再投稿です。

昨年の話です。


家族でお花見に行きました。

お城と桜と菜の花がきれいでした。

 

家族で写真を撮っていた、

ちょうどその時、私の弟からLINEが来ました。

弟家族と母が、実家の近所の川べりでお花見をしている写真でした。

毎年、同じ場所で、母や弟家族と花見をしていました。

6年前まで、私は子どもや夫と共にそこにいました。

 

その写真には、見慣れた満開の桜と、いつもの母の巻き寿司の重箱が写っていました。

涙が溢れそうになりました。

 

私はもう、一生、故郷の満開の桜の下で、母の巻き寿司を食べることはないだろう

と思ってしまったのです。

桜の満開の時期は短くて、それを狙って帰省するのは難しいでしょう。

子どもが全員巣立ち、私が仕事をやめた頃なら可能かもしれません。

でも、そのころには、母は鬼籍に入っているか、巻き寿司を作れるほど元気ではないだろうと思ったのです。

 

40代半ばで、故郷から片道10時間以上かかる遠く離れた夫の故郷に来て、もう5年が経ちます。

長いような、早いような。


こういうのを郷愁と言うのでしょうか。

泣きそうになっている私の手の中のスマホの画像を見た夫は

「ゴールデンウィークにまた帰ればいいじゃない。」

と優しい声で慰めてくれました。

 

帰りたいわけじゃない。

桜の下で、母の巻き寿司が食べたいんだとは言えませんでした。

 

それを言うと、きっと夫は困ってしまうから。

自分が遠くまで連れてきてしまったと思っているから。

 

「私はどこでだって生きていける。

あなたのいる場所が、私のいる場所。」

 かつて、夫にそう宣言した私ですが、

この先、

満開の桜を見るたびに、郷愁の念にかられるでしょう。

散る桜を見るたびに、どこにもやり場の無い寂しさをもて余すでしょう。

 そして、私は、その寂しさを夫に伝えることは生涯無いでしょう。


 



アーモンドの花なのに、いつもこれを見ると桜をイメージしてしまう。

ゴッホの昏さゆえかしら。

3連でこの価格はお得ですね。


 


レチノールクリームは愛用しています。

これは、どうなんだろう。

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