過去のユダヤ人問題についてをネタにした日本人が、東京五輪で起用されることを知ってしまい、とてもとても悲しくて悲しくて泣いています。
五輪に関わる人間だから、ではありません。
日本人が、この世界的な問題について笑いにしたという事実が悲しいのです。
五輪のことも、全てがどうでもよくなりましたので、腹も立たないです。ただただ悲しくて悲しいです。涙が止まらないです。
ユダヤ人の友達が数人います。彼らの言語も何一つわかりませんが、ロシア語で会話することができていました。劇場の同僚にユダヤ人がいて、私は彼女とすぐ打ち解け、ユダヤ人博物館や街のシナゴーグに行き、牧師からも話を聞きました。
ホロコースト問題については本を何冊も読んだからか、昨日書いたような日記のようなその文面の中で、登場人物が重複していることがよくありました。さまざまな登場人物の視点から別の人物を読むことができます、そしてとても悲しくなったし、あってはならないことだとページをめくるたびに認識します。
アウシュヴィッツへ行ったとき、もう70年以上も前のことなのに、ガス室では異臭が微かに残っていました。靴も、髪も空になったチクロンの缶も何もかもがそこに残っていました。
ワルシャワでも、ゲットーが残っています。
そして、ドイツ人たちも、いけないことだと認識しています。
こんなに悲しくなったのはひさしぶりでした。