宇治拾遺物語 藤原道長と愛犬 | 宗教法人観音御光之会

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「宇治拾遺物語」

藤原道長(平安中期の公卿兼家の五男。娘を后に立て、外戚となって内覧摂政太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華をきわめた。晩年に出家し、法成寺を造営。関白になった事実はないが御堂関白と称された。日記「御堂関白記」がある)は毎日、自身が建立した法成寺(平安時代中期に藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院。道長の主邸土御門殿の東にあたる鴨川西岸に建てられ、 京極御堂とも称された)に、かわいがっていた白い犬をお供に何時も通っていた。
 ある日、道長が門に入ろうとしたとき、犬は激しく道長を引きとめた。道長は「きっとわけがあるのだろう」と思い、安倍晴明(平安時代の陰陽道の大家,超能力者また占いの神様として神秘的に扱われた人物で『今昔物語』に「古にも恥ぢず,やむごとなかりける者なり」とあるのを初め『古今著聞集 』『宇治拾遺物語』その他にその逸話が語られている) を呼んだ。
 晴明は占うと、「道に道長殿を呪う物がうめてあります。犬は神通力を持つので、教えてくれたのです」と言い、呪物の場所を見つけた。それは、地面を五尺ほど掘ったところに、土器を重ね合わせて黄色いこよりでからめてあり、中に朱砂で文字が書いてあるものだった。晴明は「この術を知っているものは、他にいません。道摩法師(平安時代に活躍した陰陽師。  安倍晴明に勝るとも劣らない力を持ち、晴明とはライバル関係にあった)の仕業かもしれません。調べましょう」と言って、懐から取り出した紙が、白鷺に変化し、南の方角へ飛んでいった。
 この白鷺を追ってみると、六条坊門、万里小路あたりの古びた家に落ちていった。すぐに家主の老法師を捕まえて、理由を問うと、「堀川左大臣顕光公(平安時代中期の公卿。天慶7年生まれ。藤原兼通の長男。母は元平親王の娘。天延3年(975)参議。のち左大臣,従一位にいたる。長女元子を一条天皇の女御に,次女延子を皇太子敦明(あつあきら)親王の妃としたが,藤原道長の圧力で後宮対策に失敗。治安(じあん)元年5月25日死去。78歳。道長一族にたたり,世に悪霊左府とおそれられた。通称は堀川左大臣) に頼まれた」と言った。道長は「道摩の罪ではない」と言って、老法師の本国の播磨に追放するだけだった。
 顕光公は、死後怨霊となって、道長の近親を祟った。悪霊左府と呼ばれたとか。道長は、自分を救ってくれた犬をますます大切にかわいがりなさった。

犬は、人間にはない予知能力があるという。道長の白い犬も主人の危険を察し、がんばって守ってくれました。ワンちゃんに感謝感謝

犬・猫殺処分0を目指して、皆様方の愛の"ワンニャン募金"何卒何卒お願い致します。感謝 

一切衆生悉有仏性。(生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性  仏性  をもっており,すべて悟りうる)

 

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