毘沙門堂(京都市山科区) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

所在地  京都市山科区安朱稲荷山町18
山号   護法山
宗派   天台宗
本尊   毘沙門天
創建   (伝)大宝3年(703)
開基   行基

 

山科盆地を見下ろす地にある門跡寺院です。

 

イメージ 1

【毘沙門堂】

護法山と号する天台宗の門跡寺院で、春の枝垂桜と秋の紅葉が美しい山科の名刹として知られている。
寺伝によれば、大宝3年(703)に上京区の相国寺の北に創建された出雲寺が起こりと伝えられ、延暦年間(782~805)に最澄(伝教大師)が自ら作った毘沙門天を安置したことから、毘沙門堂と呼ばれるようになったという。
平安末期以降、度重なる戦乱で荒廃したが、天台宗の僧・天海とその遺志を継いだ弟子の公海により、江戸時代の寛文5年(1665)に現在地に再建された。
その後、後西天皇の皇子・公弁法親王が入寺し、以来、皇族や摂関家の子弟が門主を務める「門跡寺院」となった。
正面の本堂に本尊の毘沙門天が祀られている。
左奥の宸殿は後西天皇の旧殿を賜ったもので、狩野益信の筆による、見る角度によって目や顔の向きが変わる「天井の龍」や、逆遠近法で描かれた「九老之図」などの襖絵が有名である。
その奥には晩翠園と名付けられた池泉回遊式庭園がある。

京都市

 

毘沙門堂の最寄駅であるJR山科駅からは、東へ200m、北へ900mの所にあります。

イメージ 2

京阪京津線の線路沿いを東へ進みます。

イメージ 3

踏切のある角を左折。
北へ進み、JRのガードを潜ります。

イメージ 4

暫く北進すると、琵琶湖疎水を渡ります。
この疎水沿いは桜の名所です。

イメージ 5

「毘沙門堂是より北三町」の道標。
ここからあと約327m。

イメージ 6

毘沙門堂入り口。

イメージ 7

極楽橋を渡って境内へ。

イメージ 8

境内図。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_59423322_115?1303308719_

仁王門から本殿へ。

イメージ 9

阿、

イメージ 10

吽の二天像。

イメージ 11

東側に手水舎と経蔵。

イメージ 13

隣に稲荷社。

イメージ 14

その奥に高台弁財天。
豊臣秀吉の大政所高台尼が大阪城内で念じていた弁才天であったが、当門跡中興第三世一品公弁親王が巡錫の砌り、庶民福楽の為に所望して当地に勧請したと云う。

イメージ 15

西側に藤棚と鐘楼。

イメージ 16

その奥に山王社。

イメージ 17

正面に本堂。

イメージ 12

ここから拝観料を払って本堂へ。

イメージ 23

本堂の様子。

イメージ 18

説明板、

イメージ 19

本堂の天井。

イメージ 20

霊殿から宸殿へ。

イメージ 21

霊殿。

イメージ 22

宸殿。

イメージ 24

説明板。

イメージ 25

裏中之間。

イメージ 26

名園 晩翠園。

イメージ 27

説明板。

イメージ 28

梅之間。

イメージ 29

圓山応挙筆の板戸の衝立。
目を見ながら左右に動いて見ると、鯉が泳いでいるように見える。
宸殿内には動く襖絵などもあります。

イメージ 30

数多くの著名人も訪れています。

イメージ 31

宸殿の玄関から薬医門を見る。

イメージ 32

玄関。

イメージ 33

いよいよ枝垂桜へ。

イメージ 34

ちょっと盛りを過ぎてしまったのが残念ですが、散り際もなかなか風情がありました。

イメージ 35

5代目の桜で、樹齢百数十年という。

イメージ 36

枝垂桜をスケッチしている人。
いいなぁ~

イメージ 37

宸殿から見た枝垂桜。

イメージ 38

ここ毘沙門堂は桜の名所でもあるのです。

イメージ 39

名残り惜しいですが、春は駆け足で過ぎて行くので、次へ向かうべく薬医門から出る。

イメージ 40

隣りはスケッチしている人がいた勅使門。

イメージ 41

ちょっとお城っぽい立派な寺院。

イメージ 42

最後に御朱印。

イメージ 43

秋は紅葉が美しいとのこと、また訪ねてみたい寺院でした。

 

京の寺(目次)へ戻る