能見城(甲斐国) | 三日月の館

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登城日  2014年 1月 4日(土)晴
難易度  ☆
場所   山梨県韮崎市穴山町3793

 

新府城の支城です。

 

新府城から県道を北へ進み、穴山駅方面(七里岩ライン)へ向かう。
(この下を中央本線が通っている)

能見城が見えてきました。

山麓から見た能見城。
(この時、大事な遺構を見落としていたことに後で気付く)

山麓の表記。

登城口。

だいぶ崩壊してしまったのかな。

登って行きます。

空堀や土塁跡が隠れていないかな。

竹藪でさっぱり解からず。

段差は曲輪の跡かな。

頂上の平坦地に到着。

土塁に囲まれているような気もするが。

山頂の長靖寺。
住職いるのかな。

頂上の一画。

「能見城址」の看板。

守屋一族発祥の地碑。

【守屋一族発祥の地】

往時此の付近は武田信玄之家臣守屋新兵衛尉定知の守護し来りし地域也。
此の風光明媚なる勝地は万民等しく賞嘆し垂涎惜く能はざりし処咬籠は永く池中の者たらす茲に時期到来し万民の福祉昂揚の為吾等氏子相謀て神域開放の挙に賛スするに到る。
希は神霊此挙を嘉納し守護神として本土の繁栄に未来永劫に神徳灼力に万劫の鎮護の御手ヲ垂れ給うことを茲に能見城氏神域変革の経緯を記し本碑を建立す。

昭和35年4月11日

 

本郭なんだろうけども良く解らず。

でも、これはやはり土塁跡でしょう。

能見城を後にする。

帰り道でもう一度竹藪を覗いてみた。
有るような無いような。

新府城と富士山が見えた。

穴山駅へ向かいます。

山麓の窪地。
何か気になるなぁ~

穴山駅。

韮崎市観光エリアマップ。

能見城跡の説明を拡大。

「浅野文庫諸国古城之図」の 新府城。

スイッチバック跡の穴山さくら公園。

説明板。

中央本線に西を通る県道17号線の西に西砦があった。

能見城防塁は穴山さくら公園を横断。

先程の窪地は新府城の外郭防衛ラインである能見城防塁だった。

写真が前後するが、最初に通って来た七里岩ライン上に桝形虎口があった。

桝形虎口の土塁跡。

桝形虎口跡を振り返る。

能見城防塁は北へ延びていた。

穴山駅前から堀跡を見る。
南側。

北側。

この辺りから直角に東へ曲がる。

竹藪の中へ。

窪地があるような気もするが…

能見城の北側を東西に横断。

雑木林に分け入ってみる。

土塁や、

堀らしきものがあった。
この辺りにも桝形虎口があったらしい。

御名方神社へ。

神社は高台に位置する。

狛犬と神門。

社殿。

赤松。

蹄の滑石。

能見城防塁は社殿背後を通っていた。
二重空濠が残る。

御名方神社を出る。

西へ進む。

御名方神社の社叢を振り返る。

ここをさらに西へ下りて行くと堂坂砦があったが行きそびれてしまった。

能見城防塁は、武田氏滅亡の跡に新府城に入城した徳川家康が、若神子城に陣取る北条氏に対して築いたとも。
新府城とセットで見たい能見城でした。