『手紙~拝啓 十五の君へ~』を聴いて当時思っていたこと
こんにちはお久しぶりです久しぶりに書きたくなってアメブロに帰ってきました。『手紙~拝啓 十五の君へ~』を聴いて当時思っていたこと。私の中学三年生(15歳)当時の課題曲はまさに『手紙~拝啓 十五の君へ~』。ドンピシャにかぶったものでひたすらこの曲を練習しましたし歌詞の意味についてもよく考えていました。クラスメイトや部活、家のことつらいことだらけでこの狭い箱で身動きが取れていませんでした。>十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです 未来の自分に宛てて書く手紙なら きっと素直に打ち明けられるだろう 今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は 誰の言葉を信じ歩けばいいの?という歌詞。どうして自分の気持ちがこんなにわかるの?というくらいダイレクトにヒットしました。残念ながらMVコメ欄には当時理解できなかったという人もいましたが、、、、友達に悩みを話してもおしゃべりでみんなに広まるし、誰かの愚痴を言い合っていても実は第三者の愚痴では結託している様子を見たり、ボールを嫌いな人に当てて楽しむ人もいて、どうしてこんなに荒れた性格ばかりがこぞって密集しているのだろう?と本音を言えずに居ました。誰も信用ができない、親友には安心して話せましたが友人レベルでは「好きな人がいる」ことから「深刻なこと」までは絶対明かせない状態。1番とそのサビは残念ながら悲しいままで終わってしまいましたが、二番では『自分の声を信じ歩けばいいの』とやや助言が入り、中学というせまい環境では決して簡単なことではないけど、そうできるようになることを信じました。誰も信用できないけど、自分だけは信用できるように【傷つけない】ことを大事にしました。よく教師が体罰をしたと報道されますが、中学生の無邪気な暴力のほうが残酷ですよ。ゲームだと思っているんだもん。「あいつうざいからボールを向こうに渡すとこにあいつ狙おう」。〈あいつ〉はみんなの悪口を広めるタイプの卑怯系女子で、私もいい思いはしてなかったし、そもそも止める勇気もない。ただそこにいるだけなのに傍観者にさせられてしまうのは本当に嫌だった。二番サビの中に『大人の僕も傷ついて眠れない夜もあるけど』がけっこうショックでした笑ええええええここを抜け出しても辛いの????っていう、今思うとそうでもないんですが、ここより酷い環境があるんか!?ってなりました。大人になって分かったんですが学生時代につらかったひとほど、社会に適応できる気がします。それは私なんですが笑ポエム的な言い方をすると大人は自由な鳥。他人と同じでなくていい、いつも同じメンバーでつるまなくていい、一人でいてもいい、けど定期的に集まる人が居る喜び。自分の声を信じて進めるのは責任が生まれると同時に自由なんです。中学の3年間は途方のない長さでした。この中で好きに生きろなんて当時を忘れたからこそ言えることなんですよね。今でもどうするのが正解だったかはわからないけど、通ってよかったとは今なら思います。今でこそ「大人になってから会うわけでもない人達の目なんてどうでもいいからとにかく自分の為に保健室登校でもよかったのでは?」とも思うけど、保健室に行くと単なる同級生だと思っていた子が心配して様子を見に来てくれて、「ああ、だから私は通い続けたんだ」と思い出しました。体調的につらかったけど、優しい子やいい思い出もたくさんあったことに大人になってからようやく気が付きました。嫌なことは100倍に感じてしまうけど、埋もれてしまっていたいい思い出は実は同じくらいあったのかもしれない。もう断片的にしか思い出せないのは悲しいです。フラッシュバックする記憶が、あの優しい記憶だったら・・・いま中学生で、つらい環境に身を置かれている方へ。とにかくいまの自分にしかできないことに目を向けてみてください。クラスが分かれて友人がいない状態に置かれた子は、休み時間や放課後など遊びに誘われなくなった時間を利用してひたすら勉強しました。その後学年トップになって周りから勉強を教えてと言われる存在になり、みんなと仲良くなっていました。他人を信じられず疑心暗鬼になったとき、手紙の歌詞にあった『自分の声を信じ歩けばいいの』とは、中学生の自分にしかできないことをすれば良かったんだと思います。私の場合は絵が好きでしたので、もっとデッサンに時間を費やしてもよかったし、音楽が好きなら作曲したり、歌唱力を磨いたり、本を読みまくったり、作品を出版社に投稿したり・・・この時 人間関係に縛られているなら将来の自分に換算できることに注目してもいいと思います。私のように高校や大学へ進学して生徒が一新してたまたまいい人たちと出会うこともあります。未来に絶望だけはしないでください。きっと良くなります。あなたにできることを小さくても始めてみてください。