思えば2009年、12年の衆院選は分かりやすかった。政権交代がその本質だったからだ。それに比べて今衆院選はどうだろう。消費増税延期に与野党とも賛成する中で、約630億円をかけて行う衆院選の本質は何なのか。新聞各紙は4日、自民党単独あるいは与党で300議席超との予想を報じた。総選挙後何が起こるのか、識者と考えた。
「この選挙はアベノミクスが問われる選挙だ。景気回復の暖かい風を全国に届ける決意だ」
安倍晋三首相は選挙が公示された2日、福島県相馬市でこう第一声を上げた。この道しかない--アベノミクスの信任投票、それが与党が掲げる争点だ。
だが、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで社会を斬る小説家で評論家の橋本治さんは「信用できませんね」とばっさり。なぜ? 「そもそも解散する必要がなかったのに、解散を決めた人の言うことを真に受けても仕方がない」と言い切る。
そこまで言わなくても……と思うが、確かに安倍自民党は前回の衆院選での公約で環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加に反対していたのに、与党になって一転、参加した。逆に公約に明記していなかった特定秘密保護法は、強引な政治手法で成立させた。
「公約無視」は政治の世界ではよくあるとはいえ、準備不足の野党の苦戦が伝えられる中、与党が勝ったらどうなるか、有権者として知っておかねばなるまい。
その前に、衆議院の議席数を確認しておこう。
今回の選挙から小選挙区は「0増5減」となり、衆院定数は480から475になった。つまり過半数は238だ。さらに、衆院の全ての常任委員長ポストを独占し、委員数も過半数となる「絶対安定多数」は266。やや乱暴に説明すると、これだけあればどの委員会でも強行採決ができる。そして衆院の3分の2に相当するのが317。参院で否決された法案を、衆院で再可決できる。
238、266、317。この三つがカギを握る数字となる。覚えておいてほしい。
◇自民維持ケース 「国民の信任得た」強行採決を乱発?
解散時の自民党の議席は295。まずは「現状維持」の場合を考えてみよう。単独で絶対安定多数の「266」は確保するが、3分の2には達しないケースだ。
「公明党と合わせて3分の2に近い議席を獲得すれば安倍政権は国民の信任を得たとして、重要と位置付ける法案は強行採決しても衆院を通そうという動きを強めるでしょう。すぐにも労働者派遣法改正案を成立させるのでは」。
上智大法学部の三浦まり教授(現代日本政治)はそう予想する。一部の業務を除いて最長3年までと制限されている派遣期間を撤廃するのが同法案の骨子で、民主党などは「非正規雇用を固定する」と反対してきた。一方、与党は11月の衆院厚生労働委員会で強行採決する構えを見せていたが、解散で廃案になった。首相は解散表明の夜に行われた毎日新聞のインタビューでも「大切な法案であり、成立を期待したい」と語っている。
「同改正案は成立目前まできたし、大企業優先の政策を打ち出してきた安倍政権は成立を諦めないはず。同時に法人税減税や『残業代ゼロ』と批判される裁量労働制の拡大(ホワイトカラー・エグゼンプション)、TPP交渉も進めていくでしょう」と読む。
気になるのは憲法問題だ。安倍首相は7月の閣議決定で憲法9条の解釈を変え、集団的自衛権の行使容認に踏み切った。次期国会では自衛隊法改正など安全保障に関する法整備を進める方針だ。
三浦教授は「自民が若干でも議席を減らせば、集団的自衛権の行使に歯止めをかける動きが強まるかもしれません。世論はより丁寧な審議を求めるだろうし、そうなれば安保関連法案は簡単には成立しないでしょう」と話す。
一方、学習院大法学部の野中尚人教授(比較政治学)は「与野党でもめるのは間違いないが、米国との関係があるので安倍政権は関連法の整備を必ずやるでしょう。また、この動きに合わせて、憲法改正に向けた議論を進めることを想定しているのではないか」と推測する。
国会で安全保障に関する議論が活発になれば憲法に対する国民の関心が高まると考えられる。「安保関連法の成立後は、『憲法との齟齬(そご)が目立ちませんか』と政権が憲法改正を提案しやすい環境になっているかもしれません」。いわば究極の現状追認だ。
◇自民大勝ケース 次期参院選に向け憲法改正を準備へ
