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私的備忘録

書名:凛として弓を引く 初陣篇
作者:碧野圭
出版:講談社文庫
内容:矢口楓は高校二年生で、武蔵野西高校(通称ムサニ)弓道同好会の部長だ。九月、東京都秋季大会に同好会は出場する。発足したばかりの同好会にとっては初めての試合になる。試合の日程は男女別々で、ムサニは女子三名男子三名、試合のチームが組めるギリギリの人数だ。試合当日、楓はメンバー表を忘れてしまい、弟に届けてもらう。試合開始の時間には間に合ったものの練習時間が取れなかったこともあって楓は緊張しだす。同じ二年の真田善美(さなだよしみ)に「深呼吸して」とアドバイスされたことで、楓は落ち着いて試合に臨めた。あっけなく終った試合は結果が芳しくなく予選敗退で、楓と一年の山田カンナは「不完全燃焼だった」と言い合う。翌日の放課後、部室では皆が練習時間を増やしたいと話し合っていた。男子の試合も予選敗退で、一年の高坂賢人(こうさかけんと)と大貫一樹(おおぬきかずき)は悔しがってやる気になっている。顧問の田野倉先生から許可をもらった楓たちは、練習日を週三日から毎日に増やして朝練もすることにした。練習を重ねるにつれて、楓の的中率はあがり手ごたえを感じていた。初心者だったカンナとカズ(一樹)も目に見えて上達しているが、二年の薄井道隆(うすいみちたか)はあまり進歩していない。薄井とペアを組んで練習する楓は責任を感じ、気をつけてアドバイスするようになる。あるときスマホで薄井の姿を録画して説明したところ、楓自身も射の姿勢を撮影される。そのことで自分の不安定な射形に楓は気付く。十一月の新人大会の前日、雨が降って学校の屋上練習場は使えなかったので、楓は弓道会に顔を出した。道場には善美の兄である乙矢(いつや)も来ており、久しぶりだったのでお互いの近況について話す。乙矢は大学の弓道部を辞めて流鏑馬(やぶさめ)の流派の門人になったと聞いた楓は驚く。楓が流鏑馬に興味を示すと、乙矢は妹と一緒に見学においでと言う。楓は来週の学園祭で弓道同好会がデモンストレーションをすることを話して乙矢を誘う。翌日の試合では、楓が射手の弦音を聞き間違えたことで的中が無効になってしまう。顧問からは「試合馴れしてないからだ」と慰められるが、自分がミスをしなければ決勝にすすめたのでは?と楓は泣きたくなった。そこへ優勝候補チームの選手である神崎瑠衣(かんざきるい)がやって来て、善美に「次に会う時には、期待している」と声をかけて去って行った。同じ時期に弓道を始めた善美との差を楓は感じる。翌日、自分の射形の揺れに悩む楓は、運動の得意な弟・大翔(はると)に相談する。中心線がまっすぐなまま弓道の構えが出来ているかどうか大翔にアドバイスをもらっているところへ、帰宅した母親も加わる。太極拳を習っている母親からも中心軸や丹田、気についての考え方を教えてもらい、楓は正しい姿勢を意識するようになる。学園祭の当日、中庭でお昼休憩におにぎりを食べていた楓は乙矢に声をかけられる。楓は校舎の屋上にある弓道場に乙矢を案内する。屋上には賢人と善美がいて、乙矢の射がみたいという話になる。乙矢が借りた弓と矢で射場に立った時、乱暴に扉が開く。カズと彼女、それに三人の他校生がなだれ込んできた。三人はカズが柔道をやっていた時の仲間で、弓道を始めたカズを不満に思って絡んでいるのだ。あわや乱闘となった瞬間、弦音が鳴り響き……。弓道青春シリーズ第三弾。
 

