鹿児島神宮(鹿児島県霧島市) | 三日月の館

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所在地  鹿児島県霧島市隼人町内2496
主祭神  天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)・豊玉比売命
(相殿)帯中比子尊(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・品陀和気尊(応神天皇)・中比売尊(応神天皇皇后)
創建    伝 神武天皇 御代

 

大隅国の一の宮です。

 

【大隅国一之宮 鹿児島神宮由緒略記】

[鎮座地]

鹿児島県霧島市隼人町

[御祭神]

天津日高穂穂出見尊(山幸彦)豊玉比売命相殿 帯中比子尊(仲哀天皇)息長帯比売命(神功皇后)品陀和気尊(応神天皇)中比売命(同皇后)[御系統] 天照大御神(伊勢神宮)-天忍穂耳尊(英彦山神宮=福岡県)-瓊瓊杵尊(霧島神宮)―彦穂穂出見尊(当宮)-鸕鸕葺不合尊(鵜戸神宮)―神日本磐余彦尊(神武天皇=宮崎神宮)

[由緒概要]

鹿児島神宮の御祭神は海幸山幸の神話によるところの社で創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代なりと伝えられます。

御祭神穂穂出見尊(別名山幸彦)は筑紫の国開拓の祖神に坐しましこの地に高千穂宮(皇后)を営み給い、580歳の長寿に亘らせらるる間農耕畜産漁猟の道を指導し民政安定の基礎をつくり給うた御祭神である。

俗に正八幡、国分正八幡、大隅正八幡等と称し全国正八幡の本宮でもあります。

醍醐天皇の延喜の制には(910年)大社に列し大隅国一之宮として朝野の崇敬特に篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(1198)には社領二千五百余町歩の多きに至り江戸末期まで千石を有して居た。

明治4年国幣中社、同7年神宮号宣下官幣中社、同28年官幣大社に夫々列格す。

昭和10年昭和天皇の行幸を仰ぎ勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。現社殿は桃園天皇の宝暦6年(1756)島津重年公(24代)の造営になるものである。

(現地配布の由緒略記より抜粋)

 

境内図。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/f/5/f5a578b6.jpg

島木が白塗りが特色の大鳥居。
撮影している辻の角の脇に、境外末社である保食神社があったのですが…

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参道北側の宮内小学校。
ここは、正八幡宮の別当寺であった弥勒院跡。

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説明板。

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【宮内小学校の由来】

わたしたちの学校には、今から約130年前までは、弥勒院という大きなお寺がありました。
明治のはじめ政府は、仏さまと神さまとに分けておがみなさいと、神仏分離令という、法令を出しました。
島津藩は、仏さまをおがむことを止めさせました。
そこで、お寺や仏像は打ちこわされたりしてなくなりました。
これを、廃仏毀釈といいます。
それまでは、日本人は神さまも仏さまも両方おがんでいました。
ですから、弥勒院には、神主さんとお坊さんの仕事をする人たちが住んでいました。
弥勒院がなくなったあと、のこされた建物の一部は明道館という名前に変わり、勉強をする所となりました。
これが、現在の宮内小学校のもとといわれています。

 

弥勒院は無くなってしまったが、弥勒院脇の白鷺池の弁財天堂が保食神社に移築されている。
参道を挟んで向い側の桑幡氏館跡。
四社家の一つで、周囲を土塁と堀で囲まれた居館であった。
(桑幡・留守・沢・最勝寺の四社家については、隼人町立歴史民俗資料館へ行くと良く解ります。)

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参道を進む。

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三之社と二の鳥居。
一の社 豊姫命(神功皇后の妹)・磯良命
二の社 武甕槌命・経津主命
三の社 火蘭降命(海幸彦)・大隅命
を祀る。

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奉納木馬。

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参道を登って行く。

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石造の神橋を渡る。
渡った所の両側に御門神社。

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堀のような川は天降川から引かれた灌漑用水。

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御門神社の南奥に神馬の馬小屋。

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馬小屋は、何かの宗教施設のようだった。

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階段を登る。

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登った所南側に社務所。

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反対側に雨の社。
豊玉彦命(豊玉姫命の父)を祀る。

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背後に御神木。
樹齢約800年。

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さらに登る。

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社殿に到着。

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手水舎。

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社殿は参道の正面ではなく南面している。
南側にも参道があったのかな?
と、覗いてみたら崖だった。
直下に神田が見えた。

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勅使殿。

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「正八幡宮」の扁額。

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天井の格子には、花や野菜が描かれている。

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勅使殿奥の拝殿と本殿。
脇に四所神社。

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四所神社(大雀命・石姫命・荒田郎女・根鳥命)と武内神社(武内宿禰)・隼風神社(日本武尊)。

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社殿を後にする。

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大駐車場の奥にある摂社石體神社へ。

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鳥居。

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参道。

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社殿。
ここは鹿児島神宮の舊地で、高千穂宮の跡と云う。

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参道入り口には「高千穂宮址」の碑が建っている。
高千穂宮は神武東征以前に皇居があった場所で、宮崎県にあったとも。
真偽は不明。

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最後に御朱印。

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歴史は太古に遡る大隅国一の宮でした。

 

(おまけ)

 

卑弥呼像。

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ここは卑弥呼の故地とも。
石體神社の下に卑弥呼神社が建てられている。

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参道入り口。

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社殿を北参道から見る。

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社殿。

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説明板。
この神社は地元のお医者さんが私費で建てたものとか。

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卑弥呼神社を出る。

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ここも真偽は不明。
隣りの隼人町立歴史民俗資料館は必見!

 

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