龍勝寺(長野県伊那市) | 三日月の館

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所在地  長野県伊那市高遠町勝間855
山号   雲居山
宗派   曹洞宗
本尊   聖観世音菩薩
創建   康正元年(1455)
開基   雪窓一純和尚

 

赤松円心ゆかりの寺

 

建武の頃、赤松円心が隠れ住んだと云う。

 

で有名な日本100名城高遠城のさらに南、勝間郷の山奥へ。

登り口。

山門の代わりかな?
ここが本来の参道。
石仏が建ち並ぶ。
寺標。
長いくねくね山道を登ると、ここから参道と車道が分岐。
禁董酒の碑。
参道を進む。
苔が素晴らしい。
石段を登る。
山門。
扁額。
建武元年開創。
ここも弘法大師ゆかりの寺と云う。
円心?
弘法大師?
由緒書。

曹洞宗

【雲居山 龍勝寺の縁起】

 

南北朝のころ、建武元年(1334)播磨守赤松則村入道円心(法号法雲寺殿月潭潭円心大居士)という人が、世を逃れて隠遁行脚の折、この地に草庵を結んだのが創建と伝えられる。

その後、戦国時代のはじめ、円心の子孫で福井県慈眼寺の僧であった東岩正和尚が、先祖ゆかりの当地を尋ね来て孝順の心を篤くし、師匠の慈眼寺十世雪窓一純大和尚を勧請して開山とした。

そして自らは龍勝寺三世となって当山の基礎発展に尽力する。

また当山五世の雪天等正大和尚は高僧の名が高く、特に仏日大光禅師の勅号を賜ったと伝えられている。

開山以来、度重なる火災により焼失し、そのために宝物や古文書なども失われる。

記録によると文化12年(1815)12月、火災に遭い本堂、庫裡ともに焼失するが、文化14年(1817)9月、当山三十世泰勇虎山大和尚の時に庫裡が再建される。

大きさは開口15間、奥行7間半。

その後、嘉永6年(1853)焼失後38年を費やし本堂も再建される。

その大きさは間口13間、奥行10間半。

しkし、苦難再建したにもかかわらず昭和13年(1938)7月6日早朝、折からの長雨で裏山が崩れ本堂が全壊。

すぐに再建にとりかかり、昭和17年(1942)当山四十一世禅應國雄大和尚の時に、完全な完成とまではいかなかったものの入佛落慶法要が行われる。

大きさは前の本堂とまったく同じ。

近年では平成8年(1996)に位牌堂が新築される。

山号を「雲居山」といい本尊には聖観世音菩薩を祀り、末寺は上伊那郡下に十六ヵ寺を数える。

宗派は坐禅をその教えの根本とする曹洞宗で、福井の大本山永平寺と横浜鶴見の大本山總持寺を両大本山として仰ぐ、深山幽谷の趣き深い寺院である。

 

【龍勝寺のおもな寺宝】

・武田氏の文書

 天正8年(1580)、武田勝頼が小原丹後守を介して出した「定」(禁制)の文書である。

・蜀江の錦袈裟

 錦織の大きな袈裟。

 言い伝えによるとこの袈裟は、平家の大将小松重盛公の直垂で、平家の落人で長谷村浦の衆から伝えられた物だと言われている。

・辨財天尊の瓦佛

 辨財天と十五童子を配した薄肉彫りの瓦佛。

 弘法大師(空海)のゆかりの品と伝えられる。

・十六維漢像。

 本堂左側の裏山に佇む土蔵造りの羅漢堂に祀られる十六体の尊像。

 江戸時代中期ごろのものと推定される。

 
鐘楼。
本堂。
扁額。
開山は雪窓禅師。
信濃守護小笠原氏菩提寺広沢寺の開山でもある。
本堂裏山に高遠藩鳥居家家老高須源兵衛の母の墓。
根っこに載ってる!
駐車場。
こんな山奥でも訪れる人がいました。
戻る。
境内を出る。
杉木立の参道。
熊はいなかったです。
再び車道へ。
高遠の街を見る。

Googleマップのストリートビューで事前に下調べしておいてヨカッタ得意げ

境内を出る。

赤松円心のことは由緒書のみでした。

こんな所まで来るかな?

 

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