不満を言うのも大切だけど… | 神・まぐわい極め道

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まぐわいをとうしてアラカン夫婦が本当の愛を循環させる世界平和に在り続けるブログ

今日はいい天氣だったので
昼からのスピリチュアルカウンセリング前に
マグワイヤーと二人で
花見がてら奈良公園へ。
 
今日はたくさん龍さんが飛んでました。
 

 

 

 
 
 
神聖な興福寺で
こんなポーズをとるマグワイヤーが大好き♡
 
え?見えないって?真ん中にいるよ(笑)

 

 

 

さて、今日の本題です。

 

私は結構自分に厳しい人間です。

 

だから、正直、

他人を同じ目線で見てしまうので

他人にも厳しくなっている時があるのです。

 

 

人それぞれだから、と自分に言い聞かせて

反省はするのですが、

 

私にとって

自分を律することって

私の中では、大切な価値のあることだから

優先順位を上位に持ってきています。

 

 

自分に嘘をつかないってことも

ある意味

自分を律しているのです。

 

 

私って時々、無性に頑張りたい時があるんです。

 

それは2パターンあって

 

1つは、ワクワクして、やりたくてたまんない時。

やめられないのです。

止まらないのです。

カッパエビセンみたいに(笑)

 

 

2つ目が問題なのです。

不安な時です。

 

不安な時、

本質のことから逃げてる時

頑張る方が「氣がまぎれるから」。

 

そんな時の頑張りは

絶対に人を責めます。

 

 

私も頑張ってるんだから

あんたらも頑張ってよ!

 

 

てね。

 

簡単に言ったら余裕がないのです。

 

でも、何もかも置いて

ラク〜〜に過ごすために

律するくらいでないと

 

私はつい頑張り屋さんのスイッチが入って

ちょっと自他共にしんどくなってくるのです。

 

 

自分は突っ走りたいかもしれないけれど

 

相手はそうでもないならば

 

相手を巻き込まずに

自分だけ突っ走ればいいわけで。

 

でも、それじゃ

 

寂しいのです。

 

一人で走って

山の頂上に登っても

 

みんながまだ下の方にいるなら

やっぱりみんなと一緒に登りたいのです。

 

と言うことは

 

私が山登りを面倒に思う人を励ましたり

 

希望を見せて勇氣付けたりしながら

 

前を歩いたり

後ろを歩いたりするのがいいのだろう

 

 

なんて思って

 

走るのをやめて

止まったり

伴奏したり

 

色々自分のペースに合わないことをしてしまい

 

また一緒に登ろうとする人たちを

焦らせたり

苛立たせたり

不安がらせたり

自己嫌悪に陥らせてしまったりするのだろうと

 

思って、またまた私自身が自己反省と自己嫌悪。

 

でもね。

思うんです。

 

不満を言ったり

頑張りすぎてる自分を責めたり

 

仕方ないんですよ。

 

思うもんだから。

 

そして、それだけのパワーがあるのだから。

 

 

でも、私の場合、氣をつけなきゃいけないのは

 

自分のペースに人を巻き込むな。

 

 

なんだろうと思うのです。

 

寂しいからと言って

みんなと一緒に上がろうとしなくていい。

 

一人でマイペースで登るしかない。

 

そう、覚悟しろ。ってことなんだと思うの。

 

そこを自立というのだろうな

そう思う最近なのです。

 

 

ということで

 

私は一人で

「どこ行くねええええん!」って

呆れられてしまうほど

走り去ってしまうかもしれませんが

 

 

ふと後ろみたら

ぐるっと一周してまた一緒にいてる

 

なんてことがあるやもしれません。

 

いやいや

 

ウサギとカメのウサギみたいに

ゴール前ですっとぼけて寝落ちしてるかも。

 

何れにしても

 

私は私の道を行く。

 

そうすることで

不満や不平は出なくなる。

 

自分が自分でいられるのだ!

 

 
マグワイヤーと甘いひととき。
 
2人はいつも仲良し♡
 
のんびりマイペースなマグワイヤーと
 
頑張り屋さんの私。
 
自分を責めないで
やりたいことを
自分のペースでやろう。
 
だから、マグワイヤー。
一緒に走れる時は走ってよ?