書名:サリーの愛する人
原題:Penny-Farthing Sally
作者:エリザベス・オハラ
出版:さ・え・ら書房
内容:20世紀の幕開けを前に、アイルランドの大都市ダブリンは活気に満ちていた。サリー・ガラハーが故郷のドニゴール州グレンブラ村を出て、ダブリンのエリクソン家に住みこみで働きはじめてから二年以上が過ぎた。ガラハー家の滞在客だった教師ジェラルディーナ・バニスターの紹介で、エリクソン家の娘スノーにアイルランド語を教える家庭教師として働いているのだ。サリーの雇い主バイオレット・エリクソン夫人は一風変わった女性で、ときどき女優として舞台に立つこともある。夫のエリクソン教授は、トリニティー・カレッジに勤めている。サリーの生徒スノーには十七歳の兄サムがおり、彼はイギリスの寄宿学校に入っている。5月、パーマストン公園に面した邸宅で一人きりになったサリーは好奇心からエリクソン夫人の部屋に入り、彼女の個性的な衣装でファッションショーを楽しむ。サリーは夢中になるあまりエリクソン夫人とスノーの帰宅に気付くのが遅れて慌てる。窮地のサリーを救ったのは、エリクソン夫人を訪ねてきた詩人ウィリアム・バトラー・イェーツの存在だった。おかげで二人が話している間にサリーは衣装の山をタンスに戻すことが出来た。数日後、エリクソン夫人はサリーを誘い、スノーと帰省したサムを連れてイェーツの新作劇『フーリハンの娘キャスリーン』を観に行く。劇場には大勢の観客が押し寄せており、警官の姿もあってサリーは驚く。舞台は素晴らしくサリーは感動したが、一部の観客がやじって騒ぎ、警官にひっぱり出されていた。観劇のあとまもなく、ジェラルディーナに誘われてサリーはゲール語連盟支部の会合に出席し、会の創設者ダグラス・ハイドの演説を聞いた。会合でトーマスとエセルという同年代の男女を紹介されたサリーはサイクリングに誘われる。さらにジェラルディーナからダグラス・ハイドの書いた劇のオーディションに出るようにと薦められる。翌日、サリー宛の手紙が届いた。何年も手紙が届いていない妹ケイティからかと期待したサリーだったが、差出人はエセルで『自転車の乗り方を教える』というお誘いだった。金曜日の夕方、エリクソン夫人の許可を得て出かけたサリーは、エセルの母親の自転車を貸してもらい、トーマスとエセルの手助けであっという間に自転車に乗れるようになる。サリーは二人にそそのかされて「自転車禁止」の公園に乗り入れる。だが、途中で二人とはぐれたサリーに石像がほほえむ。恐怖にかられたサリーは自転車を放り出して公園の外に走り出た。サリーを待っていたというトーマスとエセルを見つけたが、公園には仕事を終えたはずの園丁(えんてい)が居るため自転車を取りに戻れない。サリーたちはエセルの家でしばらく過ごしたあと帰宅した。翌朝、エリクソン夫人に呼ばれたサリーは旧式の自転車ペニー・ファージングを貸してもらう。日曜日、ミサに行く途中のサリーはジェラルディーナに出会い、劇のリハーサルに来るように言われる。ミサから帰ったサリーは、三輪車に乗ったエセルとサイクリングに出かける。二人がエセルの家を訪ねるとトーマスもやってきて、四人でサンディーマウントの海岸まで行った。このとき、サリーが公園に放置した自転車は園丁がエセルの母親に届けにきたと知って、弁償しなくてよくなったと安堵する。翌週、サリーが劇のリハーサルに行くと、トーマスもいた。劇の題名は「縄をなう」で、昔話をもとにした内容だった。リハーサルの帰り道、サリーはトーマスに観劇に誘われる。しかし、翌日、サリーは故郷の母から『今すぐ帰ってきておくれ』という手紙を受け取り……サリーは大きな決断を迫られる。サリー・ガラハー三部作の完結編。
※1996年初版
※作者は1954年、アイルランド・ダブリン生まれ。国内外の複数の大学で、古英語・古アイルランド語、民間伝承を研究し、アイルランド国立図書館に勤務しながら作品を発表している。「エーリッシュ・ニー・グウィヴナ」というアイルランド語のペンネームも持ち、アイルランド語による作品も書いている。
※本作の舞台は、アイルランド島である。主人公サリーの故郷ドニゴールは、その北西部の海岸沿いの町で、現在のアイルランド(共和国)にある。サリー三部作は、主人公サリーの十三歳から十九歳までの成長物語であると同時に、19世紀末のアイルランド社会を写しだした歴史小説ともいえる作品になっている。
※『訳者あとがき』によると、本巻ではダグラス・ハイドが設立したゲール語連盟の活動によって、ゲール語(アイルランド語)がこぞって学習されるようになり、アイルランドの音楽やダンス、独自のスポーツ、ハーリングも盛んにおこなわれるようになった社会状況が描写されている。一方、のちにノーベル賞を受賞する若き詩人イェーツは、アイルランド農民の民話や妖精物語を編集するなどアイルランドの文学的伝統に目を向け、徹底してアイルランドに題材を求めた戯曲を書いてダブリンで次々に上演した。本巻中に出てきた「フーリハンの娘キャスリーン」もそのひとつ。この劇は、キャスリーンを演じたモード・ゴンの気高い美しさと相まって、観客の愛国心を鼓舞し大センセーションを巻き起こした。以来、演劇活動は、時に観客の暴動も引き起こしながら、現代にいたるアイルランドの熱い伝統となっていく。このような文芸復興運動が活発な一方、当時のダブリンには、貧民街ができ浮浪者が集まって、衛生や治安などの都市問題があったこと、貧しい人々や田舎に対する偏見があったことも事実で、それも作中にきちんと描写されている。
※ペニー・ファージング:作中の描写によると、非常に小さな車輪と、とてつもなく大きな車輪でできた自転車。サドルは、大きな車輪のてっぺんに、ちょこんとのっかっている。またブレーキもついてないらしい。挿絵では、大きな車輪にペダルがついており、現代の自転車のようなチェーンはない。作中の1899年には既に廃れた旧式な自転車であったらしい。

「前とうしろの車輪の大きさのちがうペニー・ファージングっていう自転車にも乗れるのよ。だから、トーマスとエセルが、わたしのことを『ペニー・ファージング・サリー』って呼ぶの。だって、今どきそんな自転車に乗ってるのは、ダブリンじゃわたしだけだもの」

