本土で、米軍のヘリが不時着などの事故を繰り返したらどうなるか――。おそらく、新聞・テレビがそろって米軍と日本政府を厳しく批判し、関係自治体の住民は大騒ぎするだろう。しかし、沖縄で米軍普天間基地所属機を巡って異常事態が起きているというのに、本土の日本人は冷淡。ヘリの事故を伝える報道に対しても、反応が鈍い。
相次ぐ米軍ヘリの事故を通して、本土と沖縄の間にある温度差について考えた。
(写真は米軍普天間飛行場)
■異常事態に米軍トップも「クレージー」
異常事態と言うべきだろう。一昨年12月から今年1月8日までの約1年間に、オスプレイをはじめ普天間基地所属の機が起こした大きな事故は12件に上る。そのうち9件は沖縄県内で発生しており、基地と隣り合わせの状況が、いかに危険であるかを物語っている数字と言えよう。
沖縄では昨年12月、米軍普天間飛行場に隣接・近接する保育園と小学校に米軍所属ヘリの部品・窓が落下。年が明けて間もない今月には、2件のヘリ不時着事故が起きている。普天間飛行場所属機による事故が後を絶たない状況は文字通り「異常」な事態だ。
在沖米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官が「(事故の続発は)クレイジーだ」と表現するほど、在沖米軍の危機管理能力は地に墜ちている。これが本土での出来事なら、新聞・テレビは連日大騒ぎしていることだろう。横綱の暴行がどうの、親方の動向がどうのに紙面や放送時間を割く場合ではなくなる。
■「沖縄ネタ」でお茶を濁す本土メディア
しかし、沖縄人(あえてこう表現する)が「本土紙」と呼ぶ、国内の代表的新聞やテレビなどのマスメディアは、沖縄の異常事態についてどこか他人事。ジャーナリズムが真に必要な状況がいまそこにあるにも関わらず、米軍の不祥事はたまにある「沖縄ネタ」として消費されている。住宅地の隣に東アジア最大の米軍基地があることの潜在的リスクや、本土にとっては遠い過去となった「戦後」が、沖縄にとってはいまだ「戦後ゼロ年」であることについては報じられていない。
メディアの水準はそれを必要とする国民に同調する。つまり日本人は、沖縄に関する暗いニュースを求めていないのだ。明るく楽しいリゾート地こそ日本人に歓迎される沖縄像であり、安室奈美恵を生み、アメリカ文化を取り入れながら独自の文化を醸成した芸能の島という在り方こそ日本人の求める「オキナワ」であり続けている。たとえ全都道府県中飛びぬけて貧困率が高かろうと、全国で最低の大学進学率をキープし続けようと――。
■まるで「植民地」
そういう意味で、「沖縄は植民地である」と考えたほうが腑に落ちる。自らも沖縄出身である広島修道大学の野村浩也教授は、「国土面積比で0.6%にすぎない沖縄県に在日米軍専用施設面積の74%を押し付けることで、日本自体は繁栄を遂げた」と指摘し、沖縄が現在進行形で日本の植民地状態にあると喝破した(『無意識の植民地主義』御茶の水書房/2005年)。植民地の住民がどれだけ危険な生活を強いられていても宗主国の人間にとってはまさに他人事であり、改善に取り組めば自らに跳ね返ってくるのだから本気になるはずもない。
戦後すぐの1946年、GHQは日本に在留する外国人実態調査を求めた。その際に「外国人」の対象となったのは、当時「非日本人」に分類されていた「朝鮮人、中国人、台湾人」、そして「琉球人(北緯30度以南のトカラ、奄美、沖縄に本籍を置く者)」だった(『それぞれの奄美論50』南海日日新聞社編より)。さらに米軍は戦後、奄美と沖縄を日本から切り離して統治するにあたって「琉球人は日本に侵略された異民族」と認識していた。本土を守るために琉球列島を「捨てる」ことを躊躇しない日本人――沖縄の現状をみるにつけ、米軍の徹底したリアリズムが正しかったことを認めざるをえない。
■本土に求められるのは……
「現状を変えるには独立しかない」。そう考える沖縄人も増えている。沖縄出身の芥川賞作家、目取真俊さんは、普天間飛行場の県内移設反対運動の現場に立っている。目取真さんは以前、沖縄独立運動について否定的だったが、いまでは自身の連載で沖縄独立を公言するまでに変化している。かつて否定的だったのは、独立運動が暴力を避けて通れないことを危惧していたからだ。「安易に独立を口にするのは弾圧の苛烈さを理解していない人。だから安易な独立志向は本気でない証拠でもある」――それがかつての目取真さんの立場だった。
では、なぜ独立を口にするようになったのか。宗主国からの弾圧の恐ろしさは、2016年に自身が辺野古沖で反対運動中に逮捕・拘留されたことで証明された形だ。ほかの現場では県外の機動隊員から「触るな土人!」と罵られており、こうした経験を経て「腹が決まった」ようにも見える。基地反対運動の先頭にたつリーダーが、独立を掲げて地域政党を立ち上げる――目取真さんが想定する独立までの道のりは、本土人が予想する以上に具体的だ。“独立しかない”とまで追い詰められた沖縄人の心情は、本土メディアに接しているだけでは到底理解できない。
