伯耆国府跡(鳥取県倉吉市) | 三日月の館

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場所 鳥取県倉吉市国府

 

伯耆国の国府は倉吉市国府にありました。

 

伯耆国府周辺を上空から。

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伯耆国分寺の西側から西へ進むと鳥居が見えてくる。
この道は八橋往来だったとか。

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鳥居を進む。

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直ぐに右側に社殿が見えてくる。
(この付近が伯耆国府の張り出し部東端。)

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細い車道に出る。
たまに車がやってくるので注意!

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車道の南側は傾斜地。
(この付近が伯耆国府の外郭南端)

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車道を右折すると國廳裏神社入り口。
(この付近が伯耆国府外郭東南)

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「こくちょうのうらじんじゃ」と読みます。

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伯耆国総社だったと云う。

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【由緒記】

我が国古代大和時代伯耆国の国造に大八木足尼が地方官として中央より任命されました。
国造は適地として国庁を八代(社)郷に設置したのであります。
伯耆とは、久米、河村、八橋、会見、日野をいい、この管内の祭事と政治を棠っておりました。
国造は大国主命を深く崇敬し、又命に協力した少毘古那命との二柱の神様を国庁の内に神社を建てて祭り国庁裏神社と称しました。
奈良時代元明天皇の和銅2年11月に伯耆の国司、金上元為は事務が多くなり国中の各神社に巡拝することが出来なくなり国中の各神社を一社に集めて代表神社として祭典を行うこととしました。
この代表神社を総社といいました。
世移り時変わり、昭和20年2月に県社に昇格し現在に至っています。

 

手水舎と随神門。

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境内東側に社務所。

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西側に神輿庫。

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中の様子。

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狛犬と燈籠。

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大国主命御尊像。

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正面に拝殿。

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拝殿と本殿。

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拝殿から境内を見る。

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伯耆国総社國廳裏神社を後にする。

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伯耆国府南限付近を西へ。
この辺りに南門があったのかな?

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伯耆国府の森を抜けた所に説明板。

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【史跡 伯耆国府跡 国庁跡】

   国指定史跡
   平成12年9月6日指定
倉吉市の西方に広がる丘陵地の東端に、国司が政務を司った国庁跡、それに関連する官衛(役所)である法華寺畑遺跡・不入岡遺跡、国の華ともいわれる国分寺跡が近接して所在します。
国庁跡・法華寺畑遺跡は平成12年に不入岡遺跡を加え史跡『伯耆国府跡』と名称が変更されました。
このあたりは、古代からの景観がよく保存されており、古代の地方行政のあり方を示す資料として貴重な地域です。
国庁跡は、東西273m・南北227mの規模で、儀式などをおこなう内郭(政庁域)と実務をおこなう外郭(官衛域)からなり、東辺にはさらに東西15m・南北149mの張り出し部が設けられます。
内郭には南門・前殿・正殿・後殿などを規則的に配置し、外郭には北側と西側で建物群が確認されています。
8世紀後半に造営され、10世紀代まで存在したと考えられます。
その間4期の変遷があり、Ⅲ期(9世紀中ごろ)には掘立柱建物から礎石建物へ建て替えられています。 

文部科学省
倉吉市教育委員会
平成19年10月作成

 

遺構全体図。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/7/b/7b2bdb3d.jpg

外郭西南付近。

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外郭西南には西方官衙があったと云うが、草茫々で解からず。

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外郭西北付近はなだらかな傾斜地になっている。

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説明板の所へ戻って内郭南側付近を見る。

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内郭の南門があったであろう場所に棒が建っているが、こちらも草茫々で詳細不明。

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反対側を見ると正殿跡付近に赤い棒が建っている。

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内郭北側から廻りこんでみる。

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正殿付近の赤い棒。
やはり草茫々で近づけず。

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こんな感じだったらしい。

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大きな木の付近は北方官衙跡。

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北方官衙から正殿付近を見ると、他にも赤い棒が建っていた。
時期が悪かった…

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外郭北東付近は一面ヒマワリ畑。

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社保育園の子供たちが植えてくれました。
時期が良かった…

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伯耆国分寺跡からの道、八橋往来。
この道が伯耆国府外郭張り出し部北端。

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伯耆国府跡を後にします。

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次に、伯耆国分尼寺跡へ向かいました。

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(おまけ)

 

伯耆国府跡から北東へ行った所にある不入岡遺跡へ。

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この辺りの地名も国府(こう)。

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遠くに打吹城が見えた。

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反対側を見ると四王寺山。
山頂にも古代寺院があったとか。

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しばらく進むと不入岡の集落に入る。

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ここで不入岡遺跡が発見された。

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説明板。

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【伯耆国府跡 不入岡遺跡】

   国指定史跡
   平成12年9月6日指定
この遺跡は、平成5年、溝や板塀によって区画された大規模な建物群が発掘され、全国的に類例がなく話題になった遺跡。
建物群は大きく二時期の変遷が認められた。
Ⅰ期は8世紀前半の頃、溝によって東西179m、南北140m以上に区画された中に建物をコの字形に配置し、区画に接する西と北側に塀に囲まれた建物群を規則的に配置している。
Ⅱ期は8世紀後半には大規模な倉庫が建てられ、区画の西側には長大な建物が10棟以上並列して建てられていた。
Ⅰ期は伯耆国(鳥取県中・西部地区)の政治の中心であった伯耆国庁の前身的なもの、Ⅱ期は伯耆国の物資を収納した施設と考えられている。

文部科学省
倉吉市教育委員会
平成14年2月作成

 

遺跡を空から。

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遺跡全体図。

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遺跡の中心へ。

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この辺りに伯耆国府の倉庫が建ち並んでいたとか。

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不入岡の石仏。

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説明板。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/3/8/38decf86.jpg

この石仏は名和氏が建てたらしい。

 

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