地獄のジャズ研編2 | アマチュアのどうでもいい話

アマチュアのどうでもいい話

しがないアマチュアの、無意味な自分語り。
まずは「前置き」からどうぞ

高校ジャズ研最後のライブで、一曲だけもらった「モーニン」は難航を極めた。
自分一人から始めるテーマ(主旋律)に対して、バンドが返事をするような構成の曲なのだが・・・
めちゃくちゃな自分のリズムでは、バンドがどう入っていいか分からないのだ。
ライブに向けてモーニンを練習していた時、部員からの風当たりが最も悪かった。
一番ストレスが溜まったのはドラムで、一触即発な状況だった。

またアドリブソロにもかなり苦戦していた。
この曲はAメロはマイナーペンタ一発で弾けるが、
Bメロから二拍ごとにルートが下がってAのキーに戻る「強進行」の構成になっている。
きちんとジャズらしく弾くには、ほぼ一小節ごとにキーを変える必要があるのだ。
(今でもモーニンをきちんとジャズらしく弾けない気がする…この曲は難しいよ)

この時は摂り付かれていたように練習していたと思う。
いつしかブルーノートスケールをシール無しでも弾けるようになり、
5・6弦のルートの位置も把握し、伴奏も間違えることも無くなった。
ただしジャズのアドリブで最も重要な、リズム感・フレーズを歌うという所はまったく駄目だった。
自分の番が回ってくるまで、部室の外のコンクリートに座り込みモーニンのメロディを何時間も弾き続けた。



かくしてライブ当日になり、自分の両親も演奏を聞きに来てくれた。
平日は部活も含めて4時間、休日は6時間くらい練習していたので。
…少し心配もされていたと思う

半年かけて必死で積み上げていた自分に、僕は少し期待していた。
よく少年漫画とかで、大事な決戦で修行の成果が出る…みたいな展開あるじゃない?
今まで初めて本気で必死になったことは、きっと実ると。

当たり前だけどそれは甘ったれた考えで、ライブの演奏はそのままの僕だった。
部室で小さくなり、家の部屋でひたすら練習し続け、それでも全然至らない。
等身大の自分だった。

ライブが終わったあと両親に聞いた第一声が
「自分の演奏は変じゃなかった?」
だったことは印象に残っている。
結局限られた時間での努力では、華麗に(当時はそう見えた)演奏する他の部員とは雲泥の差があったことは知っていた。
「変じゃ無かったよ」
と両親は言ってくれたが、多分やさしさだったと思う。
でもそれ以来、親父は「お前にギターが続くはずが無い」という言葉を言わなくなった。