ウィリー:ウィリアムの愛称
ビディー:ブリジェットの愛称
 

書名:サリーのえらぶ道
原題:Blaeberry Sunday
作者:エリザベス・オハラ
出版:さ・え・ら書房
内容:1893年の夏、北部アイルランドのドニゴール州は、かつてない暑さと乾きに見舞われていた。5月、ガラハー家の姉妹サリーとケイティは二度目の雇用期間を終え、故郷のグレンブラ村へと帰ってきた。帰郷を喜ぶサリーだが、家族と再会しても何故か気が晴れない。サリーは友人モーラ・カニングの兄マナスに会いたくてたまらないのだ。帰宅した翌日、サリーは母親のガラハー夫人からカニング家の変わりようを聞く。カニング家は政府から借りた金で農地と雑貨店を買いとって成功し、いまは金持ちになっているという。午後、サリーはカニング家を訪ねてモーラに会う。モーラは8月に出かける休暇旅行と9月から入る寄宿学校のこと、隣村の医者の娘エイリーン・カーとの交友のことばかり喋った。マナスは留守で、カニング夫人が冷たい態度だったこともあり、サリーは落ち込む。帰り道で恩師のリンチ先生と出会ったサリーは家に招かれる。モーラとの関係がうまくいかなくなったことを相談したサリーに、時がたつと人は変わるのだとリンチ先生は答える。そして、去年の不作が原因で教会区の半数がアメリカに移住したことが話題になったあと、リンチ先生から『過密地域委員会』という支援団体が女性を対象に刺繡の授業を始めるのでサリーも参加しないかと誘われる。帰郷して三日目、ケイティがこの夏もう一度働きに出るつもりだと言い出す。母親がこの夏は下宿する客が来るのでお金の心配はないと引き止めるが、ケイティは将来のために持参金を貯めたいと主張する。まだ十四歳の妹が結婚のことを考えるようになったのは、ガラハー夫人を毎晩訪ねてくる男性が現われたからだろうとサリーは考える。パッキー・ドハーティは無口な五十歳くらいの農夫で、毎晩一緒にお茶を飲んで帰っていく。翌週、ラスマンで開催される雇い人の市へ行くケイティに付き添ってサリーも出かけた。ケイティはデリー州の農場で働く仕事を見つけ、雇用主の農夫に連れられて出発した。妹を見送ったサリーは市を見物して歩き、黒髪と金髪の若者によるアクロバットに目を奪われた。サリーは手相見で運勢を占ってもらってから家路につくが、誰かが後ろをついて来ているのに気付く。サリーが振り返ると、市でアクロバットをしていた金髪のほうの若者だった。白い服を着た若者は、とんだりはねたり、ときどき側転しながらサリーに近づき、「ぼく、オラファー。オーラフと呼んで」と名乗った。オーラフはアイスランドから漁船に乗ってやって来て、アクロバットを披露しながら様々な市を回っているのだという。サリーの家が農家だと知ると、オーラフはブルーベリー・サンデーのお祭りの頃、8月にジャガイモの収穫を手伝いに行くと約束し、もと来た道を戻って行った。帰郷して三週間、夕方サリーが牧草地に向かって歩いている時、ずっと会えないでいたマナスと再会する。サリーが牛を自宅に連れ帰るあいだ一緒に過ごした二人は次に会う約束をして別れた。7月はバニスターという婦人がアイルランド語を習うためにグレンブラ村にやって来て、ガラハー家に下宿する。サリーたちは長期滞在客を迎える準備で慌ただしく過ごしていた。6月末の晩、サリーはマナスと海岸を散歩し、彼に問われるままに働いていた時の事を話した。このときサリーはビンにつまづいて転び、マナスはビンの中からアメリカの海洋気象局が記した手紙を見つけた。7月1日、ガラハー家に到着した客は、教師の仕事をしているという三十歳くらいの女性で、ジェラルディーナ・バニスターという名前だ。彼女は『ゲール語連盟』というアイルランド語とアイルランド文化を普及させるための組織の設立に関わっているらしい。翌日、六人の子供を抱える貧しい未亡人のグリッジー・グリーンが家を立ちのかなければならなくなった。二年近く家賃を滞納していたために立ちのき通知が出たという。滞在客が知りたがるかもしれないからと、サリーは彼女を案内してグリーン家に向かった。現場には地主の代理人と警官が十人、見物客が何十人も集まっていた。それから新聞記者とカメラマン二人がいた。グリーン一家が追い出されると、六人の男が荷車で運んできた破壊用の槌で家屋は壊されてしまった。サリーは客と別れて、仮設小屋に移動するブリッジーたちの家財道具を運ぶ手伝いをしてから帰宅した。すると、自宅には先ほどのカメラマンたちが居て、ガラハー夫人が羊毛を紡ぐ姿を写真に撮った。そのうえサリーをアイルランド農家の娘らしい姿に着替えさせて泥炭を運ぶ様子を撮影した。この晩、ガラハー夫人は10月にパッキーと結婚することをサリーに告げた。一方、サリーもマナスとの海岸の散歩がいつもの事になっていて、あるときキスされるが……。『サリーの帰る家』の続篇
※1994年初版
※作者は1954年、アイルランド・ダブリン生まれ。国内外の複数の大学で、古英語・古アイルランド語、民間伝承を研究し、アイルランド国立図書館に勤務しながら作品を発表している。「エーリッシュ・ニー・グウィヴナ」というアイルランド語のペンネームも持ち、アイルランド語による作品も書いている。
※本作の舞台は、アイルランド島である。主人公サリーの故郷ドニゴールは、その北西部の海岸沿いの町で、現在のアイルランド(共和国)にある。

※原題の「ブルーベリー・サンデー」は、7月最後の日曜におこなわれるお祭りのこと。毎年この日に、グレンブラ村の若者は、地元で一番高い丘、ノッカゲリーに登り、その斜面で一日じゅうブルーベリーを摘んだり、ピクニックをして過ごす。晩がたになるまで、ダンスをしたりして遊んだりするそうだ。
※三巻の『訳者あとがき』に二巻の社会状況についても書かれていたので引用すると、この物語の設定された19世紀末、アイルランドは長年にわたる大英帝国の支配に苦しんでいた。カトリック教徒であるアイルランドの農民の大多数は、イギリス人やプロテスタントによって独占されている農地を、高い地代を払って借りるしかなかった。もし払えないとなると、本作のブリッジーのように、土地管理人や警察の手によって、土地と家から、幼い子供もろとも容赦なく放り出された。イギリスによって他の産業の発達もおさえられていたために、土地も仕事もない大多数のアイルランド人は、イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリアなどに出稼ぎに行ったり、移住したりしなければ生活していけなかった。移民は現在までも続いていて、アイルランドの人口は三百五十万人強にすぎないのに、世界には約七千万人ものアイルランド系の人々が住んでいるといわれている。アイルランド自治への願いは高まっていたが、一巻に言及されている政治家パーネルの死後は、政治活動の勢いは失われている。そういう中で、アイルランド人としての誇りを、アイルランド独自の文化や歴史の中に求めようとする動きがおこる。本作で登場する『ゲール語連盟』による文芸復興運動である。それまで無学な貧乏人の話す言葉と見られていたアイルランド語(ゲール語)は、国民統合の象徴としてこぞって学習されるようになった。
 

