備忘録としての「越境から生まれるアート」Pt.3 | Studio Kanons memory スタジオ かのんズ メモリー

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前回投稿記事

 

の続きです。

 

第3章 移り行くイメージーパウル・クレー

 

 

ここでは、初期作品は以前にも見てきたので、

晩年の作品を掲載しておこう。

 

平和な村  1919年(新収蔵)

 

谷間の花 1938年 水彩・綿布(水彩、板に貼られた綿布)

 

パウル・クレー 略歴

1879年12月18日、ドイツ人の音楽教師の父とスイス人のオペラ歌手であった母との間に、

スイスの首都ベルン

近郊の町ミュンヘンブーフゼーに生まれる。

 

1900年にミュンヘン美術アカデミーに入学し、フランツ・フォン・シュトゥックの教室に学ぶ。ミュンヘンを拠点に、分離派展や芸術家グループ「青騎士」の活動に参加し、

ヴァシリー・カンディンスキーやフランツ・マルクら

と交流する。

 

第一次大戦後は、

ヴァイマールの国立造形教育学校バウハウスに招聘され、

1921年に正式な教授に就任。

造形理論の研究、講義、著述を行ないながら、

自らの芸術の革新に努めた。

 

1931年にバウハウスの教職を辞した後は、

デュッセルドルフ美術アカデミーの教授に就くも、

ナチ党が独裁色を強める中、

1933年にドイツを離れてベルンに移住。

1935年以降は皮膚硬化症と闘いながら、

スイス南部の町ロカルノ= ムラルトの療養所で没する,1940年。

 

第4章  東西を超越するーザオ・ウーキー