登城日 1回目 1993年 秋
2回目 2010年 9月20日(月)曇
難易度 ☆
場所 埼玉県行田市本丸17-23
『のぼうの城』です。
JR熊谷駅から秩父鉄道に乗り換えます。

最寄駅は行田市駅です。

駅前広場にある井楼をモチーフにしたからくり時計。
成田氏長と甲斐姫が優雅に舞うらしい。
土台には、
「埼玉県名発祥の地 行田」
と書かれていた。
市内の古墳のある地、行田市埼玉(さきたま)が明治4年に県名に採用されたことに由来。

残念ながら、行田の玄関口である行田市駅前には観光案内所が見当たらなかった。
(JR行田駅前にあるらしい)
よって、行田市郷土博物館にて50円で販売されている忍城今昔地図をもとに散策開始、
まず、駅前から東へ進む。
やがて忍川に行きつく。
ここが忍城城下町の東端。

ここに行田町船着き場があった。
船着き場付近を小沼橋から見る。

当時は江戸からの船で賑わったそうだ。
付近に「行田町船着き場跡」の石碑が建っています。

そして、ここに城下町への入口である長野口があった。
ここにも石碑が建っていました。

堀は無くなっているが、堀跡に沿って道が曲がっていました。

この辺りから、明治時代になって馬車鉄道が吹上まで走っていた。
発着所跡に碑が建っている。

城下町から長野口を見る。
かつての繁栄が嘘のようにひっそりとしていた。

城下町のメインストリートである本町通りに突き当る。
現在は国道125号線となっている。
右折して西に向かう。

通り沿いに「Gyoda Story」が何ヶ所か設置されていて、散策しながら行田の街について学ぶことが出来ます。

本町通りから北側を見る。
少し窪んでいる。

一筋北側の通りは堀跡。

一筋南側の通りも堀跡に沿っている。

うまい、うますぎる!
で有名な、十万石まんじゅうの本店発見。

埼玉県信用金庫のある場所は本陣跡。
ここにも石碑が建っている。
石碑の裏に説明が書かれているのですが、壁が近過ぎて読めない。このような石碑が数箇所ありました。横に説明板を建てればいいのに…
(建てるでしょうもうすぐこの行田に観光客がどっと押し寄せることになるでしょうから。)

本町通りから南に延びる新町通り。

現在、武蔵野銀行が建っている所は元々T字路で、城下町の中心。
ここに高札場があった。

高札場跡の碑が建つ。

この武蔵野銀行の店舗は、国有形登録文化財だそうです。

さらに西へ。
忍警察署跡に建つ行田市商工センター。

鉄板の御三階櫓が建つ。

その向かいはNTT東日本行田営業所。

ここに、鎌倉時代在地土豪である行田氏の館があった。

南側には桝形城門があり、

堀を渡って、

大手門があった。

行田市郷土博物館にある模型で見るとこんな感じ。

現在、市役所の建つ所や、

浮き城の径は大きな堀だった。

現在、南側の一部が水城公園内に残る。

大手門から大きな堀を渡って本丸へ向かう。
沼橋御門へ渡る。
沼橋御門跡は市民体育館の南にあった。

沼橋御門の南には、藩主隠居所があった。
本来の位置からちょっと西にずれた水城公園入口に石碑が建っています。

その南に三重櫓跡の碑が建つ。

しかし、本来の三階櫓の建っていた所は、現在天理教があるあたりだった。

天守代用の御三階櫓が水堀に映えたことでしょう。

御三階櫓の西には熊谷門があった。
石碑は見当たら無かった。

模型で見るとこんな感じ。
(右側の小さな島から入って来て、2番目の大きな島のところ。これから上の島を進んで行き、本丸を目指します。)

熊谷門の北に成田御門があった。
中央小学校の校門脇に石碑が建つ。

ここら辺は三ノ丸だった。
石碑は見つけられなかった。

成田御門のさらに北に太鼓御門があった。
忍中学校の校門脇に石碑が建つ。

ここら辺はニノ丸だった。
ニノ丸に御殿があった。

忍中学校の校内にニノ丸跡の石碑が建つ。

さらに北へ進むと、諏訪曲輪の南端に建つ復興御三階櫓が見えてきました。
(本来の場所とは違うところに建っています。)

(つづく)