登城日 1回目 2012年 2月 5日(日)曇
2回目 2012年 4月 7日(土)晴
難易度 ☆
場所 名古屋市南区本星崎町本城765
笠寺小学校にあった中世城郭です。
最寄駅は名鉄名古屋本線本星崎駅。
駅前に熊!
いきなりビックリ。
線路沿いを北へ。
丸池橋。
橋の名の通り、かつてこの辺りに丸池があった。
丸池橋東側の踏切。
歩行者は線路下を通るようになっているが…
わぁ、危ない!
踏切の北側の台地に建つ笠寺小学校。
ここに星崎城があったと云う。
笠寺小学校の南東隅に、
城址碑が建っています。
説明板。
標高10mの台地先端に築かれた中世城郭である。
築城年は不明であるが、戦国末には、織田氏に仕えた岡田重善、重孝が城主となった。
江戸時代の地誌や絵図から、本丸、二の丸、侍屋敷、大手門などを備えた本格的な戦国城館であったことがうかがえる。
天正16年(1588)廃城となったが、名古屋台地南部の重要な拠点城郭であった。
名古屋市教育委員会
(転載不可) 略図。
(転載不可) 学校は付近より一段と高い。 町名は「本城」。 学校の南西隅。
校内には土塁が一部残存しているというが、確認のしようが無かった。 学校平面図。
校庭が本丸跡。
校舎が二の丸かな。 本丸の南東隅には天守台があったとも。 ジョギングコースが帯郭に見えた。 二の丸脇の善住寺。
ここには虎口があったのかな? 境内の様子。
特に城跡を示すものは無かった。 城門のような立派な山門。 善住寺は台地の先端に位置する。
見下ろす。 見上げる。 少し引いて、二の丸方向を見る。 戻る。
学校が二の丸で、右側の住宅地が三の丸かな? 住宅地の南側付近。
三の丸の先端か侍屋敷があった所かな?
この先端付近の東側の住宅敷地に長命井戸が残っている。
丸池橋を渡った正面にある本松製菓店脇の細い路地(4枚目の写真の所)を西へ進んだ突き当りの民家の玄関脇にあるが許可が必要。 さらに南側にもちょっとした高台があり、 星宮社が鎮座。
所在地 名古屋市南区本星崎町字宮西616
主祭神 天津甕星神
創建 舒明天皇9年(637)
狭い参道入り口。
境内の様子。
これだけ立派な神社なのに由緒書が無かった。
知ってて当たり前ということかな?
北側の狛犬。
南側の狛犬。
社殿北側の末社群。
左から、加具土社、軻遇突智社、霊社。
社殿南側の末社群。
左から、白山社、琴比羅社、天王社神明社相殿。
その前に鎮座する一際大きな末社、英霊社。
星宮社は、「この地に星が降り、それを祀るために建てられた」と云う。
また、創建時の星宮社は今の笠寺小学校のあたりに建てられたが、星崎城を築城する際、現在の地へ移されたとも。
台地の先端にあった星の宮が、「星崎」という地名の由来でしょうか?
そして、星宮社の奥に知我麻神社がある。
創建の説話は「知我麻社のことだ」と言う説もあるらしい。
北側が上知我麻神社。
祭神は乎止与命(尾張氏の祖神天火明命の11世の子孫で、日本武尊の妻宮簀媛の父)。
南側が下知我麻神社。
祭神は真敷刀俾命(乎止与命の妻)。
鎮座地の小山は古墳とも。
社殿は小さいが、ここは元宮で鎌倉時代に熱田神宮に遷座。
境内を出る。
境内前を流れる中井用水。
この辺りに大手門があったのだろうか?
塩付街道?を北へ。
土塁のような山。
その北に御輿山があり秋葉社が鎮座。
秋葉社境内。
ここに乾角櫓が建っていたと云う。
ここにも星崎城の城址碑があります。
平成21年(2009)7月19日に異常気象の影響で枯死し伐採された楠の御神木。
御神木から星崎城本丸を見る。
この辺りが星崎城の西端だろう。
その北には「廻間」という地名。
御輿山と丹八山の間は空堀みたいになっていたのかな?
その東側、名鉄のガード付近には「堀割」という字名も残っている。
線路の東側の粕畠には艮角櫓が建っていたとも。
星崎城の北に位置する善東寺へ。
星崎城本丸を見る。
天正16年(1588)最後の城主山口重政(後の牛久藩初代藩主)が、茂福城へ移封され廃城になった。
(おまけ)
桶狭間に本社がある東証一部上場企業ホシザキ電機。
敷地内に何とホシザキ城が聳え建つ。
こんな物まで建てるからには星崎城と関係あるかと思ったが、どうも無いらしいです。