今日は、10年目ですね。
9.11、米同時多発テロの日です。
![新熱血錦糸町物語~外パブ社長の奮闘記!](https://stat.ameba.jp/user_images/20110911/15/kanitamaoisii/4c/4c/j/t02200165_0400030011476253218.jpg?caw=800)
また、今日は東日本大震災から半年でも。
ほぼ、リアルタイムで放映される惨劇・・・。
あまりの惨状にリアリティを感じない。
今までの経験の範疇を超えているので映画のシーンをみているじゃないかと。
「9.11」「3.11」いずれも歴史上の忘れられない、いや忘れてはならない日としていく必要があると思います。
人為に対する脅威と、自然に対する脅威。
「9.11」は人為に対して、「3.11」は自然に対してですが原発事故を考えると人為に対しての脅威でも有りなす。
脅威に対してどう向き合って対応していくべきか。
とことん向き合って、考えていく必要があります。
9.11はテロリズムに対して、大きなカテゴリーとしては戦争に対してのの紛争の課題ではないでしょうか。
戦争をなくすという課題、大きな課題です。
でもシンプルに考えると、考え方・価値観の違いを暴力で解決すべきか、話し合いで解決すべきか。
逆に日常生活で考えると、個人間の紛争も根本は一緒でしょうか。
当然話し合いで解決しなければいけないんですが、暴力で解決しようとする方がいますよね。
暴力とは、殴るとか蹴るとか実行為だけではないですよね。
たとえば、「お前半殺しにするぞ」とかいって脅すとか、さらに包丁を握り締めながら「こないだの話は納得がいかない」とかは脅迫行為、まさに暴力です。かなり具体的ですが、過去の経験です(゜レ゜)
皆さん、そんな行為をみたら徹底的に対応しましょう。
まさに、反社会的行為ですから。
いくらもめても、許される範囲がありますよね。
対応として、個人間の紛争なら警察を呼んで脅迫行為があったんで逮捕するとかできます。
しかし、国をまたいでのテロリズムは国どうしが連携しないと対応できませよね。
連携できない国も多いですね。
そして紛争の根が非常に深いですよね。
そもそも価値観が異なるという意味では、暴力を肯定する価値観もあるでしょう。
あるいは個人間の紛争に例えると、暴力に対して防衛のためなら許されるとされる「正当防衛」は許されます。
でも、防衛の限度を超えた場合過剰防衛になるし拡大解釈をされる可能性がありますよね。
どこまでが正当防衛の範囲かを、行為する本人が判断するのではきっちりした運用はできないでしょうね。
いま、ネット環境がグローバリズムを生み出している側面はあります。
価値観の共有や自由な言論を促進するとか、大きなメリットはあります。
でも価値観の異なることはかわらないし、逆に価値観の多様性を促進をするでしょうね。
紛争国や紛争地域の中では、紛争を顕在化していく可能性もあります。
今後、世界規模での紛争の火種が数多くあり、危険な状況が続くのではないかと危機感を持ちます。
近隣国では、中国政府の情報操作の体制は(長い歴史の体制です)、ネット環境の流れにより危険な状態になる可能性があります。新幹線事故の隠蔽は、かなりひどいもんでしたよね。
自然災害に対してのセキュリティを考えると共に、テロリズムやさらに国家レベルの紛争を想定してセキュリティを考えるべきだと改めて思います。
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