書名:さいごのとりでマサダ
原題:The Rider and His Horse
作者:エリック・C・ホガード
出版:冨山房
内容:西暦71年の晩夏、「ぼく」ことダビデ・ベン・ヨセフは14歳の若者で、ツロの裕福なぶどう酒商人ヨセフ・ベン・ノアの息子だ。父親が友人のヨセフ・ベン・マッタティアに会いにカエサレアの町に行くというので、ダビデも一緒に付いてきていた。ヨセフ・ベン・マッタティアはマサダ砦とその司令官エレアザル・ベン・ヤイルについて語った。彼の話を聞いたダビデはヨセフ・ベン・マッタティアに会いたいと思ったことを後悔し、一人で港へ出かけた。港にはローマの船が浮かび、エルサレム陥落時に捕まったユダヤ人たちが奴隷として積み込まれていた。翌朝、カエサレアを出発した父子はツロへ帰る旅の途中で山賊団に襲われる。サマリア王を自称する山賊の頭目はダビデを捕虜にすると、父親に「金貨百枚の身代金を七日後に持って来い」と要求して去った。連行されたダビデはカルメル山の東側でメギドの町の北方の場所で一晩を過ごすことになった。山賊たちに酔い潰されたダビデは眠っている間に身ぐるみ剥がされ、朝目を覚ますと裸足でぼろぼろの身なりになっていた。山賊団はメギドの町の付近を移動中にローマの守備隊に見つかり戦闘になった。捕虜のダビデを見張っていた山賊にひきずられてダビデは転び、見張り役はローマ兵に殺されてしまった。ダビデは倒れたままじっとしていた。山賊たちは皆殺しにされ、ローマの騎兵隊は去っていった。自由の身になったダビデは故郷に帰るのではなくエルサレムに行って破壊された神殿を見たいと思った。エルサレムを目指してダビデはサマリアの土地を歩いていると、子供ばかりの盗賊団に出会う。一番年上の少年を殴って倒すと、彼は残りの子供たちをダビデに託して逃げ去った。農家で食糧をわけてもらったダビデたちはエルサレムの近くの丘陵地帯で夜を過ごした。サウルという名の少年はエルサレムの町が焼かれ、父親と兄が殺され、幼い弟も殺され、兵士が略奪するさまを見たと語った。翌日エルサレムに到着すると、町の側には十万人以上のローマ兵が駐屯していた。町の中へ入ると、廃墟になった建物に老人たちが隠れるようにして暮らしていた。ダビデは知人を探して町を歩き回り、女の人から人々を援助している人物シモン・ベン・ユダの噂を聞く。シモン・ベン・ユダに面会したダビデは、連れてきた子供たちを保護してもらう。シモン・ベン・ユダの屋敷で過ごすうちにダビデは彼を尊敬するようになり、弟子入りしたいと頼む。あるときラケルという女性がシモン・ベン・ユダに面会する。商人の夫と娘を亡くした彼女は、エレアザル・ベン・ヤイルのいとこだという。ラケルの弟もエレアザル・ベン・ヤイルと一緒にマサダ砦にこもっているらしい。弟の妻は亡くなっていて、弟は子供二人を砦に連れているという。マサダ砦がローマに落とされれば、子供たちは奴隷に売られてしまうので、そうなる前にラケルは引き取りたいと話す。そして、シモン・ベン・ユダにマサダ砦に手紙を出してほしいと頼む。ラケルは屋敷に滞在することになり、ダビデは彼女とマサダ砦のことを話し合ったりした。ラケルが待っていたマサダ砦の使者がシモン・ベン・ユダに会いに来た。そして、エレアザル・ベン・ヤイルからラケル宛の伝言は「誰一人マサダ砦を出てはいけないのだ」というものだった。拒否されたことを知ったラケルは怒り、ある朝姿を消した。ダビデは彼女のあとを追ってマサダ砦に向かうが……。歴史小説。
※1968年初版
※作者は1923年、デンマークのコペンハーゲンで生まれた。のちアメリカに渡り、英語で作品を発表した。
※訳者の『あとがき』によると、この物語の原題『のり手と馬』は、モーセがイスラエルの民をひきいてエジプトを逃れる時、追ってきたエジプト兵が馬もろとも海にのみこまれてしまった、という話からでているものである。武器を手にする者は、神に滅ぼされるという意味がふくまれている。
※本作は、古代ユダヤがひとつの国として戦った最後の戦い、マサダ砦の攻防戦を中心に描いたものである。
※イスラエル(ユダヤ)人は、13歳になると宗教的な責任と義務をおうものとされた。主人公ダビデは自分のことを成人と考えて発言し行動している。
※ツロ:フェニキアの古代に栄えた港町
※ヨセフ・ベン・マッタティア:紀元37~100?、ユダヤの祭司でガリラヤの司令官。ヨタパタの要塞にたてこもっていたが、ローマに降伏し、のちに皇帝に仕えた。フラウィウス・ヨセフスの名で知られる。『ユダヤ戦記』をはじめ、多くの年代記を残している。
※マサダ砦:ヘロデ王が築いた砦で、死海の側にあった。ユダヤ最後の砦で、紀元73年4月、ローマ軍に攻め落とされ、同時にユダヤは滅んだ。
※エルサレム陥落:西暦70年4月にエルサレムの攻撃が始まり、7月に陥落した。
※サマリア:もとは北イスラエル王国だったが、紀元前722年にアッシリアに滅ぼされた。アッシリアが移民を送り込んだ結果、アッシリア人の守備隊とイスラエル人がまじりあい、サマリア人が誕生する。のちにゲリジム山に自分たちの神殿をつくり、ユダヤ人と抗争した。
※訳者の『あとがき』によると、ヘブライという呼び方は、外国人がユダヤを呼んだ言い方で、イスラエル人は、自分の国をイスラエルと呼んだ。ただし、言葉だけはヘブライ語が普通のようである。ユダヤというのは、イスラエルが北イスラエル王国と南ユダ王国にわかれた後、南ユダ王国だけがその後長年にわたって存続した。この南ユダ王国から、ユダの民という意味でユダヤという言葉が生まれた。現代では、神の選民という意味でイスラエル、世俗的な意味でユダヤが使われている。

