しかし、一歩進んで日本を知った後には、この民族へ心から敬服せざるを得ない。正直に言えば、私は日本人は中国人より聡明であるとは思ったことはないし、日本人が思いつくことが中国人には思いつかないと考えたこともない。けれども、私は日本人には中国人が出来ないことができるし、その差は歴然としたものであることを認めなくてはならない。いったいどんな原因でこの小さな島国がこのような奇跡や燦然とした輝きを創りだしたのであろうか?これは我が国民が何代にも渡って考えるべき問題である。もし20年以上前に中国人が日本に来ていたら、高層ビルが立ち並ぶ都市、発達した交通、精巧な電子機器、美しい乗用車に驚いていたに違いない。なぜなら当時我々は貧しく、見聞も無かった。しかし、今はこれらの物質には少しも心は驚かされない。今我々がいっそう興味をひかれるのは、日本人と関わった時に彼らには、ある物が、或いは特質、もしくは元素とも言えるかもしれないものに容易に気がつく、あるものである。それと同時に私は悲しくもそれは我が中華民族には多くはないということを認めなくてはならない。それは確かに目では見えないものであるが、日本にいればその多くの細かな点からそれの存在に気づき、はっきりと感じることができる。私はそれを“国民精神”と呼ぶ。これは日本人に自覚的に自分の行いで自国のイメージを樹立させ、自覚的に国と企業の利益を守り、自覚的に向上心を持って職務にあたり、自覚的に社会の良好な秩序と環境を守り、自覚的に“自分で自分を管理し、人に迷惑をかけない”ことを己の行動規範とさせ、皆を一つにすることができるのである。国民の素質とはこのような国民精神によって体現するものであり、国民精神は国家の、また民族の精神でもあると私は思うのだ。私は信じている。日本を訪れた人はみなはっきりと彼らにはこの国民精神があることをはっきりと感じたことを。
また、この国民精神はまさに日本立国の土台であり、この国民精神こそが日本が奇跡を創り出した原因であることを。このような国民と精神、文化を持った国家をどうして敬服させないことがあろうか。
汪中求氏(《細節決定成功敗》の作者、清華大学の客員教授)はかつて中国、アメリカ、日本の大学で何年も仕事のしたことのある、中国人教授の“仮に中国と日本が同じラインに立ったとしても、中国が日本に追いつけるとは限らない。両国民の素質には30年の差がある”という言葉を引用したことがある。私はこの“30年の差”というのはどうやって計算しだしのかわからないが、この差を認めざるを得ない。まさにこのせいで、我々の心にまた新たな恨みが生まれるのである。これは人が自分より優れていたり恵まれているから生まれた嫉妬の恨みでは無く、意気地が無く、もっといいものにならなく、事実を認めたくないやりきれない恨みである。日本人を目の前にしてどうして我々は納得しないのか。それは、我々にはそのような歴史があるからなのだ。散々の屈辱を受けたからなのだ。日本を訪れた時に我々の気持ちに特殊な心理変化が現れるのは、あたかも一人の人間がか弱いために虐められ、日々雪辱を拭い去ることを夢見ているが、一旦夢が覚めると相手は依然として自分よりも強壮であることに気づく。これでどうして恨みが生まれないことがあろうか。この恨みは一層複雑で、深く、矛盾している感情である。さらに、祖国への愛が深ければ深いほど、その恨みは強まるのだ。
特に、“三鹿奶粉”“黒磚窯”“黒煤窯”“豆腐渣”などの国民のメンツを失わせるようなスキャンダルを耳にすると、この恨みは抑えきれなくなる。この恨みの根源は良知の残存と民族への憂慮にある。この恨みがあるからこそ、我々には自覚と、エネルギー、希望がある。
もちろん、日本を理解する目的は若者の心に恨みの種を植え付けるものではなく、それが昔であろうと今であろうと、彼らに恨みを徹底的に取り去るためで、“若者の力で、世界平和を”実現させるためである。過去100年間、人間が自然と物質をコントロールするパワーはこの上なく強大なものになったが、我々が望む安全や幸福を得ておらずに、却って残虐さは極限まで達している。未来の平穏と進歩は次の世代が互いに友となれるか、平和に共存できるか、さらなる理性を持って関われるか、共通に定めたルールが尊敬されるかによって決まる。つまり、次の世代の智慧と文化の素養によって決まるのである。我々は歴史を忘れはしないが、恨みは捨て去ることができる。何故なら恨みは進歩も平和も、国家の強盛、さらには世界の調和をもたらさないからだ。恨みは理性、良知、チャンスを失わせ、前に進む足取りを遅くさせる。恨みを捨て去り、もっと冷静さを持ち、平和と、謙虚さ、実務を重んじり、恥を知ることが必要である。周りに憤激のスローガンを聞かせるのを減らし、もっと自分から具体的な行動に移すべきである。国家の現代化へのキーポイントは国民意識の現代化であり、民俗振興のキーポイントは民族文化と精神の振興である。国民意識の覚醒が無ければ、国民精神は我々の心に根付かないので、本当の意味での中華民族の振興はありえなく、現代化の実現は永遠の夢物語であり、スローガンや絵空事となってしまう。我々一人一人が公衆道徳を守り、誠実に約束を守り、職務を遵守し、社会に関心を持ち、他人に良くし、環境を守る。これらの事をすることから、社会の調和を守り、民族のイメージを樹立するのである。こうして初めて、我々は敬意を払われる世界平和に加わる一員となれ、本当の意味で世界の仲間になれるのである。その時は我々の心には二度と恨みは無くなり、自尊と、自身、誇り、博愛と幸福がある。