東京国立近代美術館で開催した
ガウディとサグラダ・ファミリア展
に行った。(会期:~9月10日)
- 2018年のスペイン旅行で、最も行きたかったのは
- バルセロナにあるサグラダ・ファミリア。
- あの時の感動をまた味わいかった。
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- 平日の当日売りのチケットで入ったが、
- 写真が人と人の隙間から、ようやく撮れるような混みようだった。
- 入場制限していないのかしら?
- はてさて、
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展示構成に沿って記録しておこう。
1.ガウディとその時代 Gaudi and His Time ガウディの肖像画 -
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ガウディの略年譜を追ってみた。 -
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1852年6月25日、バルセロナ南西の商業都市レウスに父フランシスコ・ガウディ、 -
母アントニア・コルネの三男として生まれる。家は代々、銅板機具職であった。 -
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1863年、ピアス学院入学、初等教育を受ける(-68)。幾何を除き、成績は平凡なものであった。友人とともに、週刊誌を発行し、ガウディはその挿絵を描く。また、劇団をつくり、舞台装置を担当する。さらにポブレットにある修道院の修復計画を立案。 -
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1868年、二科目を落とし、五年生を終了できず。9月バルセロナに移る。建築学校への入学を準備する。 -
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1873年バルセロナ県立建築専門学校本科に入学。77年までの在学期間中、ビリャール教授をはじめ、何人かの建築家のもとで製図描きなどのアルバイトをする。 -
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1875年、翌年フィラデルフィアで開催されたアメリカ独立100年記念博覧会<スペイン館>計画案(-76) -
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1878年、建築士の資格取得。レアル広場の街灯(79年竣工)、パリ万国博のためのエステバン・コメリィアの手袋店の<ショーケース>、マタロの<マタロ労働者綿織物協同組合>計画。カタルーニャ探訪協会に参加、カタルーニャ各地への旅行に加わる -
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1881年、ラナシェンサ紙に装飾美術展(バルセロナで開催)に関する論文発表、ガウディが生涯を通じて発表した唯一の論文 -
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1882年、アウゼビ・グエルの依頼により、ガラフの<狩猟小屋>設計
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1883年、<カサ・ビセンス>建設開始(-88)。<エル・カプリチョ>設計(-85)。
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<サグラダ・ファミリア聖堂>の主任建築家に任命される
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1884年、<ファンカ・グエル>(グエル別邸。-87)、
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<サグラダ・ファミリア教会>(継続中)
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1887年、<グエル邸>(-89)、<アストルガ司教館>(-93)。
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アンダルシア、モロッコ旅行
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1888年、<サンタ・テレサ学院>(-90)1891<カサ・ボティネス>(-93)
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1892年、モロッコのタンジールにある<フランシスコ伝道会施設>計画案
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1898年、<カサ・カルベ>(-1904)、<コロニア・グエル教会>(-1916)
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1900年、<グエル公園>(-14)、<ベジェスガルド>(-16)
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1903年、マリョルカ島<パルマ大聖堂>修復
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1904年、<カサ・バトリョ>増改築(-06)、モンセラート山<栄光の第一秘蹟>(-14)
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1906年、<カサ・ミラ>(-10)1908この年から10年にかけて、
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ニューヨークの<グランド・ホテル>計画案
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19104月15日-6月30日、パリのプチ・パレにおいて「ガウディ展」開催
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1911年熱病にかかり、フランスとの国境に近い村で療養、この間に遺書を書く
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1912年、ブラネス教区教会の<説教台>。
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このころより、サグラダ・ファミリア聖堂の仕事に専念するため、
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他の仕事をいっさい断る
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1918年7月8日、最大のパトロンであり友人であったアウゼビ・グエル死去
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1924年、バレンシアの教会の<説教台>。これが年記のある最後の作品とされる
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1926年6月7日夕刻、路面電車にはねられ、
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10日午後5時、市内サンタ・クルース病院で死去。
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6月12日、ローマ法王庁の特別許可により、
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サグラダ・ファミリア聖堂に埋葬された
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ガウディが生きた19世紀後半は
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産業革命とそれに伴う都市人口 の急増によって、
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ヨーロッパの都市がかつてない規模で変貌を遂げた時代にあたる。
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また、最新の科学 技術や世界各地の文化、風俗、建築が一堂に会する
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万国博覧会が競うように開催された「万博の時代」でも あった。
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ガウディの自筆ノート《ガウディ・ノート》(1873-79) -
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名刺の裏に書かれたショー・ケースのデザイン -
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バルセロナで有名な革手袋店の経営者クメーリャ から、
1878年パリ万博に出品するショーケースのデザインを依頼されたもの。
このショーケースは会場で評判と なり、
バルセロナの資産家アウゼビ・グエルの目に留まり、
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その後ガウディのパ トロンとなったグエルとの関係を築く機縁となった。
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2.ガウディの創造の源泉 The Sources of Gaudi's Originality -
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建築家としてのガウディ!画力も凄すぎ!
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ガウディの言葉で
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「人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する」
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その言葉通り、ガウディは古今東西の建築や自然を丹念に研究
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することから革新的な造形の契機をつかんでいった。
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スペイン旅行でバルセロナにあるグエル公園を思い出した。
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長くなったので、
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