さて、

「ヤマカンさえいなければ!!この作品は良くなるんだ!!!!」と喚き散らすオタクどもが招いた結果。

 

『らき☆すた』→アニメ続編作られず。原作連載も中断(不定期連載)。

『涼宮ハルヒの憂鬱』→アニメ続編中断。原作連載も(本編としては)中断。

『かんなぎ』→アニメ続編作られず。原作は完結。

『Wake Up, Girls!』→「新章」大不評のため完結せず。ユニットも解散。

 

これが僕の(制作現場での)我儘や狼藉のせいで全部そうなっているならば深くお詫びする。しかし、結果としてはほとんど一方的な「解任」である。僕からブチ切れて降りたことは一度もない。

周りの連中が皆ネットの猛威に屈して行った結果である。ゆめゆめ勘違いしないでほしい。

 

しかし僕が今回指摘したいのはそこではない。

これで「ヤマカンさえいなければ!!この作品は良くなるんだ!!!!」と喚き散らしていたオタクどもは、「やあぃ!!ザマァミロ!!!!俺たちの大勝利!!!!」と狂喜の雄叫びを上げるのが筋のはずなのだが、その後どの作品も、「どうしてこうなったんだ……何故続編が作られないんだ……」と皆頭を抱えるお通夜状態。

全作品そうなっている。

 

こうなれば、どんな霊長類、いや哺乳類でも気付くだろう。

根本からおかしくない?

 

「ヤマカンさえいなければ!!この作品は良くなるんだ!!!!」という発想自体が間違いであると。

 

今も上の4作品のファンたちが「続編を……続編を是非……!!お願い!!!!」と涙ながらに訴えているのだが、にも関わらず今尚、

「でもヤマカンだけは嫌だ!!!!」

と半狂乱で絶叫する姿には、半笑いを浮かべながらも憐みすら感じる。

どうしてそうなるの??

 

この乳幼児のような自己撞着いやただのむずがり、道理を理解できない自分の知能のなさにオタクどもがいつか気付かない限り、オタクがホモ・サピエンスに進化することは決してないだろう。