ドイツ「アフガンの平和的支援」で死者55人、PTSD今も/安倍晋三はドイツの実態に目をつぶるな  | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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安倍首相 他国領域での集団的自衛権行使も




後半国会の焦点となる安全保障関連法案が、26日の衆議院本会議で審議入りし、安倍総理大臣は、集団的自衛権の行使について、「機雷掃海は受動的かつ限定的な行為で、外国の領域であっても新3要件を満たすことはありうる」として、武力行使の新3要件に該当すれば他国の領域で行使することもありうるという認識を示しました。


後半国会の焦点となる、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法案は、安倍総理大臣も出席して26日の衆議院本会議で審議入りしました。


この中で安倍総理大臣は、集団的自衛権の行使に関連して、「政府としては、従来より武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領域に派遣する、いわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上、許されないと解している」と述べました。


そのうえで安倍総理大臣は「他方、機雷掃海については、『一般にということの外』と申し上げたように、その実態は、水中の危険物から民間船舶を防護し、その安全な航行を確保することを目的とするものだ。その性質上も、あくまでも受動的かつ限定的な行為だ。このため、外国の領域であっても、新3要件を満たすことはありうる」と述べ、武力行使の新3要件に該当すれば他国の領域で集団的自衛権を行使することもありうるという認識を示しました。


また、安倍総理大臣は、安全保障関連法案の整備に伴う自衛隊員の安全性に関連して、「自衛隊員の任務は国民の命と平和な暮らしを守り抜くことで、今後とも任務には一切、変わりはない。法制の整備によって付与される新たな任務も、従来どおり命懸けのものだ。そのため、法制の中で隊員のリスクを極小化するための措置をしっかりと規定している。法整備により得られる国全体や国民のリスクが下がる効果は非常に大きいと考えている」と述べました。 


「NHKニュース」より転載


「機雷掃海に妙にこだわる安倍晋三」だね。
何でそんなに機雷掃海にこだわるのか、ご主人様から強く指示されているのかな。
ところで、この答弁の中で、「自衛隊員の一人や二人死んだところで、国全体のリスク国民のリスクが下がれば良いじゃん」と他人事のような事を言っているが、さすがに危険性ゼロとは言えなかったということだろう。
「軍隊」を他国に派兵することによる国全体の危険性は、現在とは比較にならないほど高まると考える者にとっては、まったく詭弁にしか聞こえないが、同じような理屈づけでアフガンへ「平和派兵」をしたドイツの実態を読めば、安倍晋三の言っていることが嘘八百だとよくわかる。



戦争法 ドイツの場合

アフガンで“平和的任務” 死者55人 PTSD今も…


ドイツは1990年代、侵略戦争を禁止する基本法(憲法)の解釈を変更して、海外派兵を開始し、2001年に米国が始めたアフガニスタン戦争にも地上軍の兵士を派遣しました。しかしその中から、多くの死傷者、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の患者を出し、社会全体に大きな傷を残しています。安倍政権が憲法9条の解釈変更をし、アメリカの戦争にいつでもどこでも参加できる戦争法案を成立させることを狙っている日本への警告ともいうべき実態を現地に見ました。(ベルリン=片岡正明 写真も)



憲法の解釈変更 海外派兵

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(写真)独軍戦没者の碑に献花する「メモリアルラン」参加者=16日、ベルリン


 ブーンブーンと、大型バイクの音がベルリン市内に響きました。アフガニスタン戦争に参加した兵士・退役軍人がバイクでデモ行進する「メモリアルラン」が16日に行われました。アフガン戦争の経験者が社会で直面する問題への理解を訴え、兵士・退役軍人の待遇改善を求めて11年に始まったものです。

 デモ参加者は最初に、戦後ドイツ軍が発足して以来の戦没者の碑に献花。代表者は「亡くなった兵士は親でもあり、兄弟でもあり、そしてわれわれの兵士仲間でもあった。そしてPTSDで苦しんでいる仲間もいる」と語りました。

 ドイツでは、第2次世界大戦後に制定した基本法で、軍の出動は「防衛」などに限られると規定。独軍の活動は北大西洋条約機構(NATO)同盟国の防衛に限られ、NATO域外では活動できないと解釈されてきました。

 ところが、1991年の湾岸戦争にドイツが派兵しないことに、米国から強い批判が噴出。当時のコール政権は、域外派兵のための「必要な国内的前提条件をつくる」ことを国際公約にし、基本法の解釈を変更。独軍はNATO域外でも活動可能としたのです。

