コートールド美術館展:魅惑の印象派 Pt.2 | Studio Kanons memory スタジオ かのんズ メモリー

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コートールド美術館:魅惑の印象派 の続きです。

 

印象派がメインだから、これまで、あちこちで、

たくさん観てきたからスルーしようか、と思っていた。

しかし、たくさんの見どころや新たな発見もあって素晴らしい展覧会だった。

 

記録しておきたい作品の続きです。

アンリ・ルソー 「税関の入り口」

 

ルソーはパリの税関の役人を50代まで勤めていたが、本作で描かれている税関は彼が勤めていたところではなく、想像の産物である。

 

ルソーは画家としての専門的な教育を受けたわけではなく、独学で絵画法を構築していった。

絵画の常道的技法を学ばなかったからこそ、ルソー独特の表現が生まれたと言える。

 

彼の一風変わった作品は同時代人からなかなか評価されなかった一方で、

ピカソをはじめとする前衛的な画家は、既存の表現から大きく離れたその自由な画風を称賛した。

コートールドが収集したルソーの作品はこの1枚だけだったそう。

 

アメデオ・モディリアーニ 「座る裸婦」 
 

モディリアーニが描く裸婦の顔やプロポーションは独特であるが、

これは彼がアフリカやオセアニアの彫刻に強い関心を持っていたことを反映したものである。

モディリアーニは、これらの彫刻をパリの民族博物館にて熱心に研究していた。

縦に長く描かれた顔と肢体は本作がモディリアーニの作品であることを強烈に伝える。

一方で閉じられたまぶたによって、彼の描く人物独特のアーモンド状の瞳はここには見られない。あの瞳が描かれていないことで、他の彼の作品に比べて本作はどこか柔らかな印象を帯びている。

 

ルノアール 桟敷席

 

女性のモデルはニニ・ロペス。

当時のルノワールのお気に入りで10点以上の作品に登場するモデル。

 

彼女の奇抜なドレスと後ろの男性が舞台ではなく別の桟敷席を双眼鏡で眺めている姿からも

当時の雰囲気が伝わってくる。

 

最後は、やはりメインビジュアルにも使われた

エドゥアール・マネ  フォリー=ベルジェールのバー 1882年 

 

印象派の画家達とも交流しながらサロン出品を続けた

エドゥアール・マネの最晩年の傑作。

 

ダンスホール「フォリー=ベルジェール」のバーカウンターに立つメイドの姿を描いている。

メイドの背後には大きな鏡があり、彼女自身の後姿やバーを訪れた客、

曲芸のショーなど、ホール全体が描かれるという複雑な空間構成となっている。

 

フォリー・ベルジェールはフランスで最初のミュージックホールで、

マネやトゥールーズ=ロートレ ック( )の画 1864-1901 題になった

パリのナイトシーンを代表する伝説的なホール。

 

中央に女神のように立つバーのメイドの空虚な表情と肉感的な表現、

背景全体が鏡の中の映像という 卓抜した構想、

そこに映し出された華麗なパリの夜の世界、

灯光にゆらめく紳士淑女たちと実在感に富む酒びんと果物の対比など、

マネ芸術の絶頂と思わせてくれる。

 

 鏡の中のメイドの背や右側の男は前景の立像の位置と物理的には合致しないが、

マネはそうした矛 盾も意に介さぬほど自由さをもって描いている。

 

モデルは後に、マネの伝記作者となるバジールの愛人となった女性。

 痛烈な批評家も マネ氏の大勝利 と語ったと伝えられている。

 

しかし、この作品を完成した翌年にマネは死去した。 

死因は 16 歳の時ブラジルで感染した梅毒で、 1880 年頃から症状が悪化し、

左脚の壊疽(えそ)が進 行、  1883 年、左脚を切断する手術を受けるも、

経過が悪く 51 歳で亡くなった

 

 

さまざまな視覚のトリックが隠された絵。

粗い筆致で描かれた背景の群衆がバーの喧噪を伝える。

 

鏡に映るメイドが会話をしている向かって右側の男性は、

彼女を誘惑しているのかと想像する。

 

メイドの虚ろな目つきから、多分、気が進まない相手である。

 

この絵画を創る頃、マネは病を患い、外出もままならなくなっていた。

そのためアトリエにバーカウンターをしつらえ、この絵を描いた。

 

こうしてリアリズムを追求する一方、

鏡の中の像をずらして現実の光景を変容させているのだった。

 

 

作家・ドイツ文学者の中野京子氏は言う。

 

マネは鏡の中の2人を最初、もっと中央寄りに描いていたのですが、そのあと少しずつ右へずらしていったことがわかっています。こうして全体の構図を三角形にすることで、中央のバーメイドを際立たせ、荘厳ささえ漂う画面に仕上げているのです」
 

これらの作品は、館では、このように豪華な雰囲気の部屋に飾られていた。

 

同じ作品でも展示の仕方で印象は随分、変わるものと思う。

 

とにかく、この展覧会のタイトルにある「魅惑の印象派」という文字通りの美術展だった。

 

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