理想的な働く環境とは何か、ワークライフバランスの充実とは何か。

 

自分が会社を作るときに理想とするのであれば、、、、

・フレックス

・6時間労働

・自分のやりたいことが事業になる

・直接的に人の役に立つという実感を持てる

・1人で進めずチームで完結できる

・上下関係は必要であるが事業や会議での上下関係はない

・会社での仕事(在宅はなるべくしたくない)

・会社っぽくないフリースペースで働ける

今パッと思い浮かぶのを書いただけですがこんなものか。

 

そんな会社にするためには人材として社員全員が個人事業主みたいな感覚をもった自分のやりたいことや自己完結もできる、自分の得意や夢を持った人たちが必要だと思う。でも少し自分1人じゃあまり自信がないな、視点が足りないなって思う人たちが集まってそれぞれの夢を社員たちで完成できるような会社があれば楽しいのかもしれない。

 

オフィスはどこでもいいのだけど通いやすい場所。

会社の中は雰囲気としては、カフェみたいなカウンターや掘りごたつみたいなソファを完備していたり、リラックスした環境で発想を生み出せる環境がいい。観葉植物や緑を基調として、ジャズや自然音が常に流れている。

グーグルやlineへの憧れかもしれないが仕事にとって一番重要なのは発想や創造、だと思う。

禁止なワードは、無理、できないとして、その言葉が出てきたときにはなぜできないのか、なぜ無理なのかを追求してどのようにしたらできるのかを探究できる組織にしたい。

 

看護師を救える会社にしたいから看護師を含めた会社にしたい。

看護師ってひとくくりにされているけど、働いている診療科によって全く違った仕事になって考えや発想力も全然違う。それぞれの診療科のエキスパートが集まればもし「健康」というワードでディスカッションしても視点は180度違ったり、それぞれの経験やそれぞれの診療科のエビデンスが役立つから同じ能力の人間なんていない。

何も考えずに働いている看護師もいるためそういう人を教育を含め扱うのは難しいが、、、。

看護師の能力は、病院という医師の指示という場でめっちゃ制限されているけど気持ちや精神面の強さではどの職種よりも強いとは思う。やり方をしらないのと、違う世界を知らないから怖いだけで、超しごできの先輩とか看護師なのがもったいないと感じる。

看護師だけではなく、もっとどうにかできるんじゃないかと疑問に思っている、真面目な人を集めて想像できる会社が理想だな。

単なるまじめでお堅いタイプは、扱いが難しいけど、今日はダメだから明日9時間働いて今日はここでやめて飲みにいこーって言えるくらいの人が欲しい。(ちゃんとやるのは前提)。

 

こんな理想書いてもここまででかくできるのは成功者のみでそれまでは1人か2人で着々とやっていかなければ難しいよな。わかってる。

でも理想は描くと描かないとでは全く違う。

最近今まで7年間働いていて、何人という人の死を目にしてきたのに、最期の場面に立ち会ったり、死にそうな人を目の前にするととてもメンタルがえぐられる。

自分の腕で支えながら止まった人、部屋に行ったら止まってた人、自分が安楽のために使った睡眠剤で死期が早まっただろう人、数時間前まで笑顔で話していたのに急に逝ってしまった人、最期まで意識はあるのにずっと血を吐き続けて呆然と亡くなった人、ほんとうにたくさんの死を目にしてきました。

そういう場面でもその人たちの支えになって患者家族が納得できるように看護師として働いてきた。きっと精神的な余裕があったんだろう。仕事だからというのもあるのだろうけど、受け止めながら看護師としての自分を保ってきた。でも最近は余裕がないのだろうか。死を目にするのが怖い。そんなことを言っても今日も仕事の中では見てきた。どんな気持ちだったのだろう。何を考えていたんだろう。家族の言葉で心拍数が回復したり、看護師の声掛けで家族が来るまで保つ人は沢山いる。最期は聞こえているというが、本当に聞こえているのも知っている。早く行きたいのだろうか、家族とお別れを言いたかったのだろうか、亡くなったときの涙は嬉しい涙なのか、悲しい涙なのか。そんなこと考えながらいつも仕事しているけど、答えはわからず、仕事に追い込まれて患者のための行動ではなく自分の都合の行動をとると何かとモヤモヤすることがある。力になりたいのにこれがベストだったのか、わからないことだらけな仕事だと思う。

 

そんな最近の余裕のない自分。。。。

 

みんなはプライドってありますか??

