長宗我部盛親は、土佐の大名、長宗我部氏最後の当主です。
長宗我部盛親の墓所が蓮光寺にあります。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/e0/06/j/o0400030014669124890.jpg?caw=800)
所在地 京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534
山号 負別山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来(負別如来)
創建 明応元年(1492)
開基 真盛上人
説明板。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/df/4b/j/o0400030014669124894.jpg?caw=800)
本堂に祀られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の作と伝えられる。
その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の後を追いかけた。
山科の辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し、箱を開けたところ、仏像が二体に分かれていたという。
二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に別れたと伝えられる。
この本尊はその一体であるといわれ、「負別山」という山号もこれにちなんだものである。
僧が持ち帰ったもう一体の仏像は、「笈別如来」と称され、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。
駒止地蔵は弘法大師(空海)の作といわれ、もとは六条河原の処刑場に祀られていたと伝えられる。
鴨川の氾濫で埋もれていたが、平清盛が乗る駒(馬)が六条河原に差し掛かったとき、急に馬が動かなくなり、その場所を掘ってみると、この地蔵が出てきたことからその名が付いたという。
境内には、関ヶ原の合戦や大阪夏の陣で活躍した武将、長宗我部盛親の墓がある。
京都市
山門の前に「長宗我部盛親公瘞首之地」の碑が建っています。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/70/0b/j/o0300040014669124895.jpg?caw=800)
明治40年5月に建てられました。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/16/38/j/o0300040014669124898.jpg?caw=800)
本堂。
境内はひっそりしていて、誰も訪れた様子がありませんでした。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/14/ac/j/o0400030014669124901.jpg?caw=800)
脇にあるのが地蔵堂。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/88/ee/j/o0400030014669124905.jpg?caw=800)
説明板。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/19/dc/j/o0300040014669124907.jpg?caw=800)
大河ドラマ「義経」で紹介されたらしい。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/7c/22/j/o0300040014669124909.jpg?caw=800)
本堂裏にある墓地の奥に長宗我部盛親の墓がある。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/f4/e2/j/o0400030014669124912.jpg?caw=800)
説明板。
長宗我部盛親は、大阪夏の陣の後、京都八幡近くの葭原に潜んでいるところを、蜂須賀家家臣・長坂七郎左衛門に見つかり捕らえられてしまった。
その後、見せしめのために二条城門外の柵に縛りつけられた後、旧歴5月15日(6月11日)に京都の六条河原で6人の子女とともに斬首され、三条河原で梟首された。
享年41。
この寺の連光上人が所司代板倉勝重に請い、首級をこの墓所に葬って供養した。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20191211/14/kanezane2/dd/67/j/o0300040014669124916.jpg?caw=800)
なかなかの武将だったようですね。
西軍についてしまったのが惜しまれます。
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