下総国分寺跡(千葉県市川市) | 三日月の館

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場所 千葉県市川市国分3-20-1

 

下総国分寺は千葉県市川市にありました。

 

下総国府跡から東へ約1kmにある国分寺を目指しました。
矢印が所々にあります。

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下総国分寺全体図。
(市川博物館友の会著「下総国分寺のはなし」より)

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/a/e/aeddd526.jpg

下総国分寺は台地の南端にあった。
現在、下総国分寺跡には真言宗の国分寺があります。

 

所在地  千葉県市川市国分3-20-1
山号   国分山
宗派   真言宗豊山派
本尊   薬師如来
創建   奈良時代中期
開基   聖武天皇勅願

 

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説明板。
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南大門の説明とご由緒。
https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/a/f/aff07bfb.jpg
往時の南大門を模して山門が建てられている。
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当時の寺名が掲げられていました。
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境内の様子。
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下総国分寺の碑。
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この碑の建つ植栽の中に塔の礎石が4つ埋まっている。
1つ目は碑の台座になっている。
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2つ目。
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塔の礎石の説明。
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3つ目。
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4つ目。
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他、境内には庭石になった礎石がありました。
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近づいてみる。
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碑によると、この礎石は金堂礎石という。
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現在の本堂。
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さて、金堂はどこにあったのか?
境内に伽藍基壇配置図が掲示されていました。
ありがたい。
https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/7/9/7926cecf.jpg
伽藍基壇配置図によると、金堂の位置は本堂の北側部分にあったようだ。
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金堂址を示す碑は見当りませんでした。
次に講堂址へ行ってみる。
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講堂址は墓地の真ん中にあった。
講堂の基壇址は空き地になっていて、碑が建っています。
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最後に七重塔址へ。
七重塔址は表書院の裏側にあった。
こちらにも碑が建っています。
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境内を出る。
下総国分寺の東側の天満宮。
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地主さんが個人で建てたものだそうです。
その地主さんの歴史が刻まれていました。
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天満宮北の空き地。
ここにも下総国分寺跡の碑が建つ。
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裏面によると、天満宮と同じ地主さんが市に提供したそうです。
ここは、僧坊址のようです。
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是非とも復元してもらいたいものです。
次は、下総国分尼寺へ向かいました。

 

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