自分はあまりプライドは高くなくて、自信をもって何かをできることが何もない気がします。侮辱されても怒れることが少ない。強いて言うなら患者のために仕事をしているから所詮看護師と言われるとそうなんだけど、ちょっと言い訳したくなる。

自信がある人がうらやましい。なにがどうなれば自信が生まれるのだろう。

どうやったら仕事で自信を持てるのだろうか、どうやったらスポーツで自信をもてるのだろうか。

知らないことばかりが多くて、知りたいからみんなの経験や能力を聞きたい。知りたい。

みんなの考え方を自分の視点とは違うのは知っていて、それを知ることで自分も成長できるからもっと聞かせてほしい。

自信っているのか???

自分が行動を起こすときの勇気はいる気がするけど自信はあまりいらない気がするな。

自信があると周りの目を気にしなくなる点においては必要か。

比べたり他者評価を気にしてしまう人が一番かわいそうな人だから。

自分もどこかで他者評価やまわりとの比較をしていて、他の人と同じくらいなら少し安心するな。まだまだ子どもだし、ださいな。

よく、言いませんか??

後輩に教育するとき、先輩がマウント取る時、とりあえず何が言いたいのかわからないけど自分の時はこんなに厳しかったよというアピール。

「私たちがあなた達くらいの時は、~~だったから。」みたいな。

知らねえよ、時代に老いて枯れたこと、臨機応変に考えられないことをアピールするんじゃねえよとか思いますよね。

明らかに効率の悪い方法で大変さを経験した自慢とかあるやん。

でも今は効率よくワークライフバランス考えた方がいい時代やんみたいな。

 

まあ、今となってはこれも言っている人は減ったのかな。

世代や時代ってとても難しいですよね。

職場の環境の中ではまだ若い部類に入るから若いと思っているけど新卒なんて7年くらい年下ですよ。私が幼稚園の時に好きだった黄金世代のモーニング娘は彼女たちは幼稚園の時のAKBの神7だったんだろう。

そういった様々な年代がいる職場の中でどのような環境がいい環境なのか。

いい職場なのかと言われると上が下を知り、合わせるのではなく、興味をもち、導入していくことが大事な気がする。

勉強方法はノートの人もいるが、タブレットに代わり、遊ぶ環境も外や公園、街中でのウィンドーショッピング、モスやフードコートでの語りからも変わるのかもしれない。

教育するときとかみなさんどうしてますか??

自分は自己紹介から必ず初めて何を利用して勉強しているか、部活は何だったか、この仕事選んだ動機、お酒好きかなぁとかそういったくだらない話が8割。。。

そして仕事においては細かい部分はみんなに任せて仕事に向かう気持ちっていうのを大切にしている。看護師は対人の仕事であるため、この人は何歳の性別はどうか、病気になってからどれくらいなんだろう、家族は何人いて関係性はどうなのかな、どのように説明を受けてきて今ここにいるんだろう。自分の身の回りの人や家族がこの状況なら自分やその家族はどう思うかな?どういった気持ちを抱くだろうかって相手の気持ちを考えるってことを経験を積んでいる後輩にも業務に向き合いすぎて忘れがちなので伝えるようにしている。

患者を仕事の対象としてしか思ってない看護師はちょっと苦手、そして病院をホテルだと思い、看護師をなんでも屋さんだと当たり前と思ってる患者は大嫌い。

とても穏やかで優しい看護師として評判だが、癖強め患者とはよく言い合いして、拒否される。

だから組織経営をするうえでは看護師の業務関係なく、緊急入院などいれてくる上の人たちは仕方ないんだけど看護師に人権はないのかと思ってしまう。

例えば、亡くなった患者さんの部屋にすぐにさばいて、部屋清掃して緊急入院いれてとか。看護師のメンタルや死の余韻は考えないのか。

入院してきた人は数時間前にひとが無くなった部屋にいたいか。

最期の大切な時間をすごした環境をすぐに一掃されたところに知らない人がまた入ってくる環境は死者を弔える環境なのか。

組織運営する上でそういう従業員の心を大切にできる会社だったり、意見を反映できる組織こそ頑張りたい、組織に貢献したいという環境なのではないだろうか。

 

昔は昔、今は今ともよく言ったが、えらくなると大概の人は都合いいよね。

人生の中で日本人は特に正義感なども強く、仕事を人生であるように生きている人は多いと思う。そういう人が間違っていると思うわけでもかわいそうとも思うわけではないが、日本人というバックグラウンドが自分たちの首を絞めているかのように感じる。

みんなは仕事は何のためにしますか???

