登城日 2010年 8月 6日(金)晴
難易度 ☆
場所 長崎市戸町3丁目
台場跡、火薬庫倉庫等の良好な遺構が残る国指定史跡です。
幕府は寛永16年(1639)鎖国令を出すと同時に長崎港の警備を厳重にするため、西泊(にしどまり)、戸町(とまち)、大田尾(おおたお)などに台場を築かせたが、文化5年(1808)のフェートン号事件に刺激をうけ、同年新たに女神(めがみ)、神崎(かんざき)などに新台場を構築し、更に同7年(1810)には増台場として神崎、高鉾(たかほこ)、長刀(なぎなた)岩、魚見岳に台場を築いている。
魚見岳の台場は石火矢22台があった。
現在魚見岳台場の遺構は他の台場遺構に比べて台場跡、火薬庫石倉などの遺構が良く残されており、当時をしのぶことができる。
(長崎県HPより)
魚見岳台場へは、長崎バスターミナルから長崎バスに乗り、魚見山バス停で下車。
結構本数があります。
女神大橋方面へ少し戻ります。
国指定史跡「長崎台場跡 魚見岳台場跡」の標識があります。
夏は草茫々の階段を登って行きます。
途中で石垣を見ることが出来ます。
マムシ注意の張り紙。
周囲は、いかにもいそうな感じの草叢。
三ノ増台場の石垣が見えてきました。
三ノ増台場の石垣。
説明板。
本当は、もっと引いて全体が写真に入る状態で撮りたかったのですが、マムシが怖くて草叢に入って行くことが出来なかった。
説明板。
現況図。
三ノ増台場上部。
三ノ増台場の碑。
「史跡 長崎台場跡 魚見岳台場跡」の碑。
女神大橋を見る。
二ノ増台場へ登る。
この曲輪は一番大きい。
二ノ増台場の石垣。
登って見る。
上部の様子。
見晴らしは悪い。
二ノ増台場の碑。
今登って来た道を見下ろす。
二ノ増台場の奥には、一番の見所である火薬庫石倉があったのですが、何と、マムシが怖くて進めなかった。
やっぱりこの時期に来るべきでは無かった。
さらに上へ登る。
草叢の間に僅かに石垣が見られました。
一ノ増台場の碑。
一ノ増台場。
さらに草茫々。
一ノ増台場の石垣。
いつもならもっと丹念に見て廻るのですが、蒸し暑くマムシが怖くて帰ってしまった。
最後に麓から魚見山を見る。
再訪の見込みが無いので記事を書きました。
火薬庫石倉を見落としたのはとても残念です。