渉成園(京都市下京区) | 三日月の館

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所在地  京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町

 

渉成園は、東本願寺の別邸です。
東本願寺から少し東へ行ったところにあります。
東側は河原町通りに面しています。

 

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【渉成園(枳殻邸)】

東本願寺の別邸で、周辺に植えられた枳殻の生垣にちなんで枳殻邸とも呼ばれる。
寛永18年(1641)、この地を徳川家光から寄進を受けた本願寺宣如上人が、承応2年(1653)、石川丈山らとともに庭園を築き、別邸としたところである。
もとは、鴨川に達する広大なものであったが、現在でも200m四方の大きな庭園である。
この地は、平安時代の初め、左大臣源融が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡に近く、作庭に際し、印月池と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現している。
園内には、楼門傍花閣、書院閣風亭、滴翠軒、臨池亭、茶室漱枕居、縮遠亭、持仏堂の園林堂、橋廊の回棹廊などいずれも蛤御門の変による大火後の再建であるが、庭園によく似合った建物が配されている。

京都市

 

入り口は間之町通側にあります。

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案内図。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/8/7/879c78ce.jpg

(1)高石垣
西門を入って正面にまず目に入るのが高石垣。

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石橋のような長い切石や、礎石、石臼、山石や瓦など多様な素材を組み合わせている。

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幹の太い銀杏。

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庭園北口から入る。

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①臨池亭と②滴翠軒

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滴翠軒の東側には、(2)檜垣の燈篭が建つ。

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③代笠席
庭園の北部に生垣をめぐらせ、南面して建てられた煎茶席。

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(3)亀の甲の井戸

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④園林堂
⑦傍花閣に対峙する持仏堂。

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⑥蘆菴

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二階建ての茶室です。

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⑦傍花閣
④園林堂の山門に相当。

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⑧侵雪橋
⑨縮遠亭のある北大島へ渡る橋。

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反り具合が何とも言えない風情。

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(6)源融ゆかりの塔
左大臣源融は、嵯峨天皇の皇子で嵯峨源氏の祖であり、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人と云われている。

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(7)塩釜の手水鉢
全国の庭園にある「塩釜の手水鉢」の手本となっているもの。

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⑨縮遠亭

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かつては上段の間から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のごとく見晴らせた茶室だったが、樹木が繁茂して見えなくなってしまっているという。

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(8)碧玉の石幢
石幢は、石灯籠と違って笠の部分に蕨手と呼ばれる装飾が付いておらず、竿に節が無いなどの特徴がある。

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(9)塩釜
かつては、茶会の水源として使われていたが、今は枯れてしまっている。

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⑩五松塢のある北大島を見る。
本来は五株の松あるいは一幹五枝の松が植えられていたことから名付けられた。
「塢」とは小さい土手を意味し、この島が御土居の跡であるとの説が有力となっているそうです。

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⑪回棹廊

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⑫紫藤岸

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(4)獅子吼
⑮印月池の水源の一つ。

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⑬丹楓渓
紅葉の美しい渓谷を模した一帯。

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⑮印月池
東山から上る月影を水面に映して美しいことから名付けられた。

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⑭臥龍堂(南大島)と⑰漱枕居
正面の南大島も御土居の跡と云う。
右側の漱枕居は茶室。

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⑯閬風亭。
⑤偶仙楼の跡地に建つ。
偶仙楼は、伏見城から移築した高楼だったが、安政の大火(1858)」に焼失後再建されたものの、蛤御門の変(1864)に再び焼失してしまった。
大広間があり、明治天皇のご休息に使われた。

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⑱双梅檐
紅梅・白梅が20株ほど植えられた梅林。
「明治天皇御小休所枳殻邸」の碑が建っています。

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庭園南口から出る。
出た所に⑲大玄関があります。

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一周しました。
天気が悪かったのと、建物の中に入れなかったのが残念。

 

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