もちろんお金を稼ぐためであるのはその通りなんですが、家族を守るため、こどもを養うため、そういった理由が多いと思います。

自分にとってはとても羨ましい限りです。

家族のために、子どものために働けるならとても頑張れると思う。

自分はそのような存在はいない上に、もうやりたい仕事でもなくなってしまった。

私の働いている環境はじぶんのやりたいこともできなくなってしまった。8時から20時まで昼休憩も30分取れればいい環境の中で働いている。遅い時には8時から22時まで働いている。夜勤も休憩はおろか、ごはん休憩すら取れずに夕方から朝まで走り回っていることもある。やめない限りほとんど部署移動もない。

患者のキャラも濃い、医師も不足しているだけでなくコミュニケーションがうまくとれる医者も少ない。むしろ指示が欲しい時には3回ほど依頼しなくてはならない、看護師が薬の処方は管理して、ほしい薬と日数を医師に用紙を渡し、処方してもらうといった有様だ。

看護師は疲弊し、自分の時間もなく、人が少ない中で次々に緊急入院。ナースコールにでるのが遅いと医師から怒られ、4人同時に転倒リスクが高いナースコールがなったときどこから優先するのか。正直倫理的な問題以前である。

このような環境の中で看護師には係があり、資格など持っている看護師は時間外や休日を使いながらその業務を行っている。

休み?そんなのどこにあるのだろう。

そのような環境にあるせいか、自分はプライベートなんていらないと思っていたけど、最近はここでこのまま働いていると病気になって最悪な死を迎える気がする。

副師長にも師長にもやめることは言っている。

このままの人生なら一生後悔するので失敗してもいいから変化していきたいと。

社会は甘くないと思う。けど失敗したことは絶対力になると思う。

きっと結婚とかはできないんだろうけど、それでも仕事を人生にするにしろ、プライベートを重視にするにしろ、自分のやりたいことをやらなきゃだめだ。

結婚はあこがれる、子どもも大好きだし、自分の子どもも欲しい。

けど自分が子どもすぎるのと安定していないや。

 

お金が欲しいとかじゃないんだよな。

自分たちも想像できないくらいのチャレンジをにやにやしながら頑張れる仲間が欲しい。

そして、うまくいかねーなーって言いながら、また考えまくってこどものように冒険してみたいな

 

 

めっちゃタイトル重い内容ですが、気になりませんか。

考えることも少ないけど、誰がいつ死ぬかなんてわからないじゃないですか。

私は職業柄ですが一年に亡くなる人を80人程度は見る気がします。なにひとつ同じ死はないなと感じます。

いつだれがどこで死ぬかなんてわかりません。

つい1か月前に症状が出てなくなる人もいるのが現状です。

昔はよく不治の病という言葉を耳にしましたが今もあります。不治ではなく、見つかった時点で治せない病気はたくさん。がんは今でもとても怖い病気なのも変わらないです。

 

そんな前置きですが自分が明日死んだら自分はどう思うのだろうかと考えてみます。

きっと後悔すると同時に、楽になれると思う気がする。

看護師という仕事に溺れていてなにもできないさいごだったな、もう解放されるのはとても嬉しいなという気持ちでしょうか。

家族には世界一恵まれていたな、友達たちもとても面白い人ばかりで自分のわがままやさみしさ防止のためにたくさん遊んでくれてありがとうって言える。

唯一後悔があるのであれば看護師の仕事をもう少し楽しんでできればよかったなと思えるのでしょう。

一次的な気持ちではなく、今の組織に埋もれていたら私は一生後悔することは間違いないので決心していますが、もう少し挑戦をしてみようと思います。

 

ここ数年は死ぬ勇気すらないものの対向車ぶつかってきてくれないかな。事故にあって記憶喪失にならないかな。自分の職場に隕石でも降ってこないかなと考えながら、辞めれるならどうにでもなれと思って仕事をしていた。