書名:サリーの帰る家
原題:The Hiring Fair
作者:エリザベス・オハラ(アイルランド作家)
出版:さ・え・ら書房
内容:19世紀後半、アイルランド島。十三歳のサリー・ガラハーは三姉妹の長女。「夢見るサリー」と呼ばれる彼女は家事が嫌いで、本を読むことだけが好きだ。尊敬するリンチ先生にときどき本を貸してもらうのを楽しみにしている。末っ子のジェイニーはまだ三歳で、次女のケイティは十一歳だが、手先が器用で家事が得意な働き者だ。サリーの父親ジャック・ガラハーは、ドニゴールの借地農夫で、海で漁もする。ガラハー家では牛とニワトリなども飼っていて、ガラハー夫人が世話をしている。ある日曜日、寄付を集めるために学校で『ダンスの夕べ』が開催された。母親に連れられてサリーとケイティは出かけ、父親はニシン漁に出るのを言い訳に欠席し、寝かしつけられたジェイニーは足の悪い祖母が見ることになっていた。三人は学校に着くと、それぞれの友人たちと楽しんだ。サリーは学友のモーラ・カニングと会話に花を咲かせ、モーラの兄マナスとダンスを楽しんだ。帰る時間になってサリーが挨拶すると、モーラは「マナスは、あんたが好きよ」と言う。サリーは帰りぎわの言葉で、マナスのことを意識するようになる。三人が帰宅すると父親は居なかった。朝には帰っているだろうと姉妹は考えたが、翌朝も父親は帰らずに水底で眠っていた。事態を理解していないジェイニー以外の家族はジャックの急死にショックを受けて嘆き悲しんだ。父親の葬式が終わって数カ月が過ぎ、ガラハー家の収穫作業を近所の人々が集まって手伝ってくれた。農作業のために一週間休んだサリーは、また学校へ通えると思っていたが違った。父親が死んだので、ガラハー家はもう農業を続けられない。だから「地代を払うために、二人とも働きに出てもらいます」とガラハー夫人は言うのだ。十一月三日、ミルフォードの『雇われ人の市』に三人は出かけた。母子は町の広場の「子供」と書かれた区画に立って、農場主に六カ月間「やとわれる」のを待って並ぶ。やがて英語を話す大男がケイティを四ポンドで雇いたいと言う。すると、ガラハー夫人は条件を出した。「初めて家を離れるので、姉妹を同じ村の中で働かせたいんです」はじめは渋っていた農夫も承諾して一旦は立ち去った。しばらくすると大男は洗練された服装のハンサムな農夫を連れて戻ってきた。ケイティを雇いたいと言った大男はロバート・キャンベルと名乗り、「ばあさんの手伝いがほしい」と言った。そしてウィリアム・スチュアートと紹介された農夫は「四人目を妊娠している妻の手伝いと子守り」がサリーの仕事だと言った。二人の農夫はティローン州のバリゴールという村に住んでいると説明した。ガラハー夫人は雇用条件を承知すると、雇用主に連れていかれる姉妹を見送った。二人を雇ったキャンベル氏とスチュアート氏は、一台の荷馬車できていた。雇用主のふたりは御者台におさまり、サリーとケイティは荷台に乗せられて出発した。夜になってバリゴール村に到着すると、姉妹は別々の家に入った。サリーが働くスチュアート家の屋敷は大きくて美しかった。そして、仕事は際限なくあった。サリーは毎日くたくたになって眠った。日曜日にケイティに会えることだけを楽しみにサリーは働いた。ところが、日曜日に村のカトリック教会にケイティは来なかった。ショックを受けたサリーは泣きながら帰り道を歩くうちに、ケイティの働くキャンベル家を訪ねようと決める。荒れた様子のキャンベル家のドアを叩いたサリーを出迎えたのは、奇妙な身なりの老婆だった。キャンベル家のおばあさんに許可を得て散歩に出かけたケイティは、「あの人、魔女よ」とサリーに告げる。とはいえ、キャンベル家の仕事は楽なくらいだとケイティは言い、屋敷の見かけは悪いけれど裕福な暮らしをしているらしい。何週間かが過ぎてサリーが慣れてきた頃、スチュアート夫人の陣痛が始まり産婆が呼ばれる。産まれたのは女の赤ちゃん。だけど産後のスチュアート夫人が高熱でうなされて……。少女の成長物語。
※1993年初版
※作者は1954年、アイルランド・ダブリン生まれ。国内外の複数の大学で、古英語・古アイルランド語、民間伝承を研究し、アイルランド国立図書館に勤務しながら作品を発表している。「エーリッシュ・ニー・グウィヴナ」というアイルランド語のペンネームも持ち、アイルランド語による作品も書いている。
※本作の舞台は、アイルランド島である。主人公サリーの故郷ドニゴールは、その北西部の海岸沿いの町で、現在のアイルランド(共和国)にある。サリーとケイティが住み込みで働きにいったティローン地方は、同じアイルランド島でも、今はイギリス(正式名グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)の一部となっている北アイルランドと呼ばれる地域だ。北アイルランド地方は、とくにイギリスから大量のプロテスタント移民が入植して、土地と産業を独占していた地域だ。サリーの雇用主スチュアート氏も入植者の子孫である。
※作中に名前の出てくる政治家パーネルは、ジャガイモ飢饉後の19世紀後半、アイルランドの自治をうったえ活躍した。オシア大尉の妻キャサリンとの不倫関係がスキャンダルとして新聞に報道された描写があるので、本作は1890年の物語と推測される。

