自分に物語ブームがやってきたきっかけの本です。
住んでる場所なのに、東日本についての知識がなさ過ぎて、イメージが立ち上がらないのがもどかしかったです。
とりあえず、気になった部分を備忘録として書きます。
これから、断片が繋がっていくといいな
ちなみに、この本を読んだ後、東日本や出雲・奈良の歴史について全く知らなかったことをバンバン書いてくださっている複数のブログに出会い始めました。登場人物(神様)も前後関係も分からないままにですが、今、ランダムに情報を取り込んでいるような感覚です。
まだ、自分の中でわちゃわちゃしておりますが、東北・出雲・奈良あたり面白いなぁ
これは、高校の先生をしていた人が書いた本で、通説とか学派とか関係なく自由に書かれていて面白かったです
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書名 封印された「あづま・みちのく」の古代史
東ニッポン歴史再発見
著者 相原精次
発行者 江澤隆志
発行所 株式会社 洋泉社
2011年11月15日 初版発行
著者は、高校の国語の教師を定年退職後、執筆・研究活動をしているかた。
歴史作家・日本ペンクラブ会員
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◆東北の歴史が語られないわけ
『はじめに』で述べられていたことです。
明治維新では、近代化推進と王政復古を推し進めることとなった。
それは、天皇親政のもとの一元支配を目指すということ。
政府は、そのモデルを「大化改新」に求めた。
大化改新は、律令制と記紀(古事記・日本書紀)を導入し、本格的な天皇制の出発点になった出来事。
明治政府は、大化改新にならって、大日本帝国憲法を頂点とした法と、明治の神話(我が国は神代にはじまる万世一系の天皇をいただく国)を導入した。
東北は、戊辰戦争時朝敵とされた影響と、政府が導入した神話の論理上、語るべき(そして語られるべき)歴史がない地域となった。それは、大学等での主たる研究対象にもならないということ。
近代が明治維新から始まったとするならば、東北は、近代という時代に封印されたといえる。
◆越の国
ピラミッド・ストーンサークル・土器の分布と古事記の記述から会津から越後街道を経て新潟(古事記では越と呼ばれている)に至る地方の交流が見られる。
越後街道に入るところにあるのは氣多神社。
本社は能登半島羽咋市
祭神は大己貴命(大国主命)
この神社は、主に日本海側の越の地い古代から分布する神社。
越では、鉄器、青銅器が出土している。
◆稲作は、九州から入ったルートだけでなく、北ルートがあった可能性がある。下記遺跡の出土品より。
下北半島 脇野沢遺跡
青森県南津軽郡田舎舘村 垂柳遺跡
◆実は関東のほうが、前方後円墳は多かった。
でも、東夷には歴史なしということで取り上げられなかったらしい。
・前方後円墳の数
1位 千葉県 685
2位 茨城県 444
3位 群馬県 410
ちなみに
奈良 239
大阪 182
京都 183
滋賀 132
・東北の古墳
田村山古墳(東北最古と推定)会津
名取雷神山古墳(東北最大)宮城
角塚古墳(日本最北)岩手
ちなみに山形は
稲荷山古墳(東北6番目の大きさ。南陽市)がある。
米沢盆地に複数の古墳あり。
米沢は会津地方とのつながりが見られる。
◆日高見国
日本書紀の武内宿禰の視察報告に出てくる。
報告内容は下記のとおり
東夷の中に日高見国がある
人となりは勇猛果敢
これらを総じて蝦夷という
その土地は肥沃で広く
討ち取るべき土地である
自分のコメント
放っておいて欲しかった
◆日高見神社
宮城県石巻市桃生町(北上川の河口地域一帯・北国物流の中心地)にある神社
式内社 日高見神社
北上川の水を祀る神社
北上川という名は、日高見からきているかもしれない。
◆十三湊
運営したのは安東氏。
前九年の役で滅びたとされる安倍氏の末裔という説がある。
そのいきさつは、記紀の神武東征に遡る。
大和にもともといたのはニギハヤヒノミコト。長髄彦の妹と結婚していた。神武は、長髄彦を討って大和に入る。神武は、このときニギハヤヒノミコトを討たず、物部の祖とした。
秋田物部文書によると、ニギハヤヒの後裔(物部氏)が蘇我氏との戦争に敗れて大和を追われ、秋田にに定住し秋田物部氏になった。
また、秋田物部文書によると、長髄彦の末裔もみちのくにあり、「安日彦(アビヒコ)」と名乗り、それが安倍氏となる。
前九年の役で、秋田物部氏(ニギハヤヒの末裔)は朝廷側、安倍氏(長髄彦の末裔)は蝦夷側として戦った。当主、安倍貞任が戦死し安倍氏は滅びたとされるが、その末裔が十三湊に逃れて安東氏を名乗り繁栄したらしい。
◆朝廷の鉱物資源探査と宗教
朝廷は、みちのくの鉱物資源をおさえるため、資源探査のために宗教を使った。
・白山信仰
中国→朝鮮→若狭の白山で修験道として展開。
秦澄 白山開山
秦氏(新羅の真興王の末裔)と関係あり
奥州藤原氏と関係あり
・太白信仰
宮城県仙台市の太白山
山頂の貴船神社の宮石には、太白星がおちてきたものという伝承あり。
太白星は金星のこと。
(太白山頂の貴船神社は、京から勧請。鞍馬山とつながっているとみられる)
ちなみに、鞍馬と貴船はワンセット。
鞍馬寺 寅の年寅の月寅の刻、毘沙門天が天降った
貴船神社 丑の年丑の月丑の刻、貴船の神が鏡石に天降った
自分のコメント(浮かんだイメージ)
丑寅のコンビなんですね→丑寅で国常立命を連想(単純💦)
ピラミッドと船(宇宙船?)
