登城日 2009年 9月22日(火)曇
難易度 ☆☆
場所 福島県二本松市小浜字下館
若狭の小浜城はオバマ・ブームに乗って話題になっているが、岩代の小浜城は対照的にひっそりとしていた。
この岩代小浜と若狭小浜には繋がりがある。
岩代小浜を支配した大内氏は、周防の大内氏と同族で若狭小浜に居住していたが、石橋氏の奥州下向に追従してこの地に入り、故郷の小浜から命名したという。
小浜へは二本松からバスが走っているが、本数は少ない。
【小浜城の概要】
小浜城のある塩松地方(現在の福島県二本松市及び安達郡東部)は室町時代は石橋氏が支配していた。
小浜城はその頃に石橋氏の家臣・大内氏が築いたといわれている。
永禄11年(1568)小浜城主・大内義綱は主家の石橋尚義を攻め滅ぼし、塩松地方一帯を支配下に置いたという。
大内氏はその後、伊達氏や蘆名氏、田村氏などの有力大名と同盟離反を繰り返しながら領国を保っていた。
天正12年(1584)に伊達政宗が伊達氏の家督を継ぐと、当主・大内定綱は伊達氏への従属を誓うが、翌年には離反し、蘆名氏に属する。
これに対し、政宗は自ら軍を率いて塩松地方へ攻め込み、支城の小手森城を攻め落とすと、その勢いで塩松地方の制圧に成功した。
小浜城の大内定綱は蘆名氏を頼って逃亡し、政宗は小浜城へ無血入城することができた。
この後政宗は小浜城を二本松畠山氏攻撃の拠点とし、天正14年(1586)8月までの約1年間滞在した。
政宗の父・輝宗が畠山義継に拉致殺害された事件(粟之巣の変事)が起きたのもこの小浜城滞在期間中である。
なお、大内定綱は後に政宗に降伏し、許されて伊達氏の重臣となった。
天正19年(1591)奥州仕置によって塩松が蒲生氏郷領となると、家臣の蒲生忠右衛門が2万5千石を与えられて小浜城代となった。
現在、本丸跡に残されている石垣はこの時築造されたものである。
その後、上杉氏時代は山浦景国、再蒲生時代は玉井貞右が城代となり、寛永4年(1627)廃城となった。
(wikipediaより)
岩代小浜は、伊達政宗の若き日の城下町として売り出し中?
絵図があったが、この絵は蒲生時代のでは。
小浜城は小高い山の上にある。
説明板。
復元図を拡大。
本丸まで一気に車で登れます。
本丸虎口には石垣が残存。
蒲生時代のものという。
この石垣は立派。
これを見るために来たのです。
本丸へ登る。
虎口には小浜城址碑が建つ。
本丸は二段になっている。
本丸の縄張図。
本丸の様子。
復元想像図。
復元したら観光客が来るかも。
本丸には伊達政宗お手植えの松があった。
宮森家祖大内氏城址の碑。
本丸切岸。
本丸から南を見る。
城下町があるハズですが、見えない。
北を見る。
曲輪跡は畑になっていた。
今日は天気が悪いので見えなかったが、安達太良山も見えたそうです。
櫓でも建っていたのかな?
本丸を降りる。
本丸南側には石垣の名残があった。
かつては下半分が石垣だったのかな?
本丸西側の堀切。
堀切を通って本丸北側へ行こうとしたが、畑は私有地のようで断念。
本丸東側にも堀切がある。
隣りは二の丸だったのかな?
畑とタンクがあった。
小浜城を後にする。
城下へ下りる途中で、片倉小十郎の屋敷跡発見!
屋敷跡にはナシの木が建つ。
説明板。
ナシの木の背後には空堀らしきものが見える。
屋敷跡も私有地の畑だったので、引き返す。
近くの西念寺には、移築城門と政宗が父輝宗を偲んで植えたという「臥龍の松」がある。
また、この近くには一本桜の大木がいくつかあります。
春に来るのがいいかも?
渋滞覚悟で。