本土から約800キロを隔てている地理的関係以上に、日本人と沖縄人のアイデンティティーをめぐる断絶は遠く、深い。沖縄を植民地状態のままにしていいのか。日本は幸いにも「まだ」民主主義国家であり、国民が未来を選びとることができる。国民が「沖縄に基地を押し付けるべきではない」と判断し、選挙で民意を示せば必ず現状を変えられるのだ。独立を選び取るかどうかはウチナンチュー(沖縄人)自身であり、選択を迫られているのはアメリカ政府でも日本政府でもない、私達ヤマトンチュー(日本人)一人ひとりではないのか。
「Hunter」より転載
その沖縄で安倍内閣と自民党が名護市長選を巡って札束攻勢を展開している。
名護市長選で安倍自民が卑劣な分断工作、菅と二階が訪沖して土建札束攻撃
沖縄入りした二階俊博幹事長(撮影・横田一)
辺野古新基地建設(普天間基地移設)が最大の争点の「名護市長選(2月4日投開票)」が近づく中、安倍自民党が札びらで頬を叩くような手法で基地反対の民意を抑え込もうとしている。年末年始に菅義偉官房長官と二階俊博幹事長が相次いで沖縄入りして自公推薦候補の渡具知武豊・元市議や支援者らと面談、公共事業推進(予算増加)の“アメ”をちらつかせつつ基地受け入れを迫る“ムチ”を振るう手法を繰り返し始めたのだ。
県民無視とはこのことだ。4年前の名護市長選と沖縄県知事選で新基地反対を掲げた稲嶺進市長と翁長雄志知事がダブル当選したのに、安倍政権は移設工事をゴリ押しする一方、沖縄関係予算を大幅削減する“沖縄イジメ”で異論封殺を画策。
この姿勢は今回の両重鎮の来沖でも不変で、その象徴が直接交付金だ。地元民意を代表する沖縄県や名護市を通さずに、新基地受入表明の周辺住民(名護市の三集落)に直に国の補助金を交付するというもので、12月29日に現地入りした菅官房長官は名護市内のホテルで三集落代表(久志区長・辺野古区長・豊原区長)に対して2018年度予算で直接交付金が確保されたことを伝え、次のように説明もしたのだ。
「政府としては最高裁の判例に従って工事を進めている。皆さんの生活環境の保全や地域の振興に関し、政府としてはできる限りの配慮を行ってきた」
新基地反対の沖縄県や名護市は相手にしないが、基地受け入れの周辺住民には税金投入をするという卑劣な分断工作だが、公共事業でも同じ手法を駆使。市内で工事中の「名護東道路」(8.4キロ。総事業費962億円)を視察し、未完成区間(2.6キロ)の1年半の完成前倒しと延伸調査を関係省庁に指示したことを明らかにしたのだ。
名護市長選で公共事業推進と投票依頼のギブ・アンド・テイクの“土建政治”が!
しかし地元記者は「露骨で卑劣な市長選対策」と首を傾げていた。
「車社会の沖縄は名護市も含めて慢性的な渋滞に悩まされており、名護東道路も渋滞緩和効果が期待されている路線です。そんな生活道路を安倍政権は“人質”に取って、『名護東道路の完成前倒しをして欲しければ、自公推薦候補に投票をして新基地反対の市長を交代させろ!』と脅しをかけているようなものです。必要な道路であれば、名護市長選と絡めずに淡々と整備をして当然です」
公共事業推進と自民党系候補への投票依頼がギブ・アンド・テイクの関係の「土建選挙(利益誘導選挙)」は、田中角栄元首相以来の自民党の得意技だが、そんな古き土建政治手法を名護市長選でも駆使しているといえるのだ。
「寝業師」「大物族議員」などの異名を持つ二階俊博幹事長も、公共事業予算を選挙対策(集票増)に結びつけるのに熱心だ。その豪腕ぶりが可視化されたのは土地改良事業(規模拡大や灌漑整備などをする農業土木事業)予算の“完全復活”。民主党政権時代に半分以下に大幅削減された予算額を、「全国土地改良事業団体連合会」の会長として二階氏は第二次安倍政権誕生以降、増額を働きかけて以前の水準にまで戻すのに成功、選挙対策に活用しているのだ。
「後継者不足に悩む農家の多くは、土地改良事業の減額分が原資の『戸別所得補償制度(直接支払い)制度)』を評価・存続を望んでいたのですが、二階氏は『ハードからソフトへ』の流れを逆戻りさせ、予算増に汗をかく自民党への投票を呼びかけたのです。たとえば、一昨年秋の新潟県知事選でも二階氏は、土地改良事業関係者に予算増の実績を訴えながら自公推薦候補への投票を呼びかけました」(永田町ウォッチャー)。
国民の税金を土地改良事業を介して選挙対策に流用しているようにしか見えないが、この“二階流方式”は新潟だけでなく、名護市長選でも提案されたのだ。
以下全文は下記から。
http://lite-ra.com/2018/01/post-3732_2.html
この世の中は金を自由に使える者が勝つのかね。
嫌になるなぁ、稲嶺さん、頑張れ(^_^)v