「明日、引き取ろう」
筆談で何度かTに言われたけど
そうなると生活が今より更に逼迫する。
それに私の負担が増えるから反対してきた。
手術してから1年以上ずっと声を出せない彼が
どうしてもと言うから相当迷っていた。
小型犬を飼いたいと言う。
Tは昔、可愛らしい雑種を飼っていた。
でも
舌癌に2度も罹患して手術して入院している際に
その子は他界してしまった。
手術で失った舌だけでなく愛犬まで失って
相当ショックだった事と思う。
私も動物は大好きだけど責任を考えると悩む。
特に室内犬だと躾に散歩や保険など費用が嵩む。
心配性の私と深く考えていないT。
だから反対だった。
話せない事で人は相手を話せるときよりも
少し違う態度で接してしまう。
それは
私自身が身をもって感じている。
話せていた頃の彼を思い出す。
手術前に入院中の彼と院内のコンビニの前で言葉を交わした僅かな時間が切ない。
なぜか歩いて手術室へ向かう彼の姿を振り返る。
もうそれきり声を失うと解っていながら最後に耳にした言葉すら思い出せない。
そして
話せなくなった今はもう別の人のようにとらえてしまう愚かな自分。
声が出ないだけで当り前が当り前では無くなる。
そんなTに対して私は知らず知らずに邪険な態度をとるようになっていた。
きっと私だけでなく多くの場所で彼は
話せていたときとは違う他者の態度を目の当たりにしてきたと思う。
なのに身近な私まで彼に辛く当たっていた事に気付く。
辛く当たるというのが正しい表現なのか解らない。
話せないと言うだけできっと必要以上にハンデを背負った人として接してしまっていた。
声なき声で語りたいし本来は違う自分であるのに
声が無いだけで接する人々は特殊な人のように接してくる状況に何も言わないながらも
彼は傷付いていたかもしれない。
Tの気持の拠り所は話せなくても気持の伝わる動物と暮すことだったみたい。
でも彼に面倒は見られないから私がやることになる。
今でさえ家の事がきちんと出来ていないのに
これ以上の負担は無理だと思っていた。
でも何が何でも飼いたいと言う。
そうなると何もかも私がやることになるし
家族と同じだから責任も生じる。
それを思うと不安で相当悩まされた。
動物は大好きだけど
その責任を抱える自信が無かった。
毎晩Tに言われても
ずっと反対していた。
勿論ペットと暮す夢はある。
ネックなのは多くの負担と心配だった。
彼の気管孔に抜けた毛が入ってしまったらとか
彼の薬をペットが誤って口にしてしまったら等という
憶測の心配で頭がいっぱいになる。
飼いたいと言っても何一つ準備をしてくれない事は解っていた。
Tの心情を考えると苦しかった。
人生は自分が望み通りに生きる事が幸せなはずだけど
そこにガードをかけてしまう臆病な自分を改めて感じる。
不安の要素をいくつもあげて却下する。
だから前へ進めない。
Tも私も ずっと気になっているワンちゃんだったけど
不安症な私は先々のことを考えて反対してしまう。
でもTは深いことを考えずに飼おうと言う。
もしも
話すことの出来ない彼の心の闇に明りが灯るのであれば
私は負担を背負ってもペットと暮す人生を
選んだ方が良いのかなと気持が傾いていった。
数日悩んで
彼の望みを受け入れる事にした。
たとえペットでも家族同様だと思う。
だから小さな命を迎え入れることに
私はかなりパニックになっていた。
どう育てたら良いのか調べまくり
必要な物も購入した。
子供の頃
犬や猫とずっと暮してきたのに
今は時代が違うから安易には育てられない。
たくさんの不安で心が翻弄する。
なのにTは呑気で何も考えていない様子だった。
それでも
お気に入りのペットが家族になることで
彼に笑顔が戻りそう。
負担はあっても
それ以上にHAPPYになれるとしんじて
お迎えしよう。