのか?書斎の隠し金庫は空になっており、暖炉には大量の紙が燃やされた跡があった。実はインド政府から秘密の任務を依頼されていたジェームス卿は、分離独立の際に起きた犯罪調査の資料を所持していたらしいのだが……。正式な共和国になる1月26日を控え、独立運動の遺恨を抱える揺籃期の新生インドの歴史ミステリ。
※初版2020年
※著者はロンドン生まれ。両親はパキスタン人。23歳から10年間インドに滞在し、イギリスに戻る。現在はユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの犯罪科学部門に勤務。
※主人公の両親はパールシー人。主人公のペルシスという名前には〝ペルシアから″という意味がある。その昔、イスラムの支配がイランやその周辺地域にまで及んでいて、パールシーが先祖代々の土地を追われたという歴史的事実を想起させるものらしい。
※パールシーとは〝ペルシア人″を意味し、十世紀のなかごろイラン東部からインドに移住したゾロアスター教徒のことをいう。偶像ではなく、火を最高神の象徴として崇拝している。また、遺体を鳥に食べさせる鳥葬を現在も続けていることで知られている。総人口は数十万人で、そのうち八万人は現在ムンバイ(ボンベイ)に居住している。
※1947年8月15日、ヒンドゥー教徒とシク教徒が多く住む地域はインド連邦として、イスラム教徒が多く住む地域はパキスタンとして、それぞれの独立が認められた。それによって、イスラム教徒の多いパンジャブとベンガルもそれぞれに分割された。ラドクリフ・ラインと呼ばれる国境線の公表によって引き起こされたのは、地域社会での数えきれないほどの暴動と虐殺事件の発生、大量の難民の移動だった。
※作中でインドの分離独立時の混乱が語られているが、これは著者の父親の体験も反映されているのかもしれない。著者の父親はインド生まれだが、分離独立の混乱の際に生地であるパンジャブの村から追放され、パキスタンに移住している。

マハトマ――〝マハーン・アートマ(偉大なる魂)″

パーク・イ・スタン(清浄なる国)

ザミンダール(大地主)

「親父が科学者でね。アルキメデスという名前は偉人に敬意を表してつけたらしい。ぼくはアーチーで通るけど(略)」

フィリッパ(本人はピッパと呼んでくれと言っている)
「サッドと呼んでくれと言っていた。サディアスの略だ」

ユートピアという言葉は、ギリシア語の〝オー・トポス(どこにもない場所)″に由来している。
 

書名:やくやもしおの百人一首
著者:久保田香里
出版:くもん出版
内容:村の旧家から資料館に寄贈されたのは、明治時代に作られた百人一首のかるた。ところが、藤原定家の歌が書かれた上(かみ)の句の絵ふだが行方不明になる。このままでは資料を紛失した責任を問われて職員の凪さんがクビになってしまうかもしれない。資料館に収められている古い品物たちが心配して話し合い、失踪した絵ふだと対になっている下(しも)の句の書かれたふだ「やくやもしほのみもこかれつつ」は、定家の信心していた日吉(ひえ)の神に祈る。「こぬ人をまつほの浦の夕なぎに――のふだが、見つかりますように」すると、下の句のふだは空を飛び、日吉社(ひえしゃ:現在の日吉大社)へ向かう道に女の子の姿で落下した。そして牛車(ぎっしゃ)で参詣していた藤原定家と孫の為氏(ためうじ)に遭遇する。「こぬ人を」を探す願いがかなって、どういう訳か八百年前の時代へ飛ばされたらしい。「こぬ人を」の絵ふだを探すため、人の姿となった下の句のふだは「もしお」という名で定家に弟子入りするが……。
※『百人一首』は、藤原定家(ふじわらのていか)が1235年に蓮生(れんじょう:宇都宮頼綱)の山荘を飾るために選んだものであると考えられている。

 こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに やくやもしほ(お)の 身もこがれつつ
 (意味:まてども来ない人をまって、あの松帆の浦の夕なぎに焼く藻塩ではありませんが、わたしは身も心もこがれています。)
 松帆の浦とは、兵庫県の淡路島にある地名。昔ながらの塩づくりでは、海水をふくませた海藻を焼いて塩をつくる。藻塩は、その塩のこと。

文庫(ふみくら)

細長いおもちを小さくちぎったみたいな、白くてやわらかそうなもの
ふにゃんとした歯ごたえで、ほのかな甘味(あまみ)が口のなかにひろがる。
「ふずくには、甘葛(あまづら:ツタからとった甘味料)を入れるけれど、はちみつが手に入ったのですよ」
ふずくとは、米や麦やいろんな粉をまぜてこね、ふかしたものだそうだ。

貝覆(かいおおい:貝殻の左右の組み合わせをあててとる遊び)

柑子(こうじ:日本で古くから栽培されたみかん、こうじみかん)
 

書名:チャンス はてしない戦争をのがれて
原題:Chance : Escape from the Holocaust
著者:ユリ・シュルヴィッツ
出版:小学館
内容:1939年9月1日、ポーランドの首都ワルシャワは突然ドイツ軍の空襲を受けた。爆撃は何日も続き、その間4歳のウリは絵を描いておそろしさに耐えていた。母子はナチス・ドイツに占領されたワルシャワを脱出し、ソヴィエト連邦の領土になっていたビャウィストクにいる父と合流する。父がグロードノで仕事を得たので家族は引っ越したが、ソ連の市民権が得られなかった一家はユーラ居留地に送られることになる。やがて戦争難民の待遇が改善され居留地から出た一家は、ソヴィエト連邦内の中央アジアに位置するカザフ共和国の小さな町テュルキスタンで暮らすことになるが……。本書は絵本作家のユリ・シュルヴィッツが自身の幼い頃の暮らしをつづったもの。幼い彼が戦争や迫害、寒さや飢え、病気など、さまざまな困難をくぐり抜けていく時の支えとなったのが、絵を描く楽しみでした。どんな土地へ行っても絵を描いていた少年は、大人になってアメリカにわたり、絵本作家になったのである。
※題名の『チャンス(Chance)』には、「好機」「機会」「可能性」といった意味のほかに、「偶然」という意味がある。
※日本でこれまで出版されてきた作品に合わせ、著者名は「ユリ・シュルヴィッツ」とされているが、著者本人による発音や、命名にまつわる逸話をふまえ、作中では「ウリ」と表記されている。
※2020年初版
※著者はポーランド・ワルシャワ生まれのユダヤ人。第二次世界大戦が始まるとナチス・ドイツに占領されたポーランドを家族で脱出し、ソヴィエト連邦に向かう。戦時中は各地を転々と移動し、戦後はイスラエルに移住した。1959年、美術の勉強のために渡米し、そのままニューヨークで暮らす。
※第二次世界大戦が始まってすぐ、ポーランドはドイツとソ連によって分割占領されてしまった。ワルシャワはドイツの占領地域で、ビャウィストクはソヴィエト連邦の白ロシア共和国になっていた。
※ユーラ居留地は、ソヴィエト連邦の中でロシア共和国の北方、白海(はっかい)近くのアルハンゲリスク州にあった。

ナックルボーンズは、生まれた国や民族に関係なく、子どもたちのあいだではやっていた遊び
このゲームの起源は、古代ギリシアやローマの時代までさかのぼる。ほんもののヒツジのナックルボーン(足先の骨)を、ひとりずつ順に、地面にほうる遊びだ。ほとんどの骨は横にたおれてしまうが、たまに立つことがあって、そうすると、その骨を投げた人の勝ちで、たおれた骨をぜんぶもらえるというルール
骨がたおれないように投げるには、技が必要だ。でも、やすりでけずった穴に鉛をうめこんだ特別な骨があれば、勝てる。なぜなら、そういう骨は、投げれば、鉛が入っているほうを下にして立つからだ。
そういう特別な骨は、派手な赤や青や黄色にぬってあった。