その意志とは反対に仕事はどんどん増えていき、やることは増え、自分に余裕がなくなった。

余裕がない自分が大嫌いでまた悪循環。

頑張っているという自分を認めたいのだけど、寝る時間を削れば、ちょっとアニメを見る時間をなくせばとすべて仕事に費やせばまだできるのではないかと考えるようになってしまった。そして自分が生きている意味ってなんだ。ってなった。

 

もう我慢はした。苦しい道を避ける気はないけど挑戦はしてみたい。

まだ30になる前に気づけて良かった。

タイトルの通り自分がなりたい看護師像の1つは看護師を守れる看護師だと思う。

実際にとても優しく、これ以上にサービス精神満載な職業は本当に少ないと思う。

汚いことでもなんでもやり、血を吐いている、嘔吐している、罵声を浴びせる、人を選ぶ、変な患者、多種多様な人に対しても親身になって寄り添える人が本当に多いと思う。

仕事だから、お金をもらっているからとみんなは言うかもしれないけどそれでもできる人はすごい。

多忙な業務の中で精神や身体的健康をすり減らしながら病んでいる人の手助けをすることは本当にお金に換算できないほど素晴らしいことだと思う。

でもそんな優しい、素晴らしい看護師が業務の厳しさや忙しさ責任に押しつぶされて精神的に病んでしまったり体調を崩すことが後を絶たない。自分は本当に心が苦しいし、自分が何度かもっと声をかけたり飲み会に誘ってたら違ったのかな、、、とか、なんでこんな優しい人が病んでまで、今まで酒を浴びるほど飲んで、好き勝手に喫煙してきたやつに文句言われながら仕事してんだって思ってしまう。

病院をホテルだと思うな、自分の生活見直して悪かったなと思うやつは保険使うなとか思う。そんなクズにも優しくして、気を遣いながらこちとら少ない給料で働いてやってんだから自分でできることは自分でやって、金あるなら個室じゃなくて保険使わず医療費払えよって思ってしまう。海外みたいな保険制度なら国民の健康意識はあがるだろうし、もっともっと看護師の働き方や給料は変わると思う。

保険なんていらない、看護師の仕事がない世の中をつくりたいというのがとても大きな私の目標です。

そのために企業はするつもりですが、事業内容などはさすがに触れませんがこんなことできたらいいなということを一つ書いていこうかなと思います。

とても規模が大きくできるとしたら本当に成功したらの話ですが、オフィスや会社で手掛ける事業を行うスペースの一区画を利用した看護師のコワーキングスペースを作りたい。キッチンやラウンジなども併設し、仕事終わりの看護師や色んな職種が持ち寄りで語り合える(酒でも飲みながら)空間を提供してみたい。もちろん無償で。そして自分の考えている事業はとても大きな枠で言うと、健康、運動、食事なのでその事業も割引などで対応でき、看護師は自分の健康づくりに向き合えるスペースにしたい。

これは事業ではなくて、看護師のために何かをしたいというボランティア案ですよ。

看護師って仕事内容は、悔しいのだけれど、誰でもできる仕事なんです。看護師だけができる仕事業務なんてありませんし、医師の指示があって動ける仕事です。そのせいなのか、めっちゃ頭いい人もいるのになんか指示待ちだったり、インシデントを恐れて行動に踏み切れないことや、倫理的な正論をぶちまける人も多いと思っています(自分の看護師としての偏見です)。私たちの仕事は看護提供か、テンプレート化された電子カルテに日々の記録をかくくらいしかできません。でも仕事内容や業務内容に比べて、元々持っている頭のよさはすごいので与えられたり、期待されたことをやり遂げる力は人一倍あるなと感じるんです。ただ安定を好んだり、誰でもできる仕事を資格を持った上でやってるからその環境を離れるのが怖い人がおおいのではないかと推察しております。他の仕事の人も実はそうなんだけど、自分は看護師を守りたいからあえて仕事を侮辱しています。

そういう看護師さんたちがちょっと寄っていことか、話し相手してもらおうとか、人伝えでもいいから集まれる場所だったり、自分の考えをぶつけあえる場を作りたい。

看護師の仕事をしていると事業に置き換えたらとてもすごいことになるんじゃないのかなってことがたくさん浮かんでくる。

自分は、看護師の仕事を減らす、看護師を守る、患者を減らす、健康的な意識をあげる、最期まで人生をやりきるなんかが起業して事業展開を行う上でのテーマになると思っている。事業内容は本当に様々なところまで伸ばせると思う。看護師は対象ではないし、あくまでもボランティア的に支えたいってだけで間接的に看護師の仕事を減らしたり、看護師を守れるにつながる事業をやりたい。

