翻訳してみた。その① | 湖南省で日本語教師

湖南省で日本語教師

湖南省の某所で日本語教師をやってます。専攻は中国語で、まだまだペーペーですが頑張ってます。

 これは、今年の夏に北京四中という高校が400人もの生徒を連れ(本文にもありますが、中国史上初らしいです)、日本に修学旅行へ来た際に、その学校の校長先生が自身のブログで綴った文章です。


 この文章は、生徒の修学旅行の感想を本にしたときの序文にするらさしいです。



つたな訳ですが、よろしくです。無駄に改行しているのは少しでも見やすくするためです。ご了承ください。




举青春之力,谋世界和平

「若者の力で世界平和を」



2008年夏、北京四中高校二年生の生徒と教師、約400名余りが修学旅行で日本を訪れた。今回の修学旅行のテーマは「若者の力で世界平和を」である。一つの学校がこれほどまでの規模で修学旅行を行うのは、やはり中国史上初とのことである。そのため、日本からはかなり注目されており、日本の中国駐在公使が事前に我が校にやって来て講演を行い、日本の情勢や文化を紹介した。さらに我々が日本にいる間、日本のメディアは我々の全日程を報道したのであった。生徒たちは今回の修学旅行はとても実りのあるものであったと思った。そこで私は、彼らの修学旅行の感想を編纂して本にし、高校生活の記念に彼らにプレゼントすることにした。


中国と日本の間には断ち切れない恩怨の感情がある。さらに私は、かつて日中両国のようにこんなにも互いに大きく、深く影響を残した国家は無いと思っている。1000年ほど前、中国隋唐の時代、我が国に日本から使者がやってきて文化を学んだ。この時から日本は文字を使い始めたらしい。100年ほど前、清国は留学生を日本に派遣し、また多くの青年たちが自分から日本に留学をした。そのうちの多くが反封建制の先駆けとなった志士である。30年前、小平が日本を訪れ、新幹線の中で彼は「(中国の発展を)急ぐ必要がある。」と感じ、乗用車の自動生産ラインを見たときに、「何が現代化ということかわかった。」と言った。この日から60日も経たずに第十一回三中全会が北京で開かれ、中国の歴史の新たな1ページが開かれたのであった。


30年来、日中関係は起伏に富み、悪化し、好転もし、複雑かつデリケートなのである。改革開放後に生まれた北京四中高校の400名余りの生徒は日本を留学旅行で訪れ、この国で文化を学び、この国で友を作った。このことは学生、我が校、国を問わずとても重要な意義を持っている。

我々は確かに日本を見習う必要がある、というのは多くの国民のコンセンサスとなった。今回の目的の一つは学生の社会現象の観察力と社会問題の考察力を養うためである。私は、学生たちの文章から彼らの観察の細かさと思慮深さを感じた。例えば、ある生徒は日本の茶道のことについて述べ、さらにこれを中国の茶の嗜みと比較していた。彼は、中国人は茶の嗜みは「味」に、茶の味と玩味にあるが日本人はその繁雑な茶道の過程から茶(歴史と文化)と茶を味わう人へ尊敬を表すのである。これはまさに文化の違いである。


また、ある生徒は「音姫」について述べていた。これは私が日本に行ったときにガイドと話したことがある。私のある友人はかつて礼儀についての本を執筆したことがある。本の中には、客人としてのマナーに関することが書いてあり、時間が長くなるようでは別だが、人の家を客として訪れた時にはできるだけ用をたさないこと、とあった。もし、人の家で用を足す際には2回水を流さなくてはならない。1回目はトイレでのプライベートな音を消すためである。教養があることがわかるが、同時に水の無駄遣いになってしまう。そこで、細かく気の付く日本人は(ひょっとしたら日本人が開発したのではないかもしれないが)“音姫”を採用したのである。“音姫”は顕著な社会文明の産物である。考えてみてほしい。もし人が用を足す際に人不快な音を聞かれたり、人前で大声で騒ぐことを羞恥としなかったらどうして“音姫”という文明の産物があるだろうか。

 

 原因が地理、文化、歴史、経済発展のための相互依存、何れにかかわらず一衣帯水の両国の関係は常に“切り離せず、道理はさらに乱れる”のである。私は我が校で日本の学校の訪問団の歓迎式に何度も参加したことがある。そこで過去の戦争の話をするたびに、彼らは謝辞を述べ、また深々とお時儀をすることもある。2年前、長崎東高等学校訪問団を歓迎する際に、私は初めて戦争のことを話さなかった。改革開放後の我が国の発展と平和の始まりや、長崎は中国本土と最も距離の近い島嶼であり交流が最も長いため、中国文化の影響を最も受けたこと。そのため今だ長崎には蛇踊(竜の形に作ったはりこを大勢で担いで舞うこと)の風習が残っていること。竜の故郷は中国であるため、このことから長崎は中国から深い影響を受けていることがわかること。日中関係は両国にとっても世界にとっても重要であることを話した。それから100日足らず、北京四中高校が歴史に残る日本への修学旅行を行った。長崎東高等学校で私は確かにそこで、竜の鱗に字が書いてあったのをみたのである。