行く手、はるかなれど | kanoneimaのブログ

kanoneimaのブログ

私的備忘録

書名:行く手、はるかなれど ――グスタフ・ヴァーサ物語――
作者:菱木晃子(ひしきあきらこ)
出版:徳間書店
内容:16世紀初め、デンマークの圧政に苦しむスウェーデン。1520年秋、スウェーデン中東部、セーデルマンランド地方、テルネー城の主・スウェーデン枢密院顧問官ヨアキム・ブラーの夫人マルガレータを訪ねて一人の若者がやって来た。彼は夫人の実兄で、二年前にデンマークへ人質に差し出されたグスタフ・エリックソン・ヴァーサ。グスタフは人質生活を送っていたデンマークのユトランド半島北部にあるカルー城から脱出し、北ドイツのリューベックを経由して祖国へ戻ってきたのだ。デンマークからの独立を主張するグスタフに対して、妹夫婦は独立派の貴族もクリスチャン二世をスウェーデン王として認め即位式に参加することになったと告げる。グスタフはクリスチャン王を信用してはいけないと反対するが、妹夫婦は11月の即位式に参列するために首都ストックホルムへ出かけ、グスタフはレーヴスネースにある父親所有の別邸に身をひそめる。だが、即位式がどうなったかの噂も聞こえてこないことに苛立ったグスタフは、マリーフレードの修道院に隠居しているウプサラの元大司教ヤコブ・ウルブソンをひそかに訪ねる。そこへストックホルムから戻ってきた男が悲報を告げる。即位式から四日後の1520年11月8日、新王クリスチャン二世はストックホルム城から目と鼻の先にある大広場で宴に招いた百名近いスウェーデンの貴族や聖職者の首を刎ねさせた。後世に「ストックホルムの血浴(けつよく)」と伝わる事件である。さらに広場で犠牲となった男たちの妻子も捕えられ、人質として全員が船でデンマークの首都コペンハーゲンへ送られたという。グスタフは父親をはじめ、義弟や「独立派」の重鎮たちの死を知ってショックを受けたが、涙ながらに祖国の解放を誓う。そして農期ごとに仕事をさがしてさすらう作男(さくおとこ)に身をやつし、グスタフはスウェーデン中部のダーラナ地方を目指す。ダーラナの民を説得し、結束して立ち上がらせる為だ。だが、頼ろうと思っていたダーラナ地方に住まう学友たち、鉱山主のアンデッシュには断られ、豪農のアレントには裏切られる。夫の密告に気が付いたアレントの妻の機転に助けられたグスタフは、追手であるデンマークの執政官から逃れ、善意の民に支えられて旅を続けるが……。
※本書は、スウェーデン建国の父グスタフ・ヴァーサの若い日の一時期を、史実に基づきつつフィクションのエピソードを織り交ぜた歴史物語。
※時代背景:1397年、デンマーク・スウェーデン、そして既にデンマーク統治下にあったノルウェーの三国のあいだでカルマル同盟が結ばれる。三国が同じ君主のもとにまとまり、軍事・外交面で協力しあうという内容で、同盟により、デンマーク国王がスウェーデン国王を兼ねることになっていた。内政はそれぞれの国の法律を重んじることになっていたが、財政難に苦しむデンマークは、スウェーデンから厳しく税を取り立て、男たちをデンマーク軍に徴兵した。デンマーク国王の非道なやり方にスウェーデン側は不満をつのらせ、ときにスウェーデン国王として認めなかったり、ときに武力で退けたりして抵抗するという、混迷の時代が続くことになる。当時スウェーデンでは、隣国デンマークによる支配に抗い、独立をめざす「独立派」と、デンマークとの同盟を維持し、その支配下にとどまるべきとする「同盟派」が対立していた。1513年にクリスチャン二世がデンマーク王に就くと、「同盟派」は勢いを盛り返し、スウェーデンは追い詰められていく。だが、スウェーデン軍は奮闘し、その結果、1518年に休戦協定が結ばれ、グスタフ・ヴァーサと有力者の息子数名が人質としてデンマークへ送られた。だが、グスタフ・ヴァーサは1519年9月に軟禁されていたカルー城を脱走した。

エリックソン(エリックの息子)

風邪に効くタイム、痛み止めになるローズマリー、胃腸にいいミント

銅の精製過程で出る赤い弁柄(べんがら)は、木の家に塗ると耐久性が増すという。これは地元で暮らす民の知恵なのだ

スウェーデンで聖ヨーランと呼ばれるこのキリスト教の聖人は、国によって、聖ゲオルギウス、聖ジョルジオ、聖ジョージなどと称され、竜退治の話で知られている。