書名:ソードハンド 闇の血族
原題:My Swordhand is Singing
作者:マーカス・セジウィック(イギリス作家)
出版:あかね書房
内容:十七世紀初頭、東欧のルーマニア。人里離れた森の中にある人口二百人程度の貧しい村クスト。長老たちの偏狭な価値観と、影の女王の迷信に支配された暗い土地だ。その村のはずれに一年前から住みついた飲んだくれの木こりトマスと息子のペーターは、よそ者として村人たちに疎まれている。十一月下旬、コロチェニ村の木こりラドゥが村の近くで自殺し、埋葬の為に父子が呼ばれた。木で首をつったというが、ラドゥの胸は引き裂かれて、心臓が刺し貫かれていたらしい。ペーターは不審がるが、父トマスは「オオカミにやられたんじゃないか」という。だんだん働かなくなったトマスの口癖は「迷信に惑わされるな」だ。王の軍隊に十年もいたうえに四年も牢屋にぶちこまれていたトマスは細長い木箱を隠し持っていて、ペーターは一度箱を開けようとしてひっぱたかれたことがある。クストに来るまで父子は各地を転々としていたが、その理由は父親が秘密にしており、ペーターは互いの心に距離を感じている。十一月末日、聖アンデレ祭の前日に村へ集金に行ったペーターはジプシーの一団が到着したところに居合わせ、「ミオリッツァ」と呼ばれる伝承歌をうたうジプシーの娘に目を惹かれる。そこへ女友達のアグネスがやって来てペーターは彼女を怒らせてしまう。次の週、ペーターは村で不穏な噂を聞く。村の家畜が次々と襲われたうえに、死んだ粉屋が夜な夜な妻を訪ねてくるという。トマスは馬鹿馬鹿しいと取り合わないうえに、「アグネスの母親も一カ月前に死んだ亭主が毎晩会いに来ると言っている」とペーターに教える。驚いたペーターは愛馬スルタンに乗って村に行き、アグネスを訪ねる。しかし、アグネスの家の一階の扉と窓は塞がれており、彼女は二階の窓からペーターに「帰って」と言う。そして「影の女王がクストを支配しようとしている」とアグネスから聞かされたペーターはでたらめだと思いつつも動揺する。家路についたペーターは、道に飛び出してきたジプシーの娘のせいで落馬する。ソフィアと名乗った娘は「背骨が折れた」と噓を吐いて騒ぎ、ペーターを引き止めようとする。ソフィアにキスされたペーターは、彼女を振り切って馬に乗る。ところが、家の近くでスルタンは前方を警戒して足を止めてしまった。仕方なくペーターは徒歩で自宅に向かった。すると、家の側に二頭の馬がつながれていた。ペーターは忍び足で自宅に近寄り、窓の下にしゃがんで耳を寄せた。数人の話し声が聞こえ、「影の女王がやってくる」「傀儡も数を増やす」「あれはどこへやった、トマス?」などと議論している様子で、父親は「いやだ!」と怒鳴った。すると扉が開き、四つの人影が家を出て行った。四人の正体はジプシーだった。ジプシー達がいなくなると、スルタンを連れて帰り、ペーターは家に入った。それからトマスを問い詰めて親子喧嘩になったが、ペーターが殴られて終わった。翌朝、父親が仕事に出たあとに目覚めたペーターのところへアグネスが走ってきた。今朝、村の通りで粉屋の息子のステファンが死んでいたと、アグネスは泣きながら話す。さらに、独身のフテファンのために死者の婚礼をしなければならず、その花嫁としてアグネスが選ばれのだという。婚礼と埋葬が終われば、アグネスは森の中の家で誰とも会わずに四十日間の喪に服さねばならないというが……。ダークファンタジー。
※2006年初版
※作者の『あとがき』によると、各地のヴァンパイア伝説を調べたうえで本作が書かれた。トランシルヴァニアの古い習慣や言い伝えを独自に解釈して作品に取り入れている。
 

書名:スラムに水は流れない
原題:Thirst
作者:ヴァルシャ・バジャージ
出版:あすなろ書房
内容:インド最大の都市ムンバイ。「わたし」ことミンニは私立学校の七年生で、四月に進級試験を控えている。「おしゃべりミンニ」があだ名の彼女の夢は大学進学だ。仲良しの兄サンジャイは十五歳でレストランの下働きをしており、将来の夢はシェフになること。父親はチャイの店で働き、母親は高層マンションに住む家族のために料理と掃除をしている。家族はスラムの小さな家で、貧しいながらも幸せに暮らしている。ミンニたちの家には水道がなく、毎朝バケツに水を汲みに行く。近所と共同で使う家の外の蛇口から水が出るのは朝二時間、夕方一時間だけに限られている。毎日長い行列に並ばなければならない。しかも医者には沸かして飲むように言われるような水だ。スラムには、ムンバイの人口の約四十パーセントが住んでいるが、水は市全体の五パーセントしか供給されない。次のモンスーンまであと二か月、水不足が深刻になる三月。ある日、サンジャイの友人アミットが言った。「おじさんが今夜新しい車を運転するって。おれたちを乗せてやってもいいって」アミットのおじさんのラムは、金持ちのおかかえ運転手だ。ミンニと親友のファイザも付いて行き、四人は新車のメルセデスに乗せてもらって夜のドライブを楽しむ。途中でラムおじさんが用事があるからと停車し、「車のなかにいろよ」と言い残して車から離れた。残された四人は車の窓から線路の向こうに止まっている給水車を見つける。好奇心からアミットが車を降り、サンジャイも後を追う。二人は鉄のフェンスを越えて線路を渡り、低木のかげに隠れた。その頃にはミンニとファイザの目も暗闇に慣れてきて、給水車からのびたホースが、線路脇を走るパイプラインから水を吸い上げていることに気付く。そのとき、サンジャイがくしゃみをし、男の声が響いた「そこにいるのは誰だ?」。頬に傷あとがある男が懐中電灯で辺りを照らしながら叫ぶ「ラヴィ!小僧たちを捕まえろ!」。そこへ電車がすごいスピードで走ってくる。運良く二人は列車が来る前に線路を渡ってフェンスを飛び越え、メルセデスに戻ってきた。そのタイミングでラムおじさんも戻って来て車に乗る。同時に、男の怒鳴り声「小僧たちを逃がすな!」。怒鳴り声を聞いたラムおじさんは車を急発進させ、その場から走り去った。家の近所で車を路肩に寄せたラムおじさんが聞く「なんで、あの男は怒鳴りちらして脅してきたんだ?」。何があったか知ったラムおじさんは尋ねる「だれかに見られたか?」。「役場で働いている近所のおじさん。名前はラヴィ。でも、あの人は急いで逃げろって言ってくれたんだ」と二人は答えた。ラムおじさんは四人に口止めすると、そのまま帰宅させた。翌日、ミンニが学校から帰ると、家にはラムおじさんとアミットが居た。水マフィアの男がサンジャイとアミットを探しているので、事態がおさまるまで二人を遠くへやるという。水マフィアは盗んだ水を売って利益を得ており、警察にも賄賂を渡しているため危険なのだ。行き先はラムおじさんの兄のところで、ニューデリー近郊で農場を営んでいるらしい。サンジャイが旅立ったあと、悪い事は重なるもので母親が病気で寝込んだ。診察した医者によると、生水を飲んでウィルスに感染したのだろうという。母親は療養のために田舎の祖母と叔母の所へ行くと言い、そのあいだの仕事はミンニが引き受けなければならない。学校が終われば高層マンションへ行き、雇用主の家で掃除と料理をする毎日が始まる。ミンニが上手く出来なければ母親が仕事を失ってしまう。そのうえ自宅の家事もしなければならない。毎朝ミンニは共同水道へ行って水を汲み、その水を飲めるように沸かして漉す必要がある。とても時間がかかり学校に間に合わない。遅刻すると学校へは入れてもらえない。四月の最終試験に受からなければ落第してしまうというのに……。
※2022年初版
※作者はインドのムンバイで生まれ育つ。1986年に大学院生として米国に留学。修士号を取得した後、米国でカウンセラーとして働き結婚。テキサス州ヒューストン在住。
※インドの学校制度は基本的に小学校が五年(六~十歳)、中学校が三年、中等学校が二年、上級中等学校(中等学校と合わせて日本の高等学校に該当)が二年の十二年間で、義務教育は八年生まで。しかし、政府が運営する無償の公立学校は教師も施設も質が悪く、私立学校とは比べものにならない。しかも、本書を読むとミンニの両親やスラムの住人のなかには義務教育の途中で学校を辞めて働き出したり結婚する人も珍しくないようだ。またスラムにも経済格差があり、ミンニやファイザのように私立学校に通う子供もいる。
 