 以後、毎年のように海外派兵を増やし、現在は十数カ国に派兵。特にアフガニスタンでは、2002年から14年末まで国際治安支援部隊(ISAF)に毎年4000~5000人を派兵しました。世論調査で3分の2の人が反対するにもかかわらず、政府は強行し続けました。現在も850人がアフガン兵士の訓練を任務として残留しています。

 しかしアフガン派兵で独軍兵士55人が死亡し、わかっているだけでPTSDの患者が431人となるなどの深刻な結果をもたらしています。

■軍は変わった

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 連邦議会(下院)国防委員会に所属する左翼党のクリスティネ・ブッフホルツ議員は、「NATOが初めて集団的自衛権を発動したアフガン戦争への派兵は、独軍を本格的に殺し殺される軍に変えました」といいます。



 09年9月にはアフガン北部クンドゥズ州で、独軍大佐が指示した空爆により、民間人91人が巻き添えになり死亡する事件も起きました。ブッフホルツ氏は、これがドイツにとって「1945年後初めての戦争犯罪になる」と指摘します。

 「政府はISAFが治安維持や後方支援などの“平和的任務”だといっていましたが、実はISAFは米英の不朽の自由作戦と密接に関係していた。占領軍とみなされて攻撃され、軍事紛争の深みにはまっていったのです」

■“戻れば治る”

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 PTSDの影響は深刻です。不発弾や地雷処理の専門家としてアフガニスタンに3回派遣された経験を持つロベルト・ゼトラチェクミュラーさん(37)は語ります。

 「最初の2002年のときに、不発弾処理で事故に遭いました。友人も含め5人が亡くなり、多くの兵士が負傷。それ以来、花火の破裂音を聞いても当時の爆発をありありと思い出してしまう」

 不眠やフラッシュバックの症状からPTSDと診断されたゼトラチェクミュラーさんですが、03年と05年にもアフガン行きを命じられます。

 当時はそれが普通で、「現地部隊に戻れば治る」といわれたといいます。しかし病状は悪化し、帰国後、家族とのトラブルや自殺願望、身体の異常が拡大。「医師にこのままでは死んでしまうといわれた」ことと「娘を傷つけてはいけない」という思いから、09年に「初めて本格的な援助を軍に求めた」と語りました。

■相談に来ない

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 ベルリンの軍病院で医師として働くゲルト・ウィルムント大佐はいいます。

 「PTSDは不眠や集中力の低下が続き、自分の感情がコントロールできなくなって暴力をふるったり、うつ病を併発すれば自殺にもつながる病気ですが、当時は治療のやり方がわからなかったのです。03年に多くの死傷者を出した自爆テロ事件を受けて、PTSDの治療の研究が始まりました」

 PTSDにかかり、独軍病院などで治療を受けている患者は14年末で431人。しかしドレスデン工科大学の調査では、派遣後12カ月たった兵士の2・9%がPTSDにかかっているとの数字もあり、軍が把握できていない患者は多いといわれます。

 ウィルムント氏は「キャリアに傷がつくと思って、相談にこない兵士が多いのは事実です。PTSDにかかっても、軍に何らかの助けを求めるのは50%。さらに精神科医に助けを求めるのはそのうちの10~20%にすぎません」と認めます。

 独政府が退役兵士の実態をつかんでいないのは、独軍が11年7月まで徴兵制だったという事情があるといいます。青年の半分が徴兵を経験しており、誰が兵士だったかという膨大な記録が十分に把握されていないといいます。

 「メモリアルラン」を企画する退役軍人の会などは、助けを求める人を掘り起こし、医療・生活の援助につなぐ活動をしています。

 前述のゼトラチェクミュラーさんもその1人。「PTSDの退役軍人の中には病気のため離婚したり、暴力事件を起こして刑務所に入ったり、ホームレスになったりする人もいる」と深刻さを語りました。

 同氏は現在、軍でアフガンから帰った兵士の相談員の仕事をしながら、中高校の要請にも応じて自分の体験を話しています。

 「兵士を派遣したのは政治です。国民が票を入れてつくった政府と議会がわれわれをアフガンに送り、私はPTSDになった。将来の有権者である生徒たちにこのことを知ってもらうことは大事です」


「しんぶん赤旗」より転載


「兵士を派遣したのは政治です。国民が票を入れてつくった政府と議会がわれわれを戦場に送り、何人もの自衛隊員が戦死し、今もPTSDで苦しむ多くの仲間が生まれました」と語る人間を出さないために、「戦争法案」反対の声を上げ続けよう。