オタクがどうして自分とほぼ何の関わりもないアニメ作品やクリエイターに執着し、攻撃を続けるかについては僕も長年の間疑問だった。

「それも愛情表現なんですよ」という人も多かったが、僕は絶対に違うと睨んでいた。

 

彼らは間違いなく、僕らを抹殺しにかかっている。

それは彼らの筆致からはっきり解った。

 

それが「支配欲」なのだと解ったのは、兼ねてから続けていた「(附属)池田小事件」の犯人・宅間守の研究からだった。

彼の精神鑑定書が公開され(良く公開されたものだ)、それを丁寧に読むにつれ、宅間守がいかに愛情を知らずに育ち、他人や、特に異性に対する想いが、愛情ではなく「支配欲」に転化してしまったのだということに気付き、ああ、これが粘着オタクなのだ、と確信した。

その直後に小林よしのり先生が『ゴーマニズム宣言』で、彼が命懸けで戦った麻原彰晃に改めて言及し、そこにまったく同じ記述があったので、その確信がますます強固になった。

 

そして、「京アニ事件」。

言わずもがなである。

 

粘着オタクの心中を支配するのは、何らかの理由で元来愛情の受け方も示し方も知らず、その代わりに肥大化した「支配欲」なのだ。

 

 

と、いうことは既に「オタクという「病」・三たび」というエントリーにも書いてある。

改めて粘着オタクの心理を読み解き、それを「自衛」の手段としてほしい。