仮に「317議席」以上を獲得する、自民大勝となったらどうなるか。「自民単独、もしくは与党で3分の2以上の議席を与えるのか、与えないのか--。これが今回の衆院選の隠れた争点です。アベノミクスの是非だけではありません」
こう指摘するのが慶応大法学部の小林良彰教授(政治過程論)だ。「有権者も政治家も選挙疲れしているので、選挙後しばらくは野党による内閣不信任案の提出を恐れなくてもいい。さらに、3分の2以上の議席を取れば、参院で法案が否決されても衆院で再可決できる。いわばオールマイティーな力を持てるのです」。次に予定される国政選挙は16年の参院選。仮に自公が大負けしたとしても「決める政治」を貫ける。
議席を上積みするほど、公明を頼らなくてもよくなる。強力な力を得たら安倍政権は何をやるのか。「衆院に限れば憲法改正を発議できるが、参院ではまだ発議ができない。そこで、16年の参院選では9条より抵抗感の少ない96条改正を争点にして、場合によっては同日選を行うかもしれません。そして、衆参で3分の2を取れば、96条を改正して発議要件を『3分の2以上』の賛成から『過半数』に引き下げる。そうすれば政権は憲法改正を発議しやすくなるからです」
◇与党大敗ケース 野党議員取り込み政権維持も、短命か
与党で過半数程度しか確保できない、「238」とちょっとの事態も考えておこう。野中教授は「現状の議席からしたら大敗だが、安倍政権は公明と連立を維持した上で、解党したみんなの党や自民に近い考えを持つ野党の一部の議員を取り入れて続くでしょう」と説明する。
来年9月の総裁選での安倍首相の再選は難しいだろうが、直ちにポスト安倍を巡る政局になるとも考えにくいと話す。「ポスト安倍とされる石破茂地方創生担当相や谷垣禎一幹事長にも負けた連帯責任があるからです」
一方、三浦教授は与野党の力関係が劇的に変わると主張する。「民主だけで過半数を占められなくとも、野党の議席が増えたという事実がパワーになります。特定秘密保護法の修正案や廃案を国会で提案し、世論を味方にしていく可能性も出てきます」。重要法案が成立せず、安倍政権は長く続かないというシナリオだ。
巨大な力を持つ政権が誕生するかもしれない衆院選。質問にまともに答えない首相や原発再稼働や憲法改正を強引に進める政治家らを取り上げた辛口時評集「バカになったか、日本人」(集英社)を今月出版する橋本さんの受け止め方を聞いた。
「安倍政権は経済を人質にして『私たちに任せていれば大丈夫、でも批判は受け付けませんよ』という姿勢を強めています。そして駄目な部分は民主党政権のせいにしてしまう。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認では国民は黙っていなさいというスタンスに見えた。もし、大勝したら国民を政治から遠ざける傾向をますます強めていくでしょうね」
一例として挙げたのが原発の再稼働だ。毎日新聞が9月に実施した世論調査では6割近くの人が反対していた。橋本さんは「安倍政権は原発の再稼働を進めるのにもかかわらず、福島を第一声の場に選んだ。要は当事者のことを何も考えていないのでは」と語る。
民主党政権下で国民は「決められない政治」に不満を募らせた。だが、むやみに決めればいいというものではない。「今は二者択一で解決できない問題が山積しています。違う意見を調整し妥協点を見いだしていくには、大変なエネルギーと時間を使う。でもそれが民主主義のはず。この肝心なことを、有権者は忘れていませんか? そして政治家は選挙結果だけが国民の意思表示だと思っていませんか?」
通り過ぎてからあの時別の道を選んでいたら、と思う--。そんな選挙にだけはしたくない。【瀬尾忠義】
「毎日新聞」より転載
各紙世論調査で「自民党に投票する」と答えた多くの有権者は、こうした事態を想定しているのだろうか。
労働分野で言えば、非正規労働者のさらなる拡大、残業代ゼロの働き方。労働者の奴隷化の進展。
安全保障分野で言えば、国民不在の「戦争できる国づくり」の進展。
行き着く先の憲法改悪、国軍創設そして徴兵制の制度化。
原発問題で言えば、再稼働から新設への道。
法人税減税と一体化した消費税増税。
国民への酷税の強化と社会保障制度の改悪等々。
そんなことにゴーサインを出してしまう国民は「バカになったか、日本人」(橋本治・集英社)と言われても仕方がないのかなと思う。この本読んでみたくなった。