鳴海城(尾張国) | 三日月の館

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登城日 2012年 2月 5日(日)曇
難易度 ☆
場所   名古屋市緑区鳴海町字城

 

桶狭間の戦いの際、今川方猛将岡部元信が守り通した城です。

 

名鉄車窓から見た鳴海城。

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鳴海城の東南隅だったという圓龍寺から下って来た所に、

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天神社が鎮座。

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御由緒。
ここに成海神社があったが、鳴海城築城の為遷座。
城の鎮守社として天神社が祀られたと云う。
(対岸の火高の地には尾張氏館があったとも)

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日本武尊の歌。
「鳴海浦を見やれば遠し火高地に
 この夕潮に渡らへむかも」

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天神社。

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境内にあった御神木。
造成の為このような姿に。

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この天神社の境内に鳴海城の城跡碑2つと、

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説明板が建っています。

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説明板。

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【鳴海城跡】

根古屋城ともいい、応永年中(1394~)安原宗範の築城といわれる。
永禄3年(1560)桶狭間の戦いでは、今川方の猛将岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も最後まで立てこもって奮戦した。
その後、佐久間信盛、正勝らが城主となったが、天正18年(1590)廃城となったと伝えられる。
『尾張志』は東西75間、南北34間で四面に堀跡、本丸と二・三之丸にも堀を残すと記している。

名古屋市教育委員会

 

地籍図。
本丸はここより西にあった。

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行ってみる。

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庚申坂を挟んで、

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西側の字名は「城」。

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城っぽい雰囲気の公民館。

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本丸跡は鳴海城跡公園となっています。

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公園入り口の南側。
土塁かな?

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公園へ。

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特に城跡っぽくない普通の公園。

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公園の西側。
付近の三砦よりは広い。

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公園の北側。
切岸かな?

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未整備の平坦地も残る。

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土塁?

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鳴海城跡公園の北側にある東福院。
山門は鳴海城の廃材を用いていると云う。

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その北側を東西に流れる水路。
堀跡かな?

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鳴海城跡公園へ戻って、

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城下を見下ろす。
城下には東海道が城跡を囲むように東から北へ通っています。

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行ってみる。
天神社から庚申坂の通りを挟んで西側にある圓道寺。

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沿革。
圓道寺は当初猿堂寺といい、天正年間に建てられた。
廃城の頃だろうか?

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その南の誓願寺。

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境内には芭蕉最古の供養塔がある。

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境内へ。

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本堂。

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芭蕉堂。

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その脇に建つ小さな自然石が芭蕉供養塔。
表面に「芭蕉翁」、裏面に「元禄7年(1694)甲戌10月12日」と没年月日だけが刻まれている。

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誓願寺の南、庚申坂と東海道の交差点は「札の辻」と呼ばれ、高札場があった。

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説明板。

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高札場のあった辺りの字名は「根古屋」。
居館があったのだろうか。

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作町から根古屋付近を見る。
根古屋の西側の作町は、鳴海城主だった佐久間信盛に因む。

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この通りは東海道。

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東海道を東へ。

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鳴海宿は猩々発祥の地。
猩々(しょうじょう)は、中国に由来する伝説上の動物で、鳴海宿を中心に祭りが行われている。

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鉤の手。

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さらに東へ進めば中島砦へ。
戻って、東海道を北へ進み丹下砦へ向かいます。