登城日 2020年12月16日(水)晴
難易度 ☆☆
場所 神奈川県横浜市鶴見区馬場3丁目15-1
小田原北条氏に仕えた諏訪氏の居城です。
JR鶴見駅から。
線路沿いを川崎方面へ歩くと鶴見神社があります。
右の狛犬。
左の狛犬。
茅の輪と社殿。
茅の輪は蘇民将来に由来。
ということはここは牛頭天王社。
鶴見の田祭り。
境内に貝塚がある。
神輿の伝説。
清明宮。
三島由紀夫が祀られている。
浅間社。
説明板。
蛙。
寺尾稲荷道道標。
寺尾城の西に鎮座する馬場稲荷への道標。
区役所通りを進む。
三角交差点から先はアーケード商店街「レアールつくの」。
アーケードを抜けた所に五差路。
南西へ進むと諏訪坂。
アーケードは無いが商店街は北へ続く。
Google先生が高台に諏訪馬之助館跡(諏訪坂館跡)があると教えてくれました。
高いなぁ~
五差路に戻って旧諏訪坂を登って行く。
この辺りに諏訪馬之助館跡(諏訪坂館跡)があったそうです。
説明板どこ?
さらに高台があった。
舌状台地の先端で見晴らしが良かったのだろう。
付近の地名は「諏訪坂」。
この辺りが頂上。
寺尾城主諏訪氏は平時はここに居を構えていたと云う。
諏訪坂公園の方へ下りて行く。
諏訪坂稲荷神社。
往時はもっと南の諏訪坂の高台に鎮座していたらしい。
寺尾城を目指す。
国道1号線を南下。
日本橋から25km付近。
寺尾城を見渡す。
居館から2km以上の距離。
遠いなぁ~
寺尾城の東側に愛宕坂。
登った所に愛宕社があったが、宅地化で失われた。
寺尾城を守る砦として使われ、虎口を守る土塁が残存していたと云う。
この「ふる里再発見 寺尾奉行」の高札が寺尾城付近に25ヶ所あるそうで全部廻ろうかと思いましたが、最初に発見したこの高札は25ヶ所以外だったので、止めました。
一体幾つあるのだろう?
騎馬武者が坂を馬術訓練で登り下りしていたのに相応しい地名。
一旦寺尾城の南へ進み白幡神社へ。
麻をつくらない村。
寺尾城主諏訪氏が勧請したと云う。
説明板。
もう一つ。
白幡神社の西側。
宮の下。
白幡神社の北側。
鍛冶屋敷跡。
東側に成願寺跡。
成願寺は天正3年(1575)に建立され、元和元年(1615)に現在の總持寺の地に移転し、大正元年(1912)に寺地を總持寺に寄付し、豊岡(總持寺の東)に再移転した。
寺尾城を南から見る。
入江川を渡る。
往時は外堀の役目をしていたのかな?
横浜市立東高等学校の南側。
デイダラボッチ。
隣に庚申塔。
説明板。
東高校の奥にモアクレスト菊名。
ここ大手かな?
敷地内に土塁が残存しているという。
行くのは躊躇われた。
東へ進み殿山公園へ。
石垣は後世のもの。
公園内の説明板。
公園内に残る竪堀。
登って行く。
入れないので竪堀を間近で確認出来ませんでした。
竪堀説明板。
説明板を振り返る。
この辺りに曲輪があったのだろう。
ここが本丸かな?
西へ進むとさらに高台があった。
ということは、先ほどの曲輪は二の丸かな?
ここが本丸。
住宅地内に城址碑。
説明板。
本丸を見渡す。
城下を見渡す。
遠くに篠原城が見えた。
東高校の北側を下りて行く。
正面の丘の上に馬のメド坂がある。
下りて振り返る。
かなりの高低差。
水道道。
堀切かな?
殿山バス停。
寺尾城の最寄りのバス停です。
ここで説明板を発見!
あやうくバスで帰ってしまいそうでした。
説明板を拡大。
図を拡大。
帯曲輪かな?
もう一回登って行く。
本丸東側。
また西側へ下りる。
道標の目的地、馬場稲荷。
説明板。
水道道を挟んで北側の丘に馬のメド坂がある。
説明板。
坂を西へ下ると馬場花木園があります。
旧藤本家住宅。
住宅地を南西に進むと馬場の赤門があります。
説明板。
この辺りは綿内谷と呼ばれていた。
西へ進み、インペリアル菊名の西側に湾前説明板。
かつてはここが海岸線だったと云う。
南へ進むと青面金剛合掌立像があります。
説明板。
南西に進み、首都高馬場入口手前にまた寺尾稲荷道。
説明板。
最後に諏訪氏の菩提寺建功寺へ。
由緒書。
境内図。
567の影響か山門から中へ入ることが出来ませんでした。
寺尾城の御城印を販売しているそうです。
環状2号線を北へ進む。
途中、名前から寄ってしまった法隆寺。
立派な銀杏。
菊名駅まで歩いて帰りました。
最近は天守閣のある城よりも、こういう城跡の方が楽しいです。
住宅地や学校の周りをカメラ片手にウロウロするのはかなり怪しいですが…
(おまけ)
鶴見駅前にあるレストランばーく。
デカ盛りのハムカツ定食(900円)が有名。
分厚過ぎて真ん中が冷たかった。
ハムカツというよりはハムにかぶりついている感じ。
もうちょっと線路沿いを歩いた餃子の王将の方が好きかな?
オリジナルメニューが豊富なので。