夫の実家には家系図があり、

夫は14代目です。

義父が、プロに頼み、巻物としてあります。

申し訳ないけど、初めて見た時は、あまりの仰々しさにちょっと笑ってしまった私。


こんなのです。

 


我が家は娘2人。

息子は産んでないので、

義父母や分家の親戚感覚は、

「家が絶えるかも。」

です。



↑↑↑にあるように、

娘のどちらかに養子をという話は、

事ある毎に出ます。

が、勝手に言わせておくという感じで、

スルーしています。

だいたい皇族でもあるまいし、

家が絶えたとて、誰になんの影響があるというのか。

分家はいつまで分家なのか。

本家が無くなれば、分家が本家を名乗ればいいでは無いか。

と、今更のように、私の感覚の範疇外の感覚の方々。

なので、怒りよりも、不思議さの方が勝ちます。


が、先日法事があり分家の親戚が集まった時の言葉に、

珍しく反応してイラッとしてしまいました。


私の弟のところも

義姉妹も、

みんな男の子と女の子を産んでいます。


それを聞いた分家の親戚の男性。

「みんな上手に産んだのになぁ。」

本家の長男だけが娘しか出来なかったということでしょう。


夫はさらっと

「授かりものだからね。」

と流していました。

が、私の心の中は、

「上手く産む」ってなに?

世の中のお母さんやお父さんがどんな思いをして産み育ててると思っている?

娘でも息子でも、慈しみ、愛し、幸せな将来を願っているはず。

家を継ぐために上手く産もうなんてさらさら思ってないはず。


そう思った瞬間、

「上手い下手があるなんて知りませんでした〜。男女分けるのは男の側らしいから、下手打ったのは〇〇くん(夫)ってことにしときます〜」

と笑顔で返し、その場を凍りつかせました。

すると義母がすかさず笑いながら、

「失礼よね〜。こっちは死ぬ思いで産んだのにね。」

義母は明るく人あしらいも上手いので、

その場も和みました。

後で、義母に

「すみません。つい言い返しちゃいました。」(すみませんなんて思ってないけど)

と言うと

「いいのよ〜。あの人酒が入るといつも口悪いから。次会った時は覚えてないから。」

と言われました。


夫にも

「ごめんね〜。」

(内心、ごめんなんて1ミリも思ってないけど)

と言うと、

「あれは腹立つ。でもいいんだよ。俺たちの代で付き合う人じゃないから。何思われたっていいんだよ。」

それを聞いて、やっぱりそうだよなぁと思いました。

親戚が永遠に親戚としての付き合いが続くなら、

本家が本家として継続するなら、

将来法事には数百人が来るかも(大袈裟?)。

でもどこかで淘汰されていくなら、

余計に何が本家?

と不思議になりました。

同時に、

夫の中には将来も続いていく親戚関係というのがしっかりあって、

それは、自分が本家の長男という意識にひも付いていて、

どうでもいい親戚とそうでは無い人達がいる。

産まれた順番や性別で、選択の余地がなく、

生きなければいけない場所で生きていくこと。

それは呪いなのか祝福なのか。

少し前、夫に

「もし、長男じゃなかったら、帰って来なかった?」

と、聞いた時、

「帰ってこなかったと思う。あっちの方が生活しやすいし、Kannaも子どもたちもあっちが故郷だし、俺も、18歳から住んでた場所だったし。」

夫は、望郷の念でもなく、ただ長男の務めを果たすためにだけ帰ってきたのだと、

本当に思いました。

私から見れば、呪いとしか見えないけれど、

夫にとっては、祝福を伴った役割なのだろうと思います。

そして、夫は私を連れてきてしまった申し訳なさを、いつも感じています。

だからこそ、ここに来るんじゃなかった、帰りたいと言う言葉は、

何があっても夫には言わない覚悟を持っています。



今年の花見はどこに行こうかな。




これ、ものすごく良いです。

 

私のシミにはききました。

 


 今年のふるさと納税はカニから始めてみました。

 

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