西院春日神社(京都市右京区) | 三日月の館

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所在地  京都市右京区西院春日町61
主祭神  建御賀豆智命、伊波比主命、天児屋根命、比売神
創建    天長10年(833)

 

西院の守護社です。

 

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【西院春日神社】

<ご祭神> 
第一殿:建御賀豆智命 第二殿:伊波比主命 第三殿:天児屋根命 第四殿:比売神
<ご神徳>
病気平癒・厄除・交通旅行安全
<勧請>
平安時代の初期、天長10年(833)2月28日 淳和天皇が仁明天皇に皇位を譲られ、淳和院(西院)にお移りになりました。
この時、勅令により奈良の春日大社よりご分霊をお迎えし、守護神とされたのにはじまります。
<信仰>
淳和天皇の皇女、崇子内親王が疱瘡(ほうそう・天然痘)に悩まれたとき、神前の霊石が疱瘡を生じ、内親王の悩みに代わってより以後、皇室から病気平癒や災難厄除けの守護の神と崇められ、仁明天皇(承和5年7月)、後桃園天皇(安永3年7月)、仁孝天皇(寛政12年2月)、敏宮(天保元年12月)、和宮(弘化3年閏5月)、孝明天皇(慶応2年12月)等、ご祈祷を命ぜられてまいりました。
現在でも皇室の崇敬厚く、全国からご祈祷や守礼を受ける参拝者があとをたちません。
<病気平癒の霊石「疱瘡石」(ほうそういし)>
崇子内親王の代わりに疱瘡を生じて、たちどころに病を治したといわれる「霊石」です。
その後「疱瘡石」と呼ばれて信仰を集め、世の人々は病の平癒を願ってこの石を拝するようになりました。
また都に疫病がはやる前には必ずこの石の表面がぬれたそうです。
普段は祈祷殿に納めてありますが、毎月一日 十一日 十五日の月次祭の日には本殿内で公開致しております。
<仁孝天皇御胞衣(おえな)塚>
安産や子授け、母体の健康、乳幼児の健やかな成育を祈り、御胞衣塚に白石・子安石を奉納する風習があります。

【境内社 還来神社 旅行安全・還来成就の神】
<梛石(なぎいし)>
神前に「梛石」と呼ばれる神石があります。
これを旅行者が往きに還りに撫でて祈願し、無事息災、還来成就をなす風習があります。
また、病弱者はこの石を撫でたその手で患部を撫で、健康の回復を祈ることから、後世「撫石」とも呼ばれるようにもなりました。

平成15癸未年記

 

阪急京都線西院駅の西、四条通と佐井通が交差する四条春日(佐井)の交差点を左折。

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平成21年に春日通に名称変更された佐井通を進む。

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佐井村の道標。

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しばらく進むと西側に西院春日神社があります。

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境内図。

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手水舎。

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脇にいるのは一願蛙。
三匹の蛙がいる。
「三かえる」は「身にかえる」に通じ、水をかけて祈願すると自分の身に返ってくるそうです。

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境内の様子。

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境内東側に社務所。
社務所前に六尺藤(右側)がある。

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玄関を覗くと鹿がいた。

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正面にまわって参拝する。
拝殿。

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10月に行われる春日祭では、神輿が拝殿の周りを三回廻る。

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本殿でお参り。

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本殿の東側に春日若宮社。

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本殿の西側へ。
奥に住吉社(右)と西院宮(左)。
住吉社は、松院にあったが、明治6年にこの地へ遷座。
西院宮は、淳和天皇を祀る。

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梛の神木。

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(右)弁財天社
(左)稲荷社

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神楽殿。

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神楽殿前に仁孝天皇御胞衣塚。
白石・子安石を奉納してある。

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石は社務所にあります。

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隣りは梛石。
旅行者が往き還りに撫でるので「撫石」とも呼ばれる。

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境内南側へ。
淳和院礎石のそばに建つ西院村道路元標。

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米川安國宮司顕彰碑。

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碑文。

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南側境外の神社。
境外末社かな。

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境内に戻る。
神楽殿脇の還来神社。
貞観10年(874)4月19日、淳和院が火災となった折、皇后正子内親王は逃げ惑う女官や側近たちに「この屋敷は類焼をまぬがれ、必ずもどり還ることができるゆえ、心を鎮めてしばらくの間立ち退くべし」と諭し避難を指示したところ、皇后の言葉通り類焼を免れた。
この功績を称えて後世「還来の大神」として祀ったのが還来神社と云う。
現在では旅行安全の守護神として信仰され、「わらじ」を奉納する習慣がある。

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還来神社御朱印。

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還来神社の奥に、金刀比羅宮、大元宮、天満宮、猿田彦社。

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西の参道。

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佐井西通に面する西の参道入り口。

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境内をぐるーっと見ました。
さて、正月の様子。

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拝殿は臨時の社務所と化していました。
奈良の春日大社と同様に、巫女さんの冠には藤の花が飾られていました。

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御神酒が振舞われます。

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本殿の行列。

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特別公開の疱瘡石を拝みました。

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最後に御朱印。

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淳和院(西院)ゆかりの西院春日神社でした。

 

(おまけ)

 

西院野々宮神社

 

所在地  京都市右京区日照町55番地
主祭神  倭姫命、布勢内親王
創建    天長10年(833)

 

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由緒書。

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【西四条斎宮 西院野々宮神社】
二柱の御祭神は共に伊勢神宮に斎王としてお仕えされた方で、倭姫命は垂仁天皇、布勢内親王は桓武天皇の皇女にあたられます。
この地は、平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、心身を清められるための潔斎所である「野々宮」が築かれた聖地で、各地に残る「野々宮」の名称はこの地が発祥とされています。
延暦16年(797)8月21日に布勢内親王が、承平2年(932)9月10日には雅子内親王(醍醐天皇皇女)がそれぞれ野々宮にお入りになり、伊勢御下向までの月日を世俗からはなれてこの地で過ごされました。
 匂い薄く咲ける花をも君がため
        折とじをればいろまさりけり
 折らざりし時より匂ふ花なれば
        わがため深き色とやにみる
この二首は「玉葉和歌集」に記された藤原敦忠と、西四条の斎宮と称された雅子内親王の歌で、また、小倉百人一首には雅子内親王を想い敦忠が詠んだ
 あひみての後の心にくらぶれば
         昔はものを思わざりけり
の一首がおさめられ、王朝人の恋の舞台となったところでもあります。
平安時代以後、天照大御神の御神鏡を伊勢の地に奉祀された倭姫命の御聖徳と、慈悲淑徳の誉れ高き布勢内親王を偲び「西院・野々宮神社」が創建されて以来、皇室をはじめ公家・庶民にいたるまで広く崇敬を集めてまいりました。
江戸時代以降「西院・春日神社」の御旅所とされ、十月の祭典には天皇の御使いをはじめ多くの公家が参列し、現在でも十月第二日曜には、春日神社の神輿二基が千人にもおよぶ供奉を従えて渡御され、春日神社宮司斎主のもとに祭典が営まれます。
社殿は、安永4年(1774)11月28日に後桃園天皇より、宮中・賢所を拝領して造営されたものです。
古くは機織の守護神とされ織女の信仰厚く、後には御祭神の徳を偲び広く女人の守り神として女性の崇敬をあつめております。

 

御朱印。

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御朱印は、西院春日神社の社務所で。

 

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