ニギハヤヒと瀬織津姫?
金属(?)と水
男性と女性
レイキ
金星って何を表してる?←疑問(笑)
・天台宗
山岳寺院が多い。
東北各地にある新羅神社との関わりで東北で活動。
円仁
→唐に九年いたとき、新羅人ネットワーク(旅のアテンド・通訳も)に助けられた。
桓武天皇の指示で活動
桓武展の子ら(桓武平氏)による関東支配につながる
円珍
→八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光にかかわっている。
園城寺(三井寺)北院新羅善神堂建立。
園城寺のあたりは、壬申の乱の際、大友皇子が天智天皇の大津宮を引き継ぐため拠点としたところで、新羅系渡来人の墓が多い。
上記の通り、源氏と関係あり
自分のコメント
『新羅』が気になった
日本で、長い間、百済系と新羅系の人が勢力争いをしている気がする。
なんなら、今も?
・真言宗の系統では熊野信仰がみちのく進出
山形県南陽市 熊野神社
宮城県名取市 熊野本宮社、熊野新宮社、熊野那智神社
・羽黒山修験道
独自展開
大和の政争に敗れて逃れてきた蜂子皇子が開山?
羽黒山には、後、白山信仰の秦澄、真言宗の空海、天台宗の最澄も来山したとのこと。
◆雀はササともよばれる
ササとよませる地名や、雀が出てくる昔話は鉱物資源探査とかかわりがあるかも。
自分のコメント
仙台すずめ踊りが頭をよぎった。
◆平泉の奥州藤原氏と白山信仰は、結びつきが深いかも。
中尊寺は白山神社があった場所に建てられた。白山信仰のある越前や福井県に平泉寺がある。
◆中尊寺は平野衣川と呼ばれる地域にある。
◆義経を奥州平泉に連れて行った金売吉次は、安倍氏の本拠地といわれる衣川出身。
◆義経が頼朝から逃げたルートは、白山修験ルートかもしれない。
◆桓武平氏は円仁をみちのくに派遣、その情報を元に東国経営をしたが、平将門の乱、忠常の乱を経て失敗。
忠常の乱を平定した源頼信がみちのくへの足がかりを作る。
ここから源氏が台頭。前九年・後三年の役を経て最終的に頼朝が東北の支配を確立。
◆文覚
・衣川出身
「衣川村史」にのこる「遠藤系図」によれば、遠藤盛遠が出家して文覚となった。
・頼朝が平泉に目を向けるきっかけとなっている可能性がある。
自分のコメント
文覚は、安倍氏の本拠地、衣川の出身なんだな。
衣川、やたらと出てくる地名だな。
源頼朝を動かしたけど、最終的に、潤沢な鉱物資源をもち、蝦夷の長であった奥州藤原氏を滅ぼすことになった。
それは、文覚の意図したことだったのかな?
◆頼朝は征夷大将軍の名にこだわった
後白河法皇は、この官職を頼朝に許さずに亡くなった。後白河法皇の死後、征夷大将軍となり幕府を開く。
自分のコメント
頼朝、幕府を置いて政治的実権を握ってしまうって、すごいことやったのかも。
朝廷にしてみたら巨大な利権を失うことだったんだろうな。
なんせ、東北は、文字通り金銀財宝が眠っている場所だもんね。
◆明治政府の文教政策
明治政府の指導者は、尊皇攘夷派の志士あがりで、北朝系の天皇の下で政府を組織していながら、北朝を目の敵にして南朝が正統だとする輿論の喚起を文教政策の主要な課題とし、後醍醐天皇と対立した足利尊氏を「朝敵」と規定した。
それに対して、後醍醐天皇に尽くした楠木正成は「忠臣」とされた。
自分のコメント
自分は、ずっとこのことが腑に落ちなかったです。
学校で、いろいろ理屈は習ったけれどしっくりこなくて。
なんで北朝系の天皇がいる皇居に楠木正成の銅像があるのかな?とか、でも、まぁいいかって生きてきました(笑)。
明治維新で天皇が南朝系になっているかもしれないという説を知って、そういうこともあるか~と思いました
ただの陰謀論(笑)
頭を柔らかくして、教えられたことと事実が違うかもしれないくらいの緩いテンションで生きたいです。
以上です。