書名:ナチスに挑戦した少年たち
原題:The Boy Who Challeged Hitler; Knud Pedersen and the Churchill Club
作者:フィリップ・フーズ(アメリカ作家)
出版:小学館
内容:第二次世界大戦中のデンマーク。1940年4月9日の朝、デンマークで三番目に大きい南部の都市オーゼンセの上空にドイツ軍の飛行隊が飛んできてビラをまいた。牧師の次男で14歳のクヌーズ・ピーダスンは芝生に落ちたビラを拾って読む。「通告」と題されたビラには「デンマークはドイツの保護下におかれている」と書かれていた。不可侵条約を破ったドイツ軍がデンマークに侵攻(ヴェーザー演習作戦)していたのだ。翌日、デンマークの首相と国王はドイツ軍がデンマークを占領することを承認した。同じく1940年4月9日、ドイツ軍はノルウェーにも侵攻し、ノルウェーは反撃を開始した。クヌーズはヒトラーの条件をのんだデンマーク政府を恥ずかしいと思い、戦うノルウェーの勇気に胸をおどらせた。1940年夏、クヌーズと1歳上の兄イェンス、いとこのハンス・イェルゲン・アナスン、友人のハーラル・ホルム、クヌーズ・ヒーテロンはレジスタンス(抵抗運動)のグループを作った。グループ名はドイツ軍から自国を守った勇気あるイギリス空軍の名前をもらってRAFクラブにした。少年たちは学校が終わった昼間、自転車で街中を走り回ってドイツ軍を偵察する。最初はドイツ兵のために立てられた道路標識を倒したり向きを変えて回った。次にドイツ軍の司令部と兵舎をつなぐ電話線を切ってまわる。1940年秋、このささやかな活動はオーゼンセで評判になった。ドイツ軍に圧力をかけられたデンマーク警察は、犯人逮捕につながる情報を提供した人には三百クローネを支払うという広告を新聞に出した。1941年春、クヌーズの父親イズヴァト・ピーダスン牧師はオルボーに移ることになった。オルボーはデンマークで四番目に大きい北部の都市だ。港と空港のあるオルボーはドイツ軍の戦略にとって重要な都市で、街にはドイツ兵があふれていた。ピーダスン一家が引っ越した先は、1506年に建立された聖霊修道院だ。イェンスとクヌーズの兄弟は司教座聖堂学校に転入した。二人はオルボーでもレジスタンス活動をしたかったが、誰を信頼して誰を誘えばいいのかが分からなかった。1941年のクリスマス前、教師へのクリスマスプレゼントを買いに出かけた生徒たちが修道院のイェンスの部屋に集まって会話していた。ふいにドイツ軍によるデンマーク占領のことに話が飛び、ピーダスン兄弟が抵抗運動を提案すると二人を除いて全員が決意した。オルボーのレジスタンスグループはイギリスの首相にちなんでチャーチルクラブと名づけた。さらに参加しなかった生徒の弟バアウ・オレンドーフが加わり、メンバーはピーダスン兄弟、アイギル・アストロープ=フレズレクスン、ヘリェ・ミロ、モーウンス・トムスン、モーウンス・フィエレロプが最初のメンバーだった。チャーチルクラブの初めの頃の活動は、オーゼンセと同じく道路標識の向きを変えることだった。さらにオルボーでレジスタンスをやっている連中がいると宣伝するために青いペンキでシンボルマークを描いた。ナチスの逆卍(ぎゃくまんじ)の四つの端に矢印を書き足した稲妻みたいなマークだった。少年たちには門限があったため活動は昼間に限定された。自転車で街を偵察して情報を交換し、チャンスがあれば行動した。ドイツ軍の軍用車を燃やし、ドイツ兵から銃器を盗み、ドイツ軍に協力する建設会社を襲撃した。活動はささやかなものから次第に大掛かりになり、警察の捜査も厳しくなっていく……。本書は、デンマークの少年たちがナチス軍に抵抗した実話を取材して書かれたノンフィクション。
※2015年初版
※本書は、作者が2012年10月にクヌーズ・ピーダスンにインタビューして書かれた。