自分の憧れであり、理解してほしいなんて思わない。

1つの病院だけを変えても何も変わらない。もっと大きな規模で、変えていけるような夢のあることを馬鹿みたいにやってみたい。

 

看護師じゃなく会社としては、楽しさ、健康、仲間といったことを大切にしていきたい。月一イベント的なこともしたい。キッチンを利用して、お題を決めて料理対決や、じゃんけんで昼食を作りあう的な。友達じゃないけどリラックスした中で新しい発想をクリエイトできる環境にしたい。新しいことにチャレンジできる環境をつくりたい。自分は苦しいことでもその土台を作るための努力を頑張るから一緒に夢を追いかけてくれる人たちには一番幸せであってほしい。

ネット社会だけどめっちゃ対面の交流を大切にできる環境を目指したい。

こういうの考えるのとかワクワクした人は、きっと行動できる人だよね。

 

 書くことなんてなんでもいいのですが、今日は昔に戻れるならいつに戻って何をしていたのだろうと考えて書いていきたいなと思います。

 自分の場合は、高校ですかね?楽しさをまた味わいたいとか考えるのなら中学だけども、自分のアイデンティティやレジリエンスは中学で小学校と中学で形成したと思っているのでそこは崩したくないなとは思うからそこには戻りたくない。

なぜ、高校なのかというと高校の時にもう少し自分に自信があればよかったなと後悔しているから。中学から進学して高校の時の自分は、明るく普通の学生だったと思う。でも周りのサッカーがうまい人や頭がいい人、運動神経がいい人がいすぎて自分はおちこぼれだと3年間自分の中で隠しながらも思っていたと感じている。

そう思い続けていたから何事にもあきらめがついていて努力しなくなったと思う。

部活も自分だけが中学の時サッカーをやっていない部員だった。まわりがうまくて自分の中では普通に話している友達がかっこいいな、すごいなっていう対象で、あんなにうまくなれないなと思い込んでいた。ただ練習をやるだけ、試合も出れる機会があれば出るだけの上を目指している部活にとっては邪魔な部員だったのかもしれない。今思えば自信を持つだけで、プレーも大きく変わるし、下手だと思うなら1人でも朝練して、誰よりも一生懸命に練習するべきだった。ゴールキーパーだったんだけど、土で膝や太ももが傷つくのが痛いからと言って滑り込みをしていなかった、痛いならサポーターをつければよかったのに、ダサいなと思ってつけることもしなかった。今思うと本当にダサい。

 勉強についてもそうだ。そもそも自分がいた中学は進学した高校の中でもっとも進学者が多い中学だった。進学したメンバーをみると中学の時から自分とは違う頭の良さを持っている人たちがたくさんいて、自分は運の中の運(定員割れ)のおかげで進学できたんだとしか思っていなかった。それは事実であり、入学直後にやった学力テストでは学年でワースト3位くらいだった。中学ではちょっと成績上位にいたからって調子をこいていたけど実際は単なる馬鹿なのを隠していただけだった。

今思えばその時点であきらめて学生生活を送るのではなく、そこからみんなに追いつく方法を探すべきだった。高校時代の自分がとても嫌いだから高校に戻りたいんだなと思う。

 大学はいって、高校より偏差値としては10以上低い大学で完全に自分は安心した。自分に近い人たちがいるんだと思った。努力をせずに自分を下げることしかできなかった。でも自分でいられたと思う。まわりの人にも自分を出せたし、とても楽しかった。それがあったからなのか、すごくアクティブになれた。まだまだ今考えたらとても子どもだったけど大人に近づくための大きな経験になったと思う。

 結局は嫌いだった自分を変えたいという話なんだけど、高校に戻って考え方だけ今の自分になれたのなら今私はどこで何をやっているのか気になる。

そんなこと気にするだけ無駄なんだけど、結果的ない就職してから自分よりもすごい大学、優秀なドクターと一緒に働いて学歴コンプレックスなんて不要だと感じることが出来た。これからは後悔せず行動力、努力した人がかわれるといったことがわかった。人生楽しくは休みながら自由にではない、やりたいことをどこまでやり遂げる可だと思う。 

