地獄のジャズ研編1 | アマチュアのどうでもいい話

アマチュアのどうでもいい話

しがないアマチュアの、無意味な自分語り。
まずは「前置き」からどうぞ

高校の頃バンドや音楽をやっていた人の多くは、輝かしい青春の思い出があるのではないだろうか?
自分にとって歓迎されないまま無理に入れてもらったジャズ研時代は、
十数年のギター弾いてた中で一番苦労した時代だった。

だからアニメの軽音とか見ると、正直嫉妬が止まらなくなる。
あんなに和気藹々と、練習に打ち込まず、
ハイレベルな演奏を繰り広げるのが悔しくて悔しくて(とても現実ではこんな話は出来ない)

無理を言ってジャズ研に入れてもらったは良かったが
メトロノームにあわせる練習をしなかった自分のアドリブは滅茶苦茶で
伴奏のハイコードのルートもずれる始末。
そして自分が本当に悪かったのは、演奏の至らなさに萎縮して
メンバーと打ち解けることが出来ずにいた。

ジャズ研の部室の中で、自分はまるでそこに居ない人間であるような気がしてた。
ギターの人は結構親切にしてくれたけど、一番上手かったドラムの人をかなり苛立たせていた

何としてでもこの状況を打開しようと、楽しむというより追い詰められながら練習していた。
教えてもらったブルーノートスケールがどうしても覚えられず、ギターのフレットにシールを貼ってその形を追いかけた。

ギターを弾く人はご存知と思うが、スケールにはそのキーの骨格となる度数(1,3,5度など)、スパイスとなる度数(6、b5度など)がある。
だがその時の自分はそんな事は全く理解せず使い分けもなかった。
ルートやb3度を省略して、b5度で着地&ロングトーンで鳴らすなど…とても音楽とは言えない代物だった。

今までは曲のコピーだった練習が一気にスケール練習に変わり、適当に買ってきた理論書を読み漁る日々となった。
それでも一向に改善の兆しは見えず、無意味に指先の水ぶくれだけが増えていった。



今思い出すと相当恥ずかしく、人には言えない話だが。
僕はそんな情けない自分がいやで、ギターを背負って通学できずにいた。
学校の軽音に入り、家でも練習したいから…ギターを学校に毎日持っていく必要がある。
でもラグビー部を逃げる形で止める事はクラスメイトは知っていたし、バンドをやるようなキャラでもなかったからだ。

「ギターを持っているところをクラスメイトに見られたくない」

そんな思いから、しょうもない奇行を思いつく。
それは、かなり早朝に家を出てギターを高校の近くの山に隠すことである。
山にギターを隠してから学校に行き、放課後に発掘して部活に向かう…。
そんな相当恥ずかしくアホな行為を、飽きずに毎日繰り返していた。

…ほんと、追い詰められていたんだなぁ



全く成長しないまま、学園祭でも演奏したが…まぁ思い出したくないです。
(坂道のアポロンとか、あんな物は幻想だよwww)
部活に入るのも遅かったため、実質自分が所属できたのは一年ちょっとだった。

最後のライブに向けて大きなアクシデントがあった。
高校でジャズをやっている部活の珍しさもあり、地方のラジオでライブの様子がオンエアされることとなった。
そして僕も最後のお情け?として、自分がテーマを引く(いわば主役になる)曲を一つ受け持つことになる。
テーマのリズムがこけたら、全てが台無しになる曲…

アートブレイキーの『モーニン』である。
http://www.youtube.com/watch?v=--BuSHoPZqA