所在地 京都市左京区岩倉上蔵町121
山号 岩倉山
宗派 単立
本尊 不動明王
創建 寛喜元年(1229)
開基 静基僧正
岩倉具視が一時住んでいた門跡寺院で紅葉の名所です。
もと天台宗寺門派の門跡寺院。
寛喜元年(1229)静基僧正の開基。
寛永年間、足利義昭の孫にあたる義尊が入寺。
その後、後西天皇の皇子義延親王が入寺。
以来、宮門跡が続いた。
客殿・御車寄など、東山天皇の后、承秋門院の薨去に際し、大宮御所の建物を賜ったもので、現存する数少ない女院御所といわれている。
寺宝には、後陽成天皇宸翰「仮名文字遣」(重要文化財)、後水尾天皇宸翰「忍」他、狩野永敬をはじめとする狩野派による襖絵を多数蔵する。
京都市
最寄駅は叡電鞍馬線岩倉駅。
心光院のある交差点を左折し北進。
途中で洛陽病院方向へ左折し直進すると、突き当りにあります。
駅から約15分。
山門。
山門を潜ると紅葉。
ここは紅葉の名所。
石造りの水汲み。
池泉回遊式庭園。
池にはモリアオガエルが生息しているとか。
奥の書院と客殿との間にあります。
良いような良くないような。
紅葉が美しい。
こちらは石庭。
比叡山を借景にしています。
欄干から、
石庭と紅葉を眺める。
そして、お目当ての所へ、
ここからは撮影禁止。
何でだよぅ
岩倉実相院を出る。
近くにある岩倉具視幽棲旧宅へ向かいます。
いわくら病院の東にあります。
説明板。
【岩倉具視幽棲旧宅】
ここは、文久2年(1862)9月から慶応3年(1867)までの5年間、明治維新に功績のあった岩倉具視が幽棲したところである。
昭和7年3月、「史跡」に指定された。
具視は、幕末の騒乱に際して公武合体を進め、皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、倒幕急進派の弾劾を受け、文久2年9月官職を辞し、西賀茂霊源寺で剃髪し、ここに蟄居した。
慶応3年には維新運動の中心となって活躍し、のち明治新政府の右大臣となった。
現在、幽棲旧宅、文庫、管理人宅の3つの建物がある。
旧宅は西北にあって平屋建茅葺と瓦葺の2棟からなる。
茅葺は玄関座敷で約60㎡、瓦葺1棟は居間勝手等で約74㎡、具視幽棲時の旧態をしのぶことができる。
旧宅の東側にある文庫には維新志士の遺墨を陳列している。
庭前には具視の遺髪塚とお手植の松がある。
京都市
門前に碑。
邸内の様子。
歌碑。
旧宅。
玄関。
中の様子。
説明書。
硝子障子は大宮御所のものを拝領。
風呂。
対岳文庫。
明治天皇岩倉公邸親臨之図。
井戸。
覗いてみる。
岩倉具視遺髪碑。
読めなくもないが、
こちらで。
帰りは比叡山を仰ぎ見ながら、
岩倉川沿いを歩いて帰りました。
岩倉具視ゆかりの門跡寺院、
岩倉実相院でした。
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