今日、病棟師長に辞職について伝えてきた。最高4年、今年いっぱいで辞めてもいいのなら辞めさせていただきたいこと。契約上4年以内で辞める際にはお金が発生するため正直私はお金も払えることを伝えた。安定を捨てたと言えばその通りだけど、自分の人生を選んだんだと思う。失敗してもいい、むしろ失敗の可能性の方が高いと思っている。でも後悔はしない自信がある。

 

今現在仕事をしながら、学校に行き、修論を書きながら、病棟でも教育リーダーであったり中心的な役回りを期待されているのはわかっている。教育面でも計画を新しく提案して、企画書をつくり、導入のための準備を行っている。そして、倫理カンファレンスや、症例カンファレンスを充実してほしいと言われ、そこを病棟スタッフが1日5時間残業している部署で調整できないかな、と投げられる現状。やばくないか、それをやるだけで企画する方も開催するその日のスタッフも心理的安全性がボロボロだ。

正直すでに、自分の休みや睡眠時間なんかは十分に削っているし、部署の忙しさ、同僚の離職などでやりがいも感じなければ、フリーターの方がいくらかマシだとまで思えるほどだ。

だからと言ってそれが、他のことをできない理由にはならないし、将来のことを考えたときの自分の中の無駄なものを省いていけば時間はまだまだ作れる。

ちょっとした、消えてもどうでもいいゲームをやる時間。最後まですら見ないのになぜか流しているYouTube、アニメを見るのは今必要か。ドラマやテレビをリアルタイムにこだわってみる人はリアルタイムで見るメリットはどういうものなのか。

こういう風に考えると自分の生活の無駄な時間は多すぎる。

部屋の中のものなどもそうだ。正直2年は触れていないものはすべて捨てていいな。

 

自分の中の無駄を省いていき、それを有効活用できるようにしていきたい。

そこを病棟改善の新しい企画にあてたいとは思ってないので自分につかっていくが、、、。

新しいことを行う上で今の自分は不安への対処能力がとても弱いと感じている。このような不安への対処能力をネガティブケイパビリティというみたい。私はネガティブケイパビリティが弱い。答えがみえるものに食いつきたいという気持ちが大きいのかもしれない。でも企業を目指すのであれば地道な努力、成果が見えない期間が当然多くなることが考えられる。

自分がそのような場面にでも対応できる能力を養っていかなくてはいかない。具体的な方法は、挑戦していくことや、いろいろな社会、コミュニティの人と交流する、自分の意思を否定されても発信する、読書をするだろうか。先行きの見えない未来の見えない、答えが分からないことを最後までやり切るといった鍛え方をやってみよう。

 

 

なんか書きながらぐちゃぐちゃになっててまとまらないのでこんな日だったということで。

仕事で夜中もナースコールが鳴りやまず座ることが出来ない日だった。あーもう少しで終わりと思ったときに、30分前まで食事をとり薬を飲んでもらった人が、次いったときに亡くなっていた。完全に今日は心が折れた。余裕がさいごに亡くなった。

その人の人生の中で最期に話したのは自分だろうな。こんな自分がさいごに話した人間でいいのだろうか。そんなことを考えた。自分のことばっかりだった。

さいごは苦しまなかっただろうか。そんな気持ちが先にでなかった自分がとても嫌いになった。

 

 

 

 自分にとって何が足りないのかと考えることがあります。

まずは知らないことを知らないという段階のものを減らす必要があるのかな。

知らないことを知らないということが多い。知らないことを知っているということはあまり意識化もしないよな。

 少し看護師という仕事をやりつつ、看護師のことを自分自身で侮辱してしまうことがあるのですが、前提として先に言っておきます。看護師は本当に素敵な仕事です。人の役に立つ、ここまできつい、汚い、臭い、仕事なのになぜか体が動いてしまう。誰も本当に患者さんのためになんて思ってないかもしれないけど、気が付いたら体が動いている。この職種を経験出来て本当に良かったと思っていると同時にこの日本の看護師は看護提供という面においては世界トップであっても持続の可能性が低い。まずここでは本当に私は看護師をリスペクトしているということだけ書いておきます。

 よく看護師してると勉強はかなり重要になってくるのですが、何を勉強するのか悩みます。知らないことが多すぎるから。なぜ手を付けられないかというと莫大すぎて優先順位が後回しだから今やらなくてもいいのではないかと思ってしまうのでしょう。

