富隈城(大隅国) | 三日月の館

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登城日  2011年12月23日(金)晴
難易度  ☆
場所    鹿児島県霧島市隼人町住吉1879-4、1881

 

島津義久の隠居城です。

 

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【富隈城跡】

富隈城は島津16代義久によって築かれた城で、平地にあり、小山を本丸代わりにした平山城です。
この城は東西150m、南北250mの方形で西・東・北側に堀があったといわれ、現在は北と東側に堀の跡が残っています。
城の造りは、天守閣がない館形式で城門も茅葺きであったということです。
西側や東側には、野面積みという技法で積まれた石垣が残っていますが、これは肥後(熊本)八代の種山の石工たちが築いたものだと伝えられています。
義久は、文禄4年(1595)から慶長9年(1604)あしかけ10年間ここに居住しました。
義久が富隈に来たのは、豊臣秀吉の島津征伐に敗れ、降伏した意志を表すため、鹿児島の城を弟義弘の息子家久に譲り、富隈に隠居の形をとったためだといわれます。
義久在城の間、朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどが相次ぎ、日本は激動し、島津氏にとっても苦難の時代でした。
義弘が関ヶ原で家康の本陣を突き、敵中突破してわずかの家臣と帰り着いて、兄と対面したのもこの富隈城でした。
また秀吉の勘気にふれ、文禄元年(1592)薩摩の坊津に流された近衛信輔(関白の位に就く、書道の達人で三藐院流の祖)も、文禄5年(1596)許されて帰京の途中この城に立ち寄り、歌会や能楽等を行っています。
このように富隈城は、町史はもちろん県史・国史にも逸することのできない史跡であるので、隼人町は大切な文化財として指定し、末永く保存することにしました。
なお城内には島津氏が氏神として崇拝した稲荷神社が祭られております。
御祭神 宇迦御魂命・中筒男命・庭筒男命、得仏(島津忠久)・得仏夫人
大昔、この付近は海で、住吉崎として住吉一神だけ祭られていましたが、永和元年(1375)大隅の守護職、第6代島津氏久が島津の元祖、忠久・忠久夫人と合わせ祭って、一ノ宮大明神としました。
その後、島津義久が富隈に居住した慶長4年、さらに島津氏の氏神、稲荷神を勧請して稲荷神社と称しました。
こうして、もともと住吉崎の漁業・航海の神社に、五穀豊穣の神様が加わり、今に変らぬ人々の尊崇をあつめています。
隼人町教育委員会

 

島津義久が富隈に至った経緯。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/d/7/d74d6c9a.jpg

富隈城へは、JR隼人駅からいわさきバスに乗り換えて、「住吉運動公園入口」又は「浜之市」で下車。
NHK隼人ラジオ放送所の電波塔を目指す。

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国道223号線から見た富隈城西南隅。
国道は西側の堀跡という。

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「富隈城→」の案内板があります。

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縄張図が無いので、鹿児島神宮近くの隼人町立歴史民俗資料館にあった模型で。

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昭和23年(1948)の航空写真。
この頃は堀跡が良く解かる。

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模型を思い出しながら、富隈城の南側を西から東へ進む。
この辺りの石垣は後世のもの。

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富隈城の南側。
堀はなかったようで、海に向かってなだらかな坂になっている。

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途中から当時のものと思われる石垣に変わる。

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石垣は、肥後(熊本)八代の石工たちが築いたものという。

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南東隅に突き刺さる巨石。
加藤清正が寄進した石と伝わる。

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富隈城の南側を東から見る。

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今度は東側を北へ進んで行きます。

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二の丸?への虎口。

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NHK隼人ラジオ放送所への入口となっています。

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別角度。
石垣が立派ですね〰

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反対側は堀跡。
凹んでいます。

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さらに東側を北へ進みます。

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二の丸?の北西隅。

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本丸への東虎口。
表門があったらしい。

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本丸には稲荷神社が鎮座。
島木が白色の大隅鳥居が特徴。

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鳥居前にある碑。
「隅州富隈新松林記」
寛政11年(1794)に建立されたもので、富隈城が島津義久の居城であったことが忘れ去られるのを恐れ、国分地頭の赤松大夫が高千穂峰から松苗百余株を移植し、遺跡であることを世人知らしめようとしたことなどが漢文で刻まれています。
この地頭の赤松氏は、松山城へ落ち延びた赤松教康の子孫だろうか。

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ここへ来たのは、この碑があるからといっても過言ではないが、碑を見ても難しくて読めなかった

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本丸へ進む。
小山の東麓に鎮座する稲荷神社。

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社殿には島津氏の家紋がありました。

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本丸小山下の石垣。

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本丸の小山。

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登る。

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小山なのですぐに頂上。

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頂上の様子。

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頂上から二の丸?を見下ろす。
遠くに桜島が見えました。

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北方向を見下ろす。

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山を下りる。
斜面にも巨石。
かつては石垣があったのかな。

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本丸北東隅へ進む。

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本丸の小山を振り返る。

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本丸東側の堀跡の窪地に建ち並ぶ住宅。

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住宅前の本丸東側石垣。

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本丸東北隅付近。

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本丸北側堀跡。
北側の堀跡は東側ほど明確ではない。

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本丸北西隅。
この辺りは石垣は残っていません。

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本丸西側堀跡は埋められて国道223号線となっています。

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しばらく南へ進むと石垣が残っていました。

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本丸西側虎口。
裏門があったらしい。

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二の丸?西側。

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一周しました。
鎮西八郎為朝が築城したとも云われる富隈城。
島津義久が文禄4年10月に移り住んでから約9年後の慶長4年(1604)11月、舞鶴城を築いて移り富隈城は廃城となった。
簡素な造りであるが、石垣などの遺構が残る富隈城でした。