書名:ラナと竜の方舟(はこぶね) 沙漠の空に歌え The Story of the Empty Place
作者:新藤悦子
出版:理論社
内容:砂嵐がやんで、つぶっていた目を開けてみると、ラナは見たこともない土壁の町の前にいた。町の周囲は沙漠。ラナと一緒に故郷から逃げてきた親戚や学友は居なくなり、代わりに知らない男の子が居る。ジャミルと名乗った男の子は「空飛ぶ竜に乗ってきた」と言って、眠る竜を撫でる。竜が運んで来たというラクダの列が町の門をくぐる様子を眺めるラナとジャミルに、町の塔の上から誰かが呼びかけ手招きする。ためらう二人の前に一羽の小鳥が舞いおりて喋る「早く町にお入りなさい。キャラバンの名前はさまよえる竜、町の名前は竜の方舟よ」。鳥は金色の冠をいただく伝説の人面鳥フープーだった。教えられたとおりに門番に答えて二人が門を通ろうとした時、一人の若者が駆け込んでくる。ミハイルと名乗った白人青年も気が付いたら此処にいたと言う。門の中はキャラバンサライになっており、其処で三人は竜に乗ってきたキャラバンの隊長である赤ひげの男とともに食事を取る。赤ひげ隊長いわく「ここに泊まれるのは二晩だけ」。しかも、さまよえる竜のキャラバンの行き先は分からないと言う。祖母の家に行きたいと言うジャミルに「竜に何か言えるのは、フープーだけ」と隊長は答える。フープーが居るのは町の中の見張りの塔なので、町に残る手続きをしなければ会いに行けない。この町は地図にない蜃気楼の町で、竜でしか来ることが出来ない場所らしい。ジャミルは町に残ることに決め、戦争に反対して徴兵から逃げているミハイルは竜に乗ることにするという。行くか残るか迷うラナは、赤ひげ隊長に町から出たいという母子に席を譲ってほしいと頼まれる。翌日、竜のキャラバンは出発し、ラナとジャミルが門番に案内されて町の中に入ると、チョコレート色の肌をしたエマと名乗る若い女性が迎えにきた。エマの家で暮らすことになったラナとジャミル。さっそくジャミルがフープーに頼み事をしたいと訴えると、エマは「フープーは竜使いマジュヌーンのいうことしかきかない」と教える。そこで三人はマジュヌーンのいる見張りの塔へ行くことにしたが……。
※2024年初版
※『あとがき』によると、物語に登場する画伯のモデルはイラン人の画家パルヴィズ・キャランタリー氏。本作の舞台は、キャランタリー氏の描いた砂漠の廃墟の絵『エンプティ・プレイス』。作中には他にもキャランタリー氏の絵からイメージを得たらしい場面が登場する。
 

書名:海賊たちは黄金を目指す 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘
原題:Born to be Hanged (絞首刑になるために生まれてきた)
   The Epic Story of the Gentlemen Pirates Who Raided the South Seas, Rescued a Princess, and Stole a Fortune
作者:キース・トムソン(アメリカ作家)
出版:東京創元社
内容:現在の南米コロンビアと中米パナマの間にあるダリエン地峡は、17世紀後半は未開のジャングルだった。その地域の先住民族はクナ族だが、スペイン人の支配から逃れるために奥地や大西洋岸のサン・ブラス諸島で暮らしていた。1880年4月3日、サン・ブラス諸島の東端に位置するゴールデン島で、クナ族の王アンドレアスは孫娘を救出する計画を考えていた。父親の館からさらわれたプリンセスは、スペインの要塞で奴隷にされていると考えられていた。クナ族は弓術に優れていたが、スペインの要塞に射手の一団が挑んでも敵の砲撃にやられて木っ端微塵にされるだけだ。そこでアンドレアスは「バッカニア」と呼ばれる海賊を援軍にしようと考えた。その頃、ゴールデン島の北にあるパインズ島に366名の海賊が上陸していた。海賊のほとんどはイングランド人で、パナマ北岸にあるスペインの港湾都市ポルトベロを襲撃するために1679年12月に団結したという。その戦利品として、一団は銀と手紙を手に入れた。手紙はスペイン商人がスペインの植民地統治者に宛てて書いたもので、当時「南海」と呼ばれていた南太平洋に面した植民地の脆弱性とダリエン地峡が「南海への扉を開く」かもしれないと警告する内容だ。この情報を知った海賊たちは新たな遠征を企て、参加者たちはパインズ島で落ち合った。徒歩でダリエン地峡を渡りパナマを襲う遠征計画では現地の案内人を必要とする。そんな時にアンドレアスはカヌーに乗ってパインズ島にやって来て、自分が案内役を務めようとバッカニアたちに話を持ちかけた。自分の孫娘が囚われているサンタ・マリア(ダリエンのピノガナ地区にある、現在のエル・レアル・デ・サンタ・マリア)に案内するから好きなだけ略奪すればいいし、満足できなければ次にパナマへ案内すると言う。スペイン人という共通の敵の前に、クナ族と海賊の利害は一致して両者は手を組む。4月5日、アンドレアスを含む6人のクナ族に案内されてジャングルに足を踏み入れたバッカニアたち。危険な毒をもつ動植物が待ち構えている密林での行軍は困難で、事あるごとに海賊たちはクナ族を疑う。このプリンセス救出作戦を除幕に、バッカニアたちはパナマ襲撃のあとも南海航路を進み、スペインの商船や植民地を次々と襲って旅を続ける。その間に仲間割れあり、叛乱あり、飢えや脱水症状を経験する。戦闘で落命する海賊もいれば、無人島に置き去りにされる者や、スペイン人捕虜と友情を育む海賊もいる。「短いながらも愉快な人生」をモットーとした海賊たちの1680年春から始まって、1682年春に幕を閉じる、およそ2年にわたる長い冒険旅行の物語。『最新世界周航記』のウィリアム・ダンピアを含む7人の海賊が書き残した航海日誌をもとにして描くノンフィクション。
※2022年初版
※本書は、南海遠征時に7人のバッカニアが記録していた航海日誌をもとにしている。その7人とは、ウィリアム・ダンピア、バジル・リングローズ、バーソロミュー・シャープ、ライオネル・ウェイファー、ジョン・コックス、ウィリアム・ディック、エドワード・ポウヴィーである。
※バッカニアとは、17世紀後半にカリブ海を根城にスペインの船舶や植民地を襲撃した、イングランド・フランス・オランダの海賊のことである。

悪名高いジョリー・ロジャー、すなわち黒地に白いドクロと大腿骨(だいたいこつ)二本を組み合わせた旗が登場するのは18世紀初頭になってからだ

バズ:バジルの愛称