知らないことを知っている分野は多いが、知っていることを知っていることを知らなくて、何度も同じ勉強をする人なんて看護師にいがちだなと思います。

病院に勤めてる看護師に多いと感じるのは、雇われている意識が高すぎる、医師の指示を待つ看護師が多すぎてしまい、自分の価値観をどう考えているのかすら考えていない人が多いと思います。それは医師会に牛耳られてる看護協会というバックグラウンドがあるせいなのかもしれませんが、なぜ医師に頼りっぱなしになるこの仕事を継続していけるのかという疑問を持ってしまう。結局聞いたところで98%が自分の考えていた指示をもらってそれを実行するということです。また、倫理的問題やらカンファレンスやら検討するということがめっちゃ好きなのにそれを今後に有効活用しない天才と言っていいほどです。意識の高さや安全性の配慮は本当に素晴らしさを通り越すレベルですが、今後に生かすという部分ではどういうものかという感じです。

正直時間がもったいない、その時間でなにかできるのではないか、自分たちはしっかりやってるぞという心理的安全性の担保でしかないのかなとも思ってしまっている。

あと残りの人生、この時間に身を寄せて生活していくのであれば私はせめて夜勤のない、自分のしたいことをすることの方が今より忙しくなっても人間でいられるのではないかなと思う。

 

 少し考えを過剰にして書いてしまいましたがその方が伝わりやすいかなと思います。

でも実際にその現場でしか働いていない私にとって能力という面では何も通用しない部分しかない。

まだ考えている段階であり、自分にとってどの能力から補充していくかという面でわからないことが多い。でもお金や犯罪は犯したくない。まずはFP(ファイナンシャルプランナー)などの分野から学習し、ついでに資格も取っていきたい。

あとは自分の長所であるコミュニケーション能力や行動力をいかすために認定心理士の資格を確保し、人の心理を逆手に考えた企画や事業開発、相談方法、接し方を学んでいきたい。

 

私が考えた夢、それはとても大きく日本全体を変えていきたいという夢である。実際に叶えるとしたら政治家にでもならなければ叶えられない夢なのかもしれない。

でも生涯エンタメ、何を言われても圧倒的偽善者、面白くないことをしているのが一番のストレスである私にとって、新しい挑戦をすることが1番のワクワクなんだと思う。そこで起業したいなと思った理由、思い、今までの経験を記載していく。

そして今後ブログで私が目標を達成するまでのプロセスを配信していく。

ちなみに高校生の時もブログを書いてた。中2病みたいな中身でめっちゃ恥ずかしいけど気になる方は見てください。「ナースマンへの道」といって高校生が看護大学に入るまでの日常を記載しています。多分専門看護師についても高校生の時点で触れていると思う。しっかり叶えるように行動している。言霊は実現するのかな。

 

さて本題。私の起業したい理由から。つらっと短時間で書いてるから内容薄いが、、、。

高齢化(2040年問題)があるなかで、医療者の負担、不足はどんどん増している。その中で今後日本全体が医療崩壊に備え、個々の健康、病気予防への意識の拡大が必要になると思っている。生活習慣病という言葉は聞きなれるほど、馴染みのある言葉になってきている。日本における死因第1位のがんですら、原因の大多数が生活習慣の乱れ(飲酒喫煙、運動不足、肥満、ストレス)などである。このような原因がはっきりとしているのにも関わらずストレス社会の中でその現状のみをタバコや飲酒で乗り切ってしまっている人が多いと感じる。そのような人が結果的に心疾患、脳血管疾患、がんなどになるのは必然とも考えられる。

今後変えていかなくてはならないのは、病院の機能でもなく、個々の健康への考えであると感じている。日本には国民皆保険制度があり、いつでもどこでも安心して医療提供を受けられる制度があるが、そのような制度がなくても自分自身で解決できていける、受診する原因が出現する機会が少ない社会を作っていくことが重要と考える。

年齢に関わらず、残りの人生をあきらめない、“もう遅い”を“まだこれから”へ、高い壁がない、誰でも導入しやすい健康への入り口を作りたい。

この考えに至った自分自身の背景を考えてみた。

 私が、看護師になりたいと考えたのは中学3年のときです。今でも忘れもしない鮮明にいろんな場面が出てくる。母親が乳がんになった。「がん」という死を連想する病気。幸いにも初期に見つかったため母は今もとても元気です。でも当初は、毎日夜には泣いて、父親がその不満を聞いている。その現状を2階の自分の部屋、階段の上から聞いていて何もできなかった、自分は1人で泣いていたことを覚えている。そして手術で入院をしてから退院まで、部活などなかったのにも関わらず面会に行くことが怖く、自分は何も力になってあげることが出来なかった。そのことについて何も言われたりしなかった。しかし自分の中でモヤモヤが残ってしまった。自分が面会に行っていれば少しでも喜んでくれたのではないかと今でも思う。そこから家族や身内、病気になった人の役に少しでも立ちたいと考えている。それからは高校1年目から志望届は看護科のある大学だった。大学時代は急性期、周手術期の実習の成績もよく、楽しかったためそっちの就職が向いているとおもっていたが就職活動をしているときに一番興味を持ったのはがんの病院であった。

 就職1年目にどんな看護師になりたいのかという用紙に書いた文面をはっきりと覚えている。「あなたが担当でよかったと言われる看護師」。この目標の裏には知識に裏付けされた、安心してもらえる看護を提供し、患者それぞれと信頼関係を築けるという意味であった。実際に働いてみると3年目には、担当を指名されたり、目標で掲げた言葉をいただくこともすごく増えた。そして思ったこと、私だけが言われてもなにもよくならないじゃないか。看護師として自分が受け持つ患者だけがよくてどうするんだという気持ちがとても強くなった。そのとき病棟の忙しさからとてもやさしく、がん患者に医療提供している看護師がとても負担を感じ疲労から体調を崩す人が増えていった。看護師を守れる看護師になりたい、自分が看護師の看護提供を変えられる力、組織を動かす力を手にする必要があると考えがん専門看護師になるのはどうかと考えた。そんな時にかかってきた電話がその時は話したこともない次期看護部長となる副看護部長からの電話であった。連携大学院制度があります、興味が少しでもあるのなら早い方がいい、明日までに私の所に着て返事をくださいという内容だった。今考えれば制度を維持するための人員確保に過ぎなかったと思う。だが自分にとってはターニングポイントになったのかもしれない。そこから病棟看護師と大学院生の両立が始まった。自分の研究テーマへの根源は病棟でがんを治しに来た人が寝たきりとなってそのままなくなる人がいるということにモヤモヤしていることから始まったと考える。そこから患者の意識が低すぎることや看護師が忙しいこと、生活習慣が悪い人ががんになり、その結果コンプライアンスが悪く、セルフケア能力が低い人もおおいなと色んな問題を感じることが増えた。ここは省略するが徐々にがんになってからじゃ遅いと思うことが増えた。

そしてやっと本題だ。なぜ起業したいとなったのか。もし専門看護師になって病院の中で偉くなってもここの病院の改革しかできないと考えた。もっともっと早い段階から人をかえる、予防していくことで自分ではあったことも話したこともない人の命を救えるのではないかと考えた。1つの病院の組織に閉じこもっていたらその病院しか変えられない。そんなの単なる駒でしかなく、人生もったいないと考えてしまった。

 これらの経験から自分は、自分が考えたことを実践できる環境を作りたい、枠にとらわれずもっと人を助けたい、看護師の仕事は、目に見えない数として表せない仕事であるが減らしていきたいという気持ちを持ち企業をしたいと考えた。

企業がゴールじゃない、がん患者が減る、みんなが自分で健康に向き合う社会に、会社の社員が人生のやりがいを感じる事業、プライベートを充実させ最高に楽しい人生を送れる会社を作りたい。

やりたいことなんて腐るほどわいてくる。

これから習慣を少しずつ変えること、私自身の能力の向上をこのブログにつづっていきます。

コミュ力や想像力を求めます。夢を語れる人と話したい。

29歳になり、公開しているがこの考えは看護師として中堅にならなければ生まれなかったし、大学院に行かなければ生まれなかった。

4年間で自分を成長させる。夢をかなえるためのブログ。皆さまぜひ呼んでください。

そしてコメントしてくれたら嬉しいです。

一緒にブログやろ。

仲良しな人も全然話したことない人も、知らない人もつながりや対話できるツールにもしたい。アンチもいるだろうが失敗しても失敗